葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

万年筆

2007年02月13日 15時48分44秒 | 日記 ・ 雑記録
3泊4日の日程を <効率よく> こなして、息子はまた北九州へ戻っていった。
キンキラキンの、お世辞にも趣味がいいとは言えないスカジャンを置いていった。
光沢のある生地に鷲の刺繍がしてあって、街中で着るには勇気が要る。
最初から、私にくれるために持って帰ったみたいだが、
どうせ、正月の福袋に詰め込まれていた一着だろう。
自分は着ない、と決めて 「これ、あげようか?」 といえば
なんでも喜んで手を差し出す受け皿があるのだから、息子は果報者だ。

私が息子の年代の頃は、筆記具といえば万年筆(死語?) だった。
使わなくなって久しいが、今も机の引き出しに2本ある。
いつ、どこで買ったのか忘れていたが、家人に話すと、そのうちの一本は
新婚旅行のときに、空港の免税店で買ったのだ、と克明な記憶力だ。
それを瞬時に言ってのけるところが、怖い。
この分野でも私は家人に太刀打ちできなくなっている。 嗚呼。

かれこれ15年ぶりに万年筆を取り出した。
お湯に浸けて固形化したインクを溶かし、新しくインクを入れたら、書けるじゃないか。
改まった気持ちで書いたからなのか、
日頃のボールペンの字よりも数段きれいな字を書いている!
最近、字を書かなくなって、字が下手になった。 忘れて書けなくなった漢字も多い。
ボールペンを使う頻度も低くなったが、
どうせ書く機会が少ないのなら、数少ない機会には万年筆を使おう、と考えた。
万年筆で書くとなれば、キャップをはずすという手順が一つ加わるだけで、
さぁ、これから書くぞ、と心構えが違ってくる。

私は勉強をしなかったが、
勉強を始める前に、5・6本の鉛筆を削って芯を尖らす行為は好きだった。
鉛筆の先とナイフの刃だけに集中すると、他のものが <空> になる。
そこで気分一新、勉強に精を出していれば私の人生は変っていたかも。
過ぎたことは取り返しがつかないので、さぁ、これからのことだ。
机の上で無造作に転がっているボールペンで、無造作に書き始めるより、
おもむろに、引き出しから万年筆を取り出し、キャップをはずして書き始めれば、
おのずから字に心がこもってくる、そんな気がする。
フランス製の WATERMAN 。 懐かしい万年筆ともう一度ヨリを戻そう。

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