きっかけは妹の死
まぁ、こちらは前に取り込んでいたパソコンが壊れたので、新しいものにしたことを契機に、また、断捨離のためにCDを整理する意味もあるのですが
これも、やりだしたら固執していました
で、このCD整理をして気が付いたのは、ある時期に集中してCDを買い込んでいるということです
欲しいものがなければ、視聴コーナーでいろいろ聞いて、ふっと気に入ったものを買い込みます
いろんなことにバランスよく時間を使えば良いんでしょうが、この固執するというところに「過集中」の傾向が見られます
そしてご聴聞・求道するわけですが、自分のためというより周りの目を気にして、「若いのにえらいねぇ」と言われることがモチベーションだったように思います
そうして、自分自身の求道から、聞法集団の運営をお手伝いすることになります
(金銭的な提供もあります)
その活動に依存し、周囲から評価されることが本望だったからです
ワークショップの開催や、世話役として多少の報酬はいただきましたが、カウンセラーとしての公式資格は習得せず、もちろん職業ではありません
こちらは活動しながらNPO化をすすめ、多少なりとも報酬につながることもありましたが、その立ち上げや活動に関わる時間的拘束や持ち出し費用などを考えると、経済活動とはいえません
多い時には週に2・3回会議があるときもありましたから
他人に任せられる大きな店や会社を経営してる方には少ない負担でも、個人経営だと時間がとられる分収入減少ですから、毎月どんどんたくわえを吐き出す始末
このように、私の依存感は満足させられたものの、仕事や家庭の時間、収入を削っての活動は弊害を伴います
その一番が、身体の不具合を省みずに、その時々の依存感に浸ったこと
まぁ、経済的な問題もあり、医者を敬遠していたこともあります
私が望んでいた、目の前の人に褒めてもらうことが、いろんな場面でできていたのですから(その分、身近な家族らに褒めてもらえませんが)
目の前の喜びに目を奪われて、大事なもの(健康や家族)を失う
ということで、依存症は恐ろしいというお話でした
身体に起こっていることを言語化する
これって結構難しいものです
発達障がいの支援をしていたころ、傾聴の手法を教えることで、い発達障がいで困りを抱えている方は、「自分のことをわかってほしい」と思いながら、それが果たせずに戸惑っています
一番大きな問題は、聞き手側が「おそらくこういうことを言いたいんだろう」と慮って、話し手の言葉を最後まで聞かないこと
「一を聞いて十を知る」スキルのある人ほど、陥りやすいです
一方で伝える側も、その一をうまく伝えられない
それは、自分に起こっていることが「わかってもらえている」錯覚していることです
ここからは私の身体に起こっていることを一例に話します
私はもともと普通の「見えかた」をしていました
普通というのは、あくまで自己判断で、ほかの人が世界をどのように見ているかがわかりませんので、確かではありません
でも、自分の見え方を基準にするしかありません
そこそこ年齢を重ねてくると、乱視でものが2重3重に見えだしました
そのときは「最近ものが見えにくくなってきたな」という程度の知覚ですが、眼鏡を作ったらはっきりしました
かけているときとかけていない時で違いがあります
右が2重、左が3重
眼鏡をかけているときと外しているとき、それぞれの目だけで見ることでその違いが判りました
やがて、病気が進み、右目に異変が起こります
まっすくな線が歪んで見えます
モニターに四角形が映っているはずなのに台形に見えだします
そして、とうとう真ん中のほうが時には黒く、時には白くかすんで、片目だけでは見えているものを認識できません
こうなってはじめて、遠近感がうまく取れていないことに気づきます
そういえば、家族と行くUSJなんかの3Dアトラクションが、そんなに特別飛び出してくる感じがなかったのも、すでに両目の差があって本来の遠近感を錯視させる効果がなかったのかもしれません
と、つらつら書きましたが、私は元の状態と変わってしまった状態を段階的に経ているので、できなくなっていることを認知しています
これが生まれつき機能的に普通と違う人ならどうでしょう
今見えている状態がその人の「普通」であって、ほかの人ができることができなくても、自分の何かがおかしいとは気づけません
遠近っ感がとりづらく、鍵穴にすうっとカギが入れられないとか、少しの段差でけつまづくとか
それをおおくの「普通に見えている」人たちは
あなたはおかしい、どんくさい、いらいらする
などと責めてしまいます
「じつは左右の視力差があって、遠近感が苦手です」
と、自分に起こっていることを認知し、言語化して、他人に受容してもらえれば、少しは関係が変わるのですが
で、書き始めの発達障がいに戻りますが、こういうことが目の機能的なことで起こるのではなく、脳の働きによっておこります
言い換えると、機能的なことはメガネなどの補助具で修正できますが、脳の働きは修正できません(厳密にはいろんなホルモンや脳内物質の補助で改善するものもあるようです)
さらに、自分の中で起こっていることで、ほかの人とどう違うか認知できないし、言語化もできずに困ってしまいます
いや、困っていることもわかってもらえません
それに加えて、うまく伝えられないことで、聞く相手が途中で自己判断したり、想像で受け止めたりいしてしまう、最後まで話を聞かずに「普通じゃない」とレッテルを張ってしまう
そうされると、ますます閉じてしまうことになります
ここでは見え方を例にとりましたが、ほかにも聞こえ方であったり、行動の癖であったり、考え方の癖などがあります。
自分では普通にしてるのに、多数派の常識を基準に考えられてしまうので、発信することが抑えられてしまいます
そこで、この文章を目にとめた方、自分の「普通」が必ず
しも相手にとっても「普通」だと思うのではなく。また逆に「異常」だと思うのでもなく、「いろんな普通がある」ということを心にとめてください
また、できるだけ相手が「伝えたいことを伝えたいように」できるよう、傾聴ということを意識してみてください
いろいろ困っている方には、傾聴・カウンセリングを学ぶことで、自分の中に起こっていることを言語化する学び・訓練ができることをお知りおきください
私自身の体調のこともあって、大きなワークショップなどは開かないようになりましたが、私が学んできたことをお伝えすることはできるかもしれません
積極的には動きませんが。お手伝いできることがあれば
子どもらに仏法を聞いてもらいたい
その根本願望は、力が入っていた時も力が抜けた今も変わりません
私の願望は願望として
でも、それを「絶対」とはせず、子どもらは子どもらの「選び」として
とはいえ、ご縁はつけておきたいので、子どもらの名前を付けるときに思いっきり願いを込めています
子どもらの生まれたときは「絶対に聞かせよう」と思っていたから余計にこだわってますね
4人の子どもがいますが、すべてほとけさまの「おはたらき」を紡いでいます
一人目は「深法」
「みのり」と読みます
「法」というのはほとけさまの願いそのもの
ほとけさまの願いを「仏法」と呼び、願いを聞くことを「仏法を聞く」といいます
法だけのことを「御法」といい、「ごほう」あるいは「おみのり」
といいます
私がほとけさまの願いに出会わせていただいたのが浄土真宗で、その宗歌のはじまりが
「深きみのりに遇いまつる」
なので、その漢字をいただき、深い法で「深法」
二人目は「真実名」
「まみな」と読みます
「名」というのは名前、ここでは阿弥陀仏という名前のことです
この「阿弥陀仏」というのはただの呼び名ではなく、あるほとけさまが、すでにご自身は悟りを開いているのに、衆生を救うためにわざわざ仏の位を捨て修業しなおしてくださった、そしてこの私を救う手立てが出来上がったときに「阿弥陀仏と名乗る」と誓われた
つまり、その名乗りが「お救い」でありほとけさまのおはたらきそのものなのです
「称名」というのはそのお名前を称えさせていただくこと
先に書いた宗歌の中に「六字の”み名”をききひらき」とあります
なので「まことのみ名」なので「真実名」
よく「真美名」と間違えられますが、”真実”というところに意味があります
三人目は「光」
「こう」とよみます
ほとけさまは姿・形がありません
みなさんがよく知る姿は、拝みやすいように人間の形を模して表されたもの
(だから偶像崇拝だと批判する方もいます)
ではどういうものなのか…一番イメージしやすいのが”光”です
まぁ、これも人間の知覚に合わせたイメージですが、光り輝くものは神々しく感じる、崇高に感じる、そういうことですかね
そしてもうひとつ、”光”には、ほとけさまの「知恵」「慈しみ」「願い」という側面もあります
お経を和訳したもののひとつに
ひかりといのち きわもなき
とはじまるものがあります
光明無量 寿命無量
のことで、そのお知恵やお命に限りがないと讃えているものです
だから、いつでもだれでもどこでも「いまそこにあるまま救う」と誓ってくださっています
四人目は「聲」
「しょう」とよみます
残念ながら、この漢字は常用漢字ではないので、学校などは「声」にしています
最近では「聲の形」という漫画・アニメになったので、少しメジャーになった字ですね(その勢いで常用漢字化してほしいのですが)
聲というのはほとめさまの呼び声
お前を必ず救うぞ
という力強いお誓いのことです
名聲超十方
という言葉がありますが、その聲は十方を超えるというもの
十方は四方八方に上下を加えたあらゆる方角、いやさらには過去も未来も超えた「あまねくいまここ」
と、どの名前にもほとけさまそのもの、願いそのものがこめることができました
その想いを子どもらに知ってほしいという力みはやはりありますが、こちらからの押し付けでなく、いつか子どもらが自分から向き合ったときにきっかけ、機縁となれば
そのときに直接伝えられたらいいのですが、こうして記録しておくことで
まぁ遺言ですね
自分が出会いお聞かせに預かった「仏法」というもの
これをどう伝えていくか
この人生の半分以上をかけて模索してきた気がする
活力ある頃は「聞かせていただいたものを、次に伝えるのは当然のことだ」という半ば使命感のようなものでとらわれていた気がする
特に、我が子に対して「それが親の責務だ」と
そう思わされた根拠は「この”私”において」お聞かせにあずかったのは、先達たちが私に伝えずにおれないという思いをもって伝道してくださった事実があるから
もしその流れの誰かが「もう伝えるのをやめよう」と思っていたら、私への道は閉ざされていた
だから、私が止めるわけにはいかない、と
しかし、いつしかそれは相手に対しての押し付けの感情となり、「私が止めるわけにはいかない」という思いへの自己満足となっていることに気づいた
相手のための伝道ではない、自分のためのものだ
もちろん、そのことは私にとって意味がある
もう一方で、子どもへの執着という面もある
この子が私のことして生まれてきた”ご縁”は、仏法を聞くためだ、と
しかし、その思いも力が入りすぎていたように思う
親子といえど仏法の前では「個」だ
子どもの後生・迷いの世界の責任を親がとることはできない(もちろんその逆も)
独生独死
もしこのまま我が子が仏法と縁がなく、哀しむべきことになったとしても私はその責任をとれない
そして、私がその哀しい思いをする責任は子どものせいではなく、私が私の”業”によって、引き起こし、引き受けていかなければならないもの
仏法を聞かない子どもと縁があったのは、私のせいなのだ
もし、喜ばしいことに仏法に出会う子になってくれたとしたら、それは私の手柄ではなく、仏様の手柄だ
当然のことだろう
などということを最近漠然と考えていた
伝道を押し付けることはしないが、私の思いを残すことで、もし何かが生まれるのならば
そんなことを考えて、少しずつ記録しておこうかなとも思う
ちょっと思索にふけるまとまった時間をもらう環境になったので
でも、長時間のPC作業に目が耐えられないので、とぎれとぎれになるのはご容赦願いたい
(あと、誤字脱字や文章の区切りのおかしいのもご容赦を)
この旅のあと、すでにあちこち訪れていろいろ感じていますが、その元にこの旅で感じた様々な思いがあるので、だいぶ間延びしましたが旅の記録を完成させましょう
2泊目を広島で取り、午後にお友達に会う約束ができたので(急遽お願いしてすみません)午前中はちょっと山の方に足を延ばすことに
九州への行きしなに休憩したSAで見つけた気になるもの
「三次もののけロード」なるものがあったので、スタンプラリーがてら足を延ばしてみました
前回の旅で小泉八雲や水木しげるなんかに触れていたので、その余韻もあったのでしょう
中国道を利用して、数か所のSA/PAでスタンプを集め、もののけミュージアムへ向かいます
朝の山間部は昨日までの雨で霧に包まれ幻想的
もののけミュージアムは…町おこしで頑張ってるんでしょうけど、観光地がいっぱいある京都に住んでると単体ではなぁ…という感じでした
で、目的の呉に移動です
先の記事でも書いた、ネットで多くのお寺の方とやり取りしていたころにお名前を存じていましたが。その後真宗カウンセリングを学ぶようになって何度もご一緒させていただく機会があったIさん
お寺にお参りさせていただくのは初めてです
今回の旅で「お寺の役割は?」というのも一つのテーマでしたが、真宗が篤く根強いている地域でもあり、ご住職の工夫と地域の方の協力で、「ここにこのお寺がある意味」を感じました
そこは、真宗カウンセリングを学び「目の前の方を大切にする」視点と、真宗として後進を育てる視点を兼ね備えているIさんならではのものと感じました
無理なく、目の前の「存在」と関わりながら、阿弥陀様の願いを押さえている…って感じでしょうか
ご自身もいろいろと悩める「存在」であることにも自然体で居られることも
社会的な活動にも、私がPTAでいろいろ活動したこととリンクしますし
お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました
その帰り道に、ご近所でもある「信楽師」のお寺の前を通らせていただきました
「信楽師」の下で学ばれた方とは結構ご縁があり、師の「真宗会の現状への不満」であったり、師の思いの一部を取り上げ頑なに「排他」する門下生とのやり取りとか
これも若気の至りでしたね
そんなことを思い返しながら
また、師とは義父や西光先生と一緒にお話しさせていただく機会も何度かありました
と言っても、お三人が篤く語られるのを横で聞いているだけでしたが
でも、それも大きな学びでしたね
今思えば、このお三方は、「真宗の僧侶」という立場でありながら、宗派を超えた視点で阿弥陀様との出会いを語ってくださっていた気がします
枠にとどまらない
最近の私が感じているところも、こうやって思い返せば「自由」な諸先生に触れさせていただいたことが影響ある気がしてきました
私自身の終活
あとどれくらい刺激に出会えるかわかりませんが
山口県をぐるりと北上して長門市に入り、仙崎港にむかいます
ここは仕事で何度か訪れてますが、キレイな道の駅ができてました
金子みすずの街
長門、仙崎にはいろいろご縁があります
20代後半、浄土真宗に出会い「信心」ということをご縁のあった方々から導いていただき、自らの体験を通じて味わったとき、ネットというものが動き出して家にいながらいろんな方と意見を交わすことができる時代になりました
連れ合いを通じて知り合った僧侶の方々とも、寝る間を惜しんで言葉を交わしたものです
というか、深夜だったら定額でネットができた…って時代ですね(笑)
「浄土真宗」という共通言語のはずが、求道中心で個人として語るものと、教団というものを背負って「お寺」として語るもの
同じ言葉を使っても「似て非なるモノ」でかみ合いません
その根底には「私が正しい、打ち負かしたい」という心があるのですが
そういう関わりの中で、お一人だけ違う視点を持った方がおられました
今の私なら、それはカウンセリング・マインドなんだろうなと思うのですが。その方だけは「受け入れる」態度でいらっしゃった
その方がご自身のホームぺージで紹介されてたのがその方の地元、長門であり仙崎であり金子みすずさんでした
今回、その方のお寺もお参りしたかったのですが、仙崎に着いたのも道の駅のお店が閉まるような時間でしたから
で、車を道の駅にとめて、歩いて「仙崎駅」から「みすずロード」を歩きます
ここはお店や、普通の家の軒先に「金子みすず」の詩が掲げてあります
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
私は彼女を、
仏様の視点で命を見つめた人
と思っています
朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の底では何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう
何度も、いろんなところで見聞きしてる詩でも
この地に立って目にすると深い思いに浸れます
青梅島まで足を延ばしたかったのですが、遅くなったので港から青梅島を眺めて、この地を後にして広島まで移動しました
本州に戻って、まずは六連島へ
目的は、浄土真宗の妙好人「おかる」さんに出会う旅
妙好人っていうのは、浄土真宗の世界で使われる言葉で、お坊さんじゃないけど熱心な信者・門信徒で、下手すりゃそこらの「お寺の息子なんでお寺継ぎました」ってお坊さんよりはるかに「信心」深い一般人(失礼があればお許しを)
この「おかる」さんは、お経を読んだり、難しい言葉を残すことはなく、ご自身が感じたことを平易な歌にして残された
(自身は文字をかけないので、お世話をしたお坊さんが書き記したとか)
聞いてみなんせ まことの道を
無理な教えじゃ ないわいな
きのう聞くのも 今日また聞くも
ぜひに来いとの および声
仏法をお経などを”読み解く”難しいものと思っている人が多い中で、「そうじゃない、難しいことは阿弥陀さんがしてくれてるので、凡夫の私は聞かせてもらうだけだ」と、そして「難しいとか、学がないとか言ってないで、それが明日になろうとそんなに偉くなるもんじゃないから、”今”聞けばよい」と言うことを「昨日聴いたことと、今日又聞いてもおんなじ”仏に任せて浄土においで”」という呼び声だと。
なんと、確信をついた言葉でしょう
お坊さんの何十分かけたご法話より、端的に表してます(たびたび失礼があれば…以下略)
ということで、そんなおかるさんの育った地の空気にぜひ触れるべく、六連島連絡船の船着き場に向かいます
当初の予定は、一日目にいろいろ寄り道して下関で宿を取り、午後に知人と約束なので二日目午前中に六連島へ…だったのですが、一日目に九州まで行き、その流れで午前中九州巡り(前回までのレポート)となったので到着は午後
船着き場がなかなか見つからず、ナビを頼りにやっと着いたので駐車場らしきところで藩士を聞くと…
「今から行くんですか?
行ったらもう帰ってくる便ありませんよ」
とのお言葉
観光で六連島に行くなら、朝6時ごろの便に乗ってゆっくりするのが”定番”なんだとか
ということで、渡航は諦め、六連島が望める場所を求めて彦島(橋で渡れる)へ
うろうろしてたら「ナイスビュー彦島」なるスポットに偶然たどり着き、スマホのMAP見ながら景色観てたらしっかりと六連島を望むことができました
なので、ここでおかるさんに思いを馳せてしばし海風に浸ります
更に車を走らせ、今まで仕事で来るときは効率考えて高速道路前提のルート選びしてたところを、「のんびり景観重視」モードでルート選択
海沿いの国道を軸に、目的地の仙崎に向かいます
途中、前日の台風で「災害迂回」なんて目にも会いましたが
都会にいると「迂回」って言われても、まっすぐ行きたいところを2・3回曲がれば元の位置に行くのですが…
地元らしい前の車について迂回路走ってたら、最初の曲がり角まで10分以上、どんどん山の中に入っていって、なんだかんだで30分以上…
やっと元の国道に戻ってきました
途中、ナビ派違う道を示しだしたんですが、あとで見たらそこまで山の中に入っていったならそのまま山を突っ切るショートカットのルートがあったようです
まぁ、そこはのんびり旅
途中で見つけた道の駅に停まったら、ちょっと回り道したら絶景のポイントがあったのですが…
さすがに、午前中ののんびり旅と、先の迂回で結構時間が経過してたんで断念
今思えばもったいないことしたと後悔してます
仙崎に行く前に寄りたかったポイント「元乃隅神社」へ
ここは何気なしに見ていたテレビ番組で取り上げられてた絶景ポイントで、海に向かっていくつもの鳥居が連なっているというところ
国道から外れて、離合の難しい道を数十分走って到着
駐車場が観光地っぽくなっていて(普通の道に「この先通行止め」なんて看板だして誘導している 怒)躊躇しましたがここまできたので
まぁ、京都の観光地の駐車場よりは安いですけどね
台風の影響で、「青空に赤い鳥居が映え」とまでは行きませんでしたが、確かに素敵な景観です
鳥居は123本あるとか
一つくぐるごとに煩悩一つ滅してくれたらおつりがくるのですが…(笑)
そういえば、連れ合いと出会った時に北野天満宮に初詣に誘ったとき
「私はお寺の娘だから鳥居はくぐらないの」
などと言われ、鳥居の外側を通ってお参りに行ったことを思い出したりして
(うーん、甘酸っぱい思い出だ)
ここは通路がこの鳥居くぐりしかないんで(それでも足元おぼつかない私には苦難の道)全部くぐりましたとも
海側は切り立った岩場
東尋坊などにも似た感じ
そういえば、ここも日本海なのには変わりないですね
ちょっとのんびりした後、再び仙崎に向かいます
仙崎にも深い思いがあるので、それはまた次回に
K君たちとの楽しいひと時の余韻にひたり、電車で関門海峡をくぐり下関のお宿へ
世間は台風で電車も運休だらけ…なんてことも酔いで気づかず
ほんと真酔って(迷って)いるわが身です
ただ、夜中にひっきりなしに「避難警報」がスマホからなりまくってたのはつらかったですが
明けて二日目、まずは小倉まで戻ります
ホテルの送迎者で下関駅まで戻ったら、本州側のJRはすべて運休
小倉行きはなんとか動いてました
駅で車を引き取り、お礼参り再開
まずは北九州市にある「善定寺」さんへ
私が求道を始めたころ、ここのおばあちゃんに「若いのに熱心やね」とほめてもらったことは今も忘れられず、ほめられること大好きな私はその期待の応えるべく求道に励む…そんな思い出のおばあちゃんの旧跡です
また前住職の先生は、求道や伝道で同じ時代を過ごした仲間であり、その姿からは多くのことを学ばせてもらいました
先生と組んで座談法座のお世話をさせていただいたことは、ファシリテーターということを実体験で学ばせていただく機会でしたし、のちのカウンセリングの学びに通じるものがあります
さらにこのお寺の三姉妹、同じ年代ということもあり、「青春と求道」という裏テーマで様々な考え方を実感した仲間でもあります
思い起こせば、それらすべては、家族に対して、いや家族だからこそ、(嫌われても)妥協せずに仏法の厳しさを説いたおばあちゃんの「願い」にあります
先生の体調のことや、すでに新しい世代に変わっていることもあり、お声かけはせずに外からそっとお参りさせていただきました
こういう「人」を通じてのご縁がなければ、今の私はない
当たり前と言えば当たり前ですが、決して当たり前ではない「有り難い」ことです
南無阿弥陀仏
お寺にお参りさせてもらうのは2度目かな
娘さんらとは連れ合いもご縁が深いので、連れ合いも一緒の旅行で九州も設定したいな
来年くらい元気が残ってれば実現させましょう
帰り道、せっかくだからと「とんこつラーメン」の店を探して楽しんで、九州を後にしました
今回、言葉にしてみたことを細かく掘り起こしても、文章だけだとなかなか伝わらないだろうなって思いもありますが…
私自身のところで言葉にしてみましょう
まず、私は
間違いなく浄土真宗とのご縁で「阿弥陀仏」との直接的な関係を築いています
これは私と阿弥陀様「1対1」のことであり、それを他人に置き換えたり、標準化するものではありません
ただ、そのことを”味わう”のは、人間として生きる中での多くの方との出会いであり、その関わりで起こる”こころのひだ”のうごめきです
だから、引きこもって一人でいると、言葉にすると”ズレ”につながってきます
その上で
私の大問題は”死”であり、それはそこで終わりではなく「迷い続ける」というところにあります
それは祈りや行ではいかんともしがたく、ただ阿弥陀様の「お前を救わずにはおかない」という誓願を受け入れること
それは”信”であり、そこで起こる「南無阿弥陀佛」という称名です
「南無」とは、こちらから阿弥陀様に頼む「一念」であり、阿弥陀様からの”頼む”の叫びです
「阿弥陀仏」とは、その誓願が成就した証であり、「必ず救うぞ」に誓いが成立した証です
ということで、私の「迷い続ける」ことを断ち切るのは、私と阿弥陀様の「1対1」の問題です
だから、その他のものは必要ありません
たまたまそれが私に届いたのが、人間の時であり、仏教であり、浄土真宗であり、様々な善智識との出会いによるものだった
阿弥陀仏の思念を人間の言葉にしたお釈迦さまがおられ
インドの言葉から中国の言葉を経て日本語として伝わってきた
そのさなかで、この私に合っているのは修行ではなく、より簡単な方法であり、ただ「誓願を成就」した阿弥陀様の名前を呼ぶだけで良いと
ただ、漫然と呼ぶのではなく、そこに「救うぞ」という願いを受け入れる「信」を問うことは大事だと
それが私にとって、仏教であり、浄土教であり、浄土真宗だった由縁ですね
と、浄土真宗から阿弥陀様を尋ねるとあきらかになります
救われるのは「そうでしかない」と
ここで、カウンセリングが身に染みてくるともう一つの視点が表れます
相手を尊重するということ
私自身は「そうと思えない」ということも尊重します
そこに引っかかるのは、かつての私が「そう思えない」という人に対して否定・批判の態度で接していたことにあります
「阿弥陀様の救い」を純粋に突き詰めると、そこに対する「疑い」は一切認められません
私に対して「信」を示してくれた「善智識」のように、「親鸞聖人」のように「法然上人」のように
そう、生き様のほうに目が行ってしまい、そうなれない人をさげすんでしまいます
そのことがしんどくなってきて、「そうは思えない」という人も尊重したいという思い
私に対してお救い示してくださった阿弥陀仏は、「すべての生きとし生けるもの」に願いを立てておられます
ならば、浄土真宗じゃなくとも、浄土教じゃなくとも、仏教じゃなくとも、あるいは人間じゃなくとも
阿弥陀仏の願いは無条件ですから
まぁ、このことに対する落とし穴も明確になっているのですが
そのあたりが、前回の旅で
神様を畏れ大事にする人たちや
幽霊など怖れる心境の人たちや
パワースポットなどに頼る人たち
に触れて、こういう人たちにも「願い」はかかっていることを感じるにつながりましたし
それが
「信」ということに対して、「そう思えない目の前の人も尊重したい」ということにつながります
むしろ今は、そういう人たちが愛おしく、押し付けではなく「わたしはこう信じさせていただいています」と語り合いたい気持ちがあります
そのとき、私の中で「真宗 と カウンセリング」として、そこにいる存在が「真宗」と「カウンセリング」をつなぐものにあるんだな、と。
来月、真宗カウンセリングについて語る機会がもらえるかもしれないので、このことをひと月かけてもうちょっと深めてみたいと考えてます
K君、S君とのほんの数時間でこういうことが言語化されてきました
期待以上の時間でした