コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

息子たちのこと その2

2010-11-09 12:00:00 | 日常雑感

先日の写生大会に続いて、今度は学校へ提出した作品が京都市美術館に展示されると言うので3日の祝日に出かけた。

美術館(別館)は岡崎公園内にある。
時期は紅葉の観光シーズン。
近くには南禅寺もあるし、北は銀閣や哲学の道、南は八坂から清水と、どう考えても混んでて当たり前の場所。
とはいえ、夫婦と息子二人の往復交通費を考えると駐車場代のほうがまだましな気がする(歩く距離も減るし、混んでるバスには乗りたくない)

午前の観光組が帰ることも考慮して、午後2時過ぎに岡崎公園に着いたが、駐車場に並んで停められるまでに1時間弱かかってしまった。
もっとも連れ合いと息子らは先に下ろして、公園内で遊ばしておいたのだが。

で、無事車も停められて、美術館のほうへ。

このあたりの建物はかなり古いもので、それでいて先鋭的なものと趣のあるものが混在する。
会場の美術館別館などは後者の最たるものだ。

3・4年前にも息子の絵が展示され、今回はそれ以来の美術館。
1階と2階に市内各地の小学校(一部保育園)の作品が大量に展示されている。
学校名を探し、その中から息子の絵を見つけた

前回の東寺の絵とはまた違い、びみょーではあるが、トンボの羽模様など息子なりのこだわりは現れいる。

特選になっている子の作品は、どれも細かいところまで表現されていて、やはり一味違う雰囲気を出していた。
上級生の緻密なものより、低学年ながら細部にこだわらず、それで居て他と違う雰囲気のものがなかなか惹かれるものがあった。

ここで干渉している間、徐々に次男の機嫌が悪くなってくる。
自分の作品は展示されず、兄ばかり誉められるのだからそりゃそうだろう。

ひととおり鑑賞した後、近くの動物園に足を運んだ。
京都の動物園は小さいが、子どもにとっては素敵な場所なんだろう。

実は、次男には絵を選ばれるような才能で誉められる部分はないのだが、私なりに感心させられる点を持っている。
それは、感性・感受性で、おもに物語を読んだときに発揮される。
かれのお気に入りは「おまえうまそうだな」というシリーズで、恐竜同志の交流を通して、心のふれあいを描いている。
(私も読んでいて泣きそうになるときがある)

その次男が今回動物園で楽しみにしていたことがある。
最近読んだ本で、象を取り扱っているものがあるのだが、彼の話では「本に載っている写真は本当の象じゃない。小さく写された写真だから。最後のページに目だけ写ってて『これが本当の大きさの僕だから動物園に本物を見に来てね』って書いてあったから会いにいきたい」というのだ。

こういう感覚・・・単純に子どもっぽいといえばそれまでなんだけど、「あぁ、そう」と終わらせてしまいたくない。
そういうストレートな心のままで、実際に象に出会って欲しい。

あまり時間はなかったが、いろんな動物を見て楽しんだ。
私自身はサルのコミュニティがいつまで見ていても飽きずに、心が休まる。
(やっぱ懐かしいのだろうか…)

それぞれ、違ったところで”いい”と思わせるところを持っている二人の息子。
その上に居る二人の娘にもそれぞれいいところがある。
同じ親に生まれても、それはぜんぜん違うところがある。
だれが善い悪い、上下と言うことじゃなく、個性でいいのだ。

そんなことを感じた休日だった。

ひと科”ひと” が飼育されてる檻