コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー2018 観光編 3

2018-09-12 20:13:45 | 真宗

3日目

この日は宮沢賢治を巡る旅を中心に

彼の作品に現れる死生観、その繊細な部分に触れることができれば、と。
連れ合いにとっても、仕事に大いに関わる体験として

前日、宿にしたのは北上市
ここに宮沢賢治ゆかりの碑が数か所あるというので、朝から巡ってみる
案内サイトにあった公園に行くが…それらしきものは見当たらない
他の数か所も観光地図頼りに行くが…

ということで、断念してメインの花巻市へ

まずは「宮沢賢治童話村」

メインの「賢治の学校」ではファンタジックな世界を体感的に

視覚的に色々仕掛けがあるので、視覚に問題のある私にはかなり足元が危うい。が、それが妙な浮遊感になって面白かった
ログハウスを巡る「賢治の教室」では、テーマに沿って「研究者宮沢賢治」の世界を
そのほかも自然あふれるスペースになっているのでのんびり過ごせた

 

次は「山猫軒」で昼食

ご存じ「注文の多い料理店」だ
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」という看板に迎えられて入る


案の定観光客で混んでおり、待っている間は土産物に目が行ってしまうという(笑)
そして入り口にはしっかりと、「クリームの壺」「塩の壺」が用意されるという徹底ぶり

そして「宮沢賢治記念館」へ
こちらは子どもが楽しめる「童話館」とは違い、かなり硬派な展示が中心
様々な作品の背景が楽しめる

私が宮沢賢治に深く触れたのは、これまた漫画の影響
少年誌に連載されていた「六三四の剣」が岩手が舞台で、たびたび宮沢賢治の詩に触れていた
メインはライバルである「修羅」に関わる「春と修羅」の一説



そしてもう一つは主人公の「六三四」が授業で触れたときに「なぜか涙が止まらない」となった「永訣の朝」
「めゆじゆとてちてけんじや」の一説は私の脳裏にも深く刻まれたフレーズだった

今回、展示の中にはもちろんこの部分も掲示されていた
今の私には、この詩は亡き妹にも通じるもので、様々な思いと共に立ちすくんでいた

妹が息を引き取る朝、その前の夜から私は病院に付き添っていた
呼吸器をつけながら一生懸命何かを伝えようとしていた妹
結局聞き取ることはできなかった
聞き取ろうとする努力をしなかった
そのまま、朝、妹は息を引き取った
私にとっては逃れようのない体験だ

   けふのうちに

   とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

   みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から

   みぞれはびちよびちよふつてくる

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた

   これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に

   おまへがたべるあめゆきをとらうとして

   わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

   このくらいみぞれのなかに飛びだした

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

   みぞれはびちよびちよ沈んでくる

   ああとし子

   死ぬといふいまごろになつて

   わたくしをいつしやうあかるくするために

   こんなさつぱりした雪のひとわんを

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

   わたくしもまつすぐにすすんでいくから

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

   おまへはわたくしにたのんだのだ

    銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

   そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

   …ふたきれのみかげせきざいに

   みぞれはさびしくたまつてゐる

   わたくしはそのうへにあぶなくたち

   雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち

   すきとほるつめたい雫にみちた

   このつややかな松のえだから

   わたくしのやさしいいもうとの

   さいごのたべものをもらつていかう

   わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

   みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

   もうけふおまへはわかれてしまふ

   (Ora Orade Shitori egumo)

   ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

   あぁあのとざされた病室の

   くらいびやうぶやかやのなかに

   やさしくあをじろく燃えてゐる

   わたくしのけなげないもうとよ

   この雪はどこをえらばうにも

   あんまりどこもまつしろなのだ

   あんなおそろしいみだれたそらから

   このうつくしい雪がきたのだ

      (うまれでくるたて

       こんどはこたにわりやのごとばかりで

       くるしまなあよにうまれてくる)

   おまへがたべるこのふたわんのゆきに

   わたくしはいまこころからいのる

   どうかこれが天上のアイスクリームになつて

   おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ



宮沢賢治は、祖父が真宗門徒で、様々な先生を招いて子どもらにも法座を開いていたようだ
なので、彼の中に真宗的な思想が垣間見える
その後、真宗を否定して他宗にも傾倒しているようだが、私にとっては底はどうでもよく、彼の「生命」への感じ方…それは当然「死」を見つめるまなざしに心惹かれているのだろう

 

 

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お礼参りツアー2018 観光編 2

2018-09-08 13:38:29 | 日常雑感

仙台泊のあと、ここも仙台には何回も来ながら立ち寄れなかった青葉城へ

 

メインは伊達政宗だけど、連れ合いは芭蕉の歌碑がお目当て
観光的には城のあった場所からの眺めと、伊達政宗像で終わりだろうけど芭蕉碑を求めて公園一帯を登ったり、降りたり


朝8時ごろからうろうろして、先にレポートした荒浜地区へ

仙台を後にして、これも連れ合いリクエストの奥州平泉へ
今生に「お浄土」を表そうとして作られた地と聞いていたので私も興味津々
帰省の渋滞もあり、大幅に予定が遅れて到着
一日かけてゆっくりめぐるはずが、各寺院の閉園時間までわずか

そこでまずは芭蕉の歌碑と義経ゆかりの「高館義経堂」へ

 

最近連載されていた「ジパング深層海流」という漫画で興味がわいていた地


義経堂のあたりから見下ろす平泉の景色は、漫画であらわされていたものをほうふつさせる、山と河の風景

続いて「中尊寺」
有名な金色堂へ
藤原氏の話も先の漫画で興味があった


普通のお仏壇でも「お浄土」から回向されるように装飾されているが、このすべて金色に輝く姿は少しでもお浄土に近づけようとする、ある意味人間の浅はかな思いが形になったものと感じる
そう、お浄土も諸仏も、色もなければ形も匂いもない
想像の及ばない世界
それを人間の想像の限界であらわそうとしているだけ

と同時に権力の象徴でもあったんだろうな

この二か所が、ともに高台にあったため上り下りだけで時間と体力を消費
もう一か所、池を中心にお浄土を表した庭園のある「毛越寺」を予定してたけどタイムオーバー
残念

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お礼参りツアー2018 観光編 1

2018-09-08 12:22:39 | 日常雑感

 

さて、この「お礼参り」には、長いこと仕事やPTAで家族サービスしてこなかったことへのお詫びの意味も

で、今回は連れ合いのリクエストで東北に行くことを先に決め、それならば、と震災の地を訪れた

ということで、間に観光スポットも訪問させていただいた

1日目、石巻市では「石ノ森記念館」
私の世代だと、サイボーグ009や仮面ライダーはどストライクだし、キカイダーやイナズマンなど、テレビでも漫画でも楽しんできた
なので、ここの展示は宝の山だ

今の子どもらにも楽しんでもらえるように、歴代の仮面ライダーマスクが原寸大で展示され圧巻だった

でも、やっぱ1号や2号が石ノ森ライダーだなぁ、と。

ここから仙台に戻る途中では松島へ
事前に調べて、島々が一望できるところをナビ登録したのだが…
着いたのは山の中でぜんぜん景色が開けていないところ
なので写真はなしで、移動中に海と島の景色を堪能

仙台市に戻って、PTAフェスティバルでお世話になった公園へ
もう暗くなっていたので歩いただけだが、いつもブースだらけの景色だったんで何もないとちょっと寂しい
そこから、いつも昼食に寄っていた牛タンの店に向かうが…なくなってた?
道を間違えたのかな(T_T)
宿のチェックイン時間もあったんで、牛タンは断念

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お礼参りツアー2018 2日目 仙台市

2018-08-29 18:03:39 | PTA

1日目にここも訪れるつもりだったが、途中石ノ森記念館や松島など、以前の訪問では立ち寄れなかった観光名所も寄ったため、あわてて観るよりは…と翌日に訪れることにした荒浜小学校

6年前は仙台市教育委員会さんや仙台市PTAのご厚意もあって中を見学させていただいた
また4年前は同行した京都の仲間を前まで案内したが、中には入れなかった

今回、荒浜小学校は「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」として、一般見学者を受け入れる施設となっていた


外観はそのままで、波がきた位置を知らせるボードや部屋の名前、そして「閉校記念碑」が増えていた

裏側に回るとエレベーターが設置されており、屋上や各階に回れる

まずは屋上
そこから見える風景は6年前と変わっていない
がれきは撤去されているが、海までの更地、街があった周辺の更地が広がる
少し変わったのは電線が引き込まれ、この施設や周辺の施設に電気が通っていること

階段を降りて4階へ
ここは当時地域の方が避難されていた場所

黒板や掲示物は当時の様子を残しながら、在りし日の地域のジオラマが設置され、窓の外に広がる景色と比べることができる
語り部(教育委員会の方?)の方がいろいろと説明してくださる

6年前に訪れたことや、校長先生から直々にお話しいただいたことをお伝えすると
「隣の部屋で校長先生がたのお話が聞けるドキュメンタリーを放映してますよ」と教えていただいた

当時の報道などでも見ることができなかった、救助ヘリが撮影した映像と生々しい会話、学校や地域の方のお話が入れ替わりで続く
息をのむ時間とはこういう時間だと思う

今は壊されているが、6年前に案内していただいた体育館にあった時計もここに展示されている

時が止まったその針が示すのは・・・

3階は閉鎖されているが、2階・1階は被災にあった一部の教室が残されている
中には入れないが、廊下からのぞくことはできた

その廊下にも「ここまで水が来たから壁の色が違う」とわかる処が数か所あった

おそらく、前日に無理に来ていても閉館時間でこうやって見ることはできなかっただろう


学校を後にして、海沿いの慰霊碑へ
ここも4年前に訪れているが、いくつか新しいモニュメントも増えていた
また堤防がきれいになっていて、そこまで行けるようになっていた

きれいで静かな海
夏の日差し


本当なら海水浴客でにぎわっている場所だったろう



「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」のHPはこちら

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お礼参りツアー2018 1日目-2 石巻市

2018-08-21 20:01:10 | PTA

以前来たときは、女川町から石巻に向かう途中で「復興商店街」に立ち寄ったが、「希望の鐘商店街」は駅前に移設されていたので、そのまま石巻まで戻る

ナビをセットすると街中を通るルートが早いようだが、海沿いの道をできるだけ通って日和山へ

海沿いの道は、かさ上げ工事の最中だった
道を高台にすると同時に、防波堤の役目を持たせる
いくつか残っていて稼働している工場はあるけれど、海沿いの工業地帯はまだほとんど更地のまま

日和山からはその様子がよく見える

一方少し内陸の川沿いはかなり建物が増えている印象だった

川の中州には石ノ森章太郎の記念館
ここはすでに復興して稼働している

他の観光客にボランティアさんが説明していたので、横で一緒に聞かせていただいた
公園に掲示された震災前の写真パネル、今、目前にある風景

変わったところと変わらないところ

高速道路に向かう道、仮設住宅が延々と続く地域はまだ残っていた
が、おそらくまだそこで生活してる方は少ないように思えた

以前は散見した、街中にある「1階が無くなっている家」も撤去や建て替えでほとんど見られない

壊れたままだったアーケードもきれいになっていた

でも、やはり、まだ終わっていないと痛感する

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お礼参りツアー2018 1日目 女川町

2018-08-20 23:30:10 | PTA


今年の夏休みも、連れ合いと予定を合わせ旅行に行くことができた
車で遠出もこれが最後かもしれないので以前から連れ合いのリクエストを聞いいていた「平泉、花巻」を選択
それならば仙台に宿を取って、1日目は被災地の今を体感しに行こうということに

木曜日、連れ合いの仕事が終わるのを待ちなんだかんだ準備をして出発
帰省ラッシュの可能性がある関東ルートを避け、慣れ親しんだ北陸周りで
慣れてるとはいえ、何度も走った上越まででまだ半分
途中、こまめに休憩を取りながら約1000kmの移動


まずは、4年ぶりに、これまで2回訪れた女川町へ
町に向かう途中、以前は被災したままだった鉄道の線路はきれいに修復されていた
旧市街地に出る直前で散見された、基礎だけになった宅地も整備されていた
町に入ると、道路のあちこちは工事の障壁で道が入り組んでいる
おかげで、道を間違えて見えている目的地になかなか着かない


まずは旧医療センターへ
ここから被災した海側が一望できるが、ここは更地のまま
ただ、以前はあった倒壊したビルもきれいに撤去されていた

駅側を望むと、ずいぶん復興している
電車が通るようになり、駅周辺に多くの建物が

そこには新たな慰霊碑も立っていた
「いのちの石碑プロジェクト」のひとつ

医療センターをあとにし、途中駅前を通り、避難場所となっていた運動公園へ

途中に建設中の役所もあった
仮設住宅はほとんどなく、テニスコートが復活したり、マンションになったりしていた

ついで女川中学校へ
ふたたびここの石碑に向き合う
この高さまで水が襲っていた事実に改めて畏怖を覚える

以前がれき置き場だった道から戻ろうとしたが、ここは関係車両以外立ち入り禁止になっていた

駅前が復興していたので、見学
「START ONAGAWA」の旗が迎えてくれた

 


ここは依然訪れた「希望の鐘 復興商店街」が移設されたようだ
希望の鐘もあらたに設置され、キレイな駅前広場になっている

ただ、以前復興商店街にあったような小さなお店がどのくらいここに参加出来ているのか、少し心に引っかかった

ともあれ、駅を通じて、地元の方や訪れる方でにぎわっているのは良いことだ

 

ひとつ気になったのは、復興に際して、道を高くして防波の役割を持たせるという話を以前聴いていたのだが、それは進んでいないまま駅前が整備されていること
もちろん、役場の再興など予算の順番もあるだろうが
(あとで訪れた石巻や仙台はまずその道を高くする工事がされていたようだし)

 

ここまで変化したことが素敵なのはもちろんだが、まだまだ復興は途上だと感じた

忘れてはならない

ということと、私の言葉や写真だけで分かったつもりにならず、機会があればみなさんもぜひ自らの目で五感で触れていただきたい

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お礼参りツアー2018 序章

2018-08-18 10:23:06 | PTA

今年の春でひと段落ついたPTA活動
長くやらせていただきました
振り返ってみると、自分の学校や地域での活動がベースの活動だけだと思っていたものが、ある契機で全く違う視点を持つことになりました
それが東北大震災とその被災児童たちに対する活動
同じ「保護者」として何ができるのか

一区切りのこの夏、再び東北を訪れさせていただくことができました

「東北のことを忘れない」

以前から変わったところ、変わってないところを肌で感じてきました

昔のように長時間のPC作業ができないので、とぎれとぎれの投稿になりますが

まずは、これまでを振り返ってみます

小学校のPTA会長を引き受けたのが2011年、同時に区の理事校になっていたので区の代表として小P連の理事会に参加し、様々な研修などの機会をいただく

そんな研修の一つで、仙台を訪問された方々の話を聞かせていただいた

「遠いところでのお話」(2011年)

自分の学校の会長は続けても、理事の活動は任期の一年だけのつもりだったが、魅力的な方々の集まりに感化され、また日P全国大会の京都大会が迫っていたこともあり翌年も小P連に関わらせていただいた
そして、この年に京都のPTA代表として仙台PTAフェスティバルのお手伝いに同行させていただいた
そして、前年は話でしかなかった被災地を肌で感じた
6年前のこと


「仙台訪問(PTAフェスティバル)1」(2012年)

「仙台訪問(PTAフェスティバル)2」

「仙台訪問(PTAフェスティバル)3」

 

翌年は別の用事のため、夜に仙台入り

被災地訪問された方々と合流して、PTAフェスティバルだけのお手伝い
でも、そこに訪れる人を通して被災後に触れることができた

「仙台PTAフェスティバル 2013」(2013年)

翌年はPTAフェスティバル前日から訪問
この参加は京都市のPTAから予算を捻出していただいての訪問
私の力不足で諸事情から、毎年熱意をもって仙台や他地区のPTAさんと絆をつないでこられた先輩が参加できなくなり、私が唯一の参加経験者となった
ということで、私が同行した皆さんをご案内

「仙台訪問2014」(2014年)

「仙台訪問2014 その2」

そしてこの年を最後に、京都市PTAとしての仙台PTAフェスティバル参加は終わる
予算的な面もあるので仕方ないし、最初に被災地と関わって、熱く活動されていた先輩方が現役を離れ、顔ぶれも(考え方も)変わった
当時を知る私に力があり、先輩方のように熱意を伝えられれば何かが変わったかもしれないが、そういうキャラではなかったし、なにより力不足だった
立場も変わってしまったし

なので、何らかの形でこうして細々伝えるのが精いっぱい

しかし、この夏、少しまとまった休みが夫婦で合わせられたので、東北の旅行を提案してみた
連れ合いが活きたかった場所を絡めて、宮城も訪問させていただくことにした

ということで、まずは前置き
次回から今の被災地を報告させていただきたい

 

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呉竹総合支援学校地域交流会 講演

2018-07-21 01:00:00 | PTA

今回の講演はカウンセラーの古川先生
シンガーソングカウンセラーとしても有名で。京都のPTA関連ではよく講演をされている
私もなんどかお話を聞かせていただいている

以前お聞きしたことをブログの記事にしています
以前のブログ

お母さん目線の歌で、参加するお母さん方を滂沱の涙に誘うのがお得意だが、今回は歌はなし

ご自身の「総合支援学校」との関わりが前半、そして後半は「オープン・ダイアローグ」のお話だった

「統合失調症に効く薬はないが、この手法が効果があると近年話題になっています」
ということでした
(すいません、メモを取ってるわけではないので、表現に誤差があるかもしれません)

一聴していると、私もよく関わっているエンカウンターグループの様
「対象者が話しやすい環境をつくる」
「自らが自分を語る」

もちろん、いろんなプロセスがあるんだろうけど、今回お聞きした実践はこういう感じ


 ・問題を抱えた当事者数人とファシリテーターでグループワークを行う
 ・当事者の保護者が外側で(同じ部屋)それを聞いている
 ・一定時間話が進めば、保護者が席に座り当事者が周りに座る
 ・「今の話を聞いて語りたいことがありますか?」と促す
 ・一定時間をおいて、また当事者が中心になり、保護者は外側へ
 ・「保護者の話を聞いて語りたいことはありますか?」と促す
 ・一定時間をおいて、保護者が中心になり…

 と何セットかで繰り返すそうです

当事者と保護者が直接話し合えないことを一旦俎上に出す
当然、同じ場にいるのだからオープンな場所で共有する
同じ場にいるけれど、別のセッションなので本人が「語りきる」まで口をはさむことはない

と、話を聞いて理解はできるのですが、私が関わってきた「安全に語れる場」としては、当事者は当事者、保護者は保護者と分けることで「相手に知られることがないからこそ」語れる場作りでした
もちろん、理想は誰がその場に居ようと安心して「素の自分でいられる」場

このあたりがどういう効果をもたらすのか、あるいは弊害をもたらすのか
もちろん心理支援に「正解」はないのですから(この手法の統計上”効果がある”と言われているだけでしょうし)


でも、新しい”可能性”を知ったのはうれしいことです
今から学んで実践…というところまではエネルギーがないですが(苦笑)

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呉竹総合支援学校地域交流会 2018

2018-07-20 00:27:12 | PTA

地域の総合支援学校「PTA交流会」に参加させていただきました
ブログをさかのぼると2011年に初参加
8年目ですね

過去に参加した時のことも記事にしています
2011年
2012年

 

講演内容で感じたことは別で触れるとして、この交流会自体のことを


地域の小中学校には「育成学級」があります
全部の授業を一緒に受けられなくても、学校内で交流しながら育ちます
学校によっては「ことばときこえの教室」というふうに特定の障がいに対するケアを行う学校もあります

一方で、障がいの度合いによって、地域の学校ではなく「総合支援学校」に通うお子さんも居られます
同じ地域にいるPTA・保護者でありながら違う学校に通うことになります

また、小中学校(義務教育)では地域の学校のケアがあるけれど、受験によって進学先が決まる高校だと選択肢は狭まります
そうして、高校から総合支援学校に通うお子さんも居られます

そういうことだけでも共有できる機会
それが総合合支援学校のPTAさんが一生懸命企画され、継続されている「地域交流会」だと思います

私が毎年参加させていただく「呉竹総合支援学校」は伏見区と南区の一部学区から子どもらが通っています
この「一部学区」ってのが困ってしまいます

京都市のPTAでは5校種の連携が重視されています
が、それぞれの校種で構成される地域が違う

小学校では南区の小学校が一つのグループですが、一部の小学校は「西総合支援学校」の校区になります
すると、小P連の南支部で、呉竹さんの交流会を共有できない
中学校になると「下京・南・東山支部」となるので、通う支援学校はさらに複雑になります
なので、学校単位に案内が来るのですが、学校側の「意識」次第で、「大事な行事」になるか「その他多くの行事の一つ」になるか分かれます
実際、私の現役時代も「案内来てませんか?」と聞くまで、育成学級の保護者にしか案内が届いていない年もありました


実際は子ども同士の交流はあり、運動会や学芸会など地域のお子さんを招いて一緒に活動することもあります
でも、そのことをPTAや本部は知らないままだったりします

毎年、いろんな地域の保護者の方とグループワークをご一緒させていただき、毎年出てくる悩みは同じようなものです
各地域、学校で、この交流会のことを報告し、引き継いでいけば、もう少し何かが変わる気もします
(その辺を強制できないのが昨今のPTAのもどかしさですね)

私は、毎年の交流会でいろいろ学ばしていただきました
今年も、現役ではないのに、わざわざメアドを調べてお誘いくださいました
一方、私のいた学校からは誰も参加していませんでした

「知らなかった から 聞いたことがある」へ
別の活動の言葉ですが、最初は皆知らないので、まずは一歩踏み込んで知ってみること
知らないことは恥じゃない


来年、呉竹さんの交流会は20回目を迎えます
そこまで待たずとも、12月のPTAフェスティバルでいろいろアピールをされるようですので、気が早いですがぜひ皆さま足をお運びください

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心を開く…?

2018-06-15 01:50:01 | 真宗カウンセリング

前々回触れた

「心を開ける場」を誤解

ということについて少し言葉にしてみたい

カウンセリングを学んでいて重要な要素のひとつに「心を開ける場・時間の提供」ということがある
受容、共感、純粋性などを学び、実践していくことで相手の方が「そのままのわたし」で居てもらえるように努力する
まぁ、努力しているうちはテクニックに固執して不自然なんだけど、相手の方を尊重するに越したことはない

なので、そういう学びの方が集まる場では、1対1のカウンセリングでなくても、その場にいる人を尊重しようと努めてくださる

が、こういう言葉を投げかけられる
「心を開いて話せる場を用意しましたので…」
グループの問題解決を図るミーティングなので、解答が求められる
そのために、心を開いて話し合おうというのだ

「心を開く」前提の場…
これは何かが違う
「私は心を開けているだろうか?」と自問の時間が続く
しかもその時は私が心を閉ざす要因となる人物も同席している
守秘義務などもあり、状況説明もままならない状態
自己一致のところで表明するならば「困ってます」の言葉になる
が、問題解決の場ではそれでは進展しようがない

「心を開く」ことを強要するのはとても危ういことだ

 

別の場面ではこういう言葉を投げかける方もいた

「私がこんなに心を開いているのに、どうして応えてくれないのですか」
まぁ、簡単に答を言うと、
「あなたが開いていると満足しているだけで、私が心を開ける状況を提供してくださってませんよ」
もちろん、言葉にはせず、ただ黙るしかなかったですけどね


相手の方が「心を開ける場」だと感じてもらうにはこちらも「心を開く」のは大事
が、そういたからといって「心を開く」かどうかは相手の方の自由だし、尊重すべきこと
もちろん強要することじゃない


カウンセリング、傾聴の学びを、テクニックが身についてことでマインドを見失う方が多いのは残念なことだ

まぁ、そこは皆が通る道ではあるけどね

 

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