コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー 2019晩夏 その6

2019-10-10 11:02:54 | お礼参り

この旅のあと、すでにあちこち訪れていろいろ感じていますが、その元にこの旅で感じた様々な思いがあるので、だいぶ間延びしましたが旅の記録を完成させましょう

2泊目を広島で取り、午後にお友達に会う約束ができたので(急遽お願いしてすみません)午前中はちょっと山の方に足を延ばすことに

九州への行きしなに休憩したSAで見つけた気になるもの

「三次もののけロード」なるものがあったので、スタンプラリーがてら足を延ばしてみました

前回の旅で小泉八雲や水木しげるなんかに触れていたので、その余韻もあったのでしょう

中国道を利用して、数か所のSA/PAでスタンプを集め、もののけミュージアムへ向かいます

朝の山間部は昨日までの雨で霧に包まれ幻想的

もののけミュージアムは…町おこしで頑張ってるんでしょうけど、観光地がいっぱいある京都に住んでると単体ではなぁ…という感じでした

で、目的の呉に移動です

先の記事でも書いた、ネットで多くのお寺の方とやり取りしていたころにお名前を存じていましたが。その後真宗カウンセリングを学ぶようになって何度もご一緒させていただく機会があったIさん
お寺にお参りさせていただくのは初めてです

今回の旅で「お寺の役割は?」というのも一つのテーマでしたが、真宗が篤く根強いている地域でもあり、ご住職の工夫と地域の方の協力で、「ここにこのお寺がある意味」を感じました
そこは、真宗カウンセリングを学び「目の前の方を大切にする」視点と、真宗として後進を育てる視点を兼ね備えているIさんならではのものと感じました

無理なく、目の前の「存在」と関わりながら、阿弥陀様の願いを押さえている…って感じでしょうか

ご自身もいろいろと悩める「存在」であることにも自然体で居られることも

社会的な活動にも、私がPTAでいろいろ活動したこととリンクしますし


お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました


その帰り道に、ご近所でもある「信楽師」のお寺の前を通らせていただきました

「信楽師」の下で学ばれた方とは結構ご縁があり、師の「真宗会の現状への不満」であったり、師の思いの一部を取り上げ頑なに「排他」する門下生とのやり取りとか
これも若気の至りでしたね
そんなことを思い返しながら

また、師とは義父や西光先生と一緒にお話しさせていただく機会も何度かありました
と言っても、お三人が篤く語られるのを横で聞いているだけでしたが
でも、それも大きな学びでしたね

今思えば、このお三方は、「真宗の僧侶」という立場でありながら、宗派を超えた視点で阿弥陀様との出会いを語ってくださっていた気がします

枠にとどまらない

最近の私が感じているところも、こうやって思い返せば「自由」な諸先生に触れさせていただいたことが影響ある気がしてきました


私自身の終活
あとどれくらい刺激に出会えるかわかりませんが


お礼参りツアー 2019晩夏 その5

2019-10-10 09:53:50 | お礼参り

 

山口県をぐるりと北上して長門市に入り、仙崎港にむかいます
ここは仕事で何度か訪れてますが、キレイな道の駅ができてました

金子みすずの街

長門、仙崎にはいろいろご縁があります

20代後半、浄土真宗に出会い「信心」ということをご縁のあった方々から導いていただき、自らの体験を通じて味わったとき、ネットというものが動き出して家にいながらいろんな方と意見を交わすことができる時代になりました

連れ合いを通じて知り合った僧侶の方々とも、寝る間を惜しんで言葉を交わしたものです
というか、深夜だったら定額でネットができた…って時代ですね(笑)

「浄土真宗」という共通言語のはずが、求道中心で個人として語るものと、教団というものを背負って「お寺」として語るもの
同じ言葉を使っても「似て非なるモノ」でかみ合いません
その根底には「私が正しい、打ち負かしたい」という心があるのですが

そういう関わりの中で、お一人だけ違う視点を持った方がおられました
今の私なら、それはカウンセリング・マインドなんだろうなと思うのですが。その方だけは「受け入れる」態度でいらっしゃった

その方がご自身のホームぺージで紹介されてたのがその方の地元、長門であり仙崎であり金子みすずさんでした

今回、その方のお寺もお参りしたかったのですが、仙崎に着いたのも道の駅のお店が閉まるような時間でしたから

で、車を道の駅にとめて、歩いて「仙崎駅」から「みすずロード」を歩きます
ここはお店や、普通の家の軒先に「金子みすず」の詩が掲げてあります

 「遊ぼう」っていうと

 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと

 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと

 「もう遊ばない」っていう。

  そして、あとで

  さみしくなって、

 「ごめんね」っていうと

 「ごめんね」っていう。

  こだまでしょうか、

  いいえ、誰でも。



私は彼女を、

仏様の視点で命を見つめた人

と思っています



  朝焼け小焼けだ
  大漁だ

  大羽鰮(いわし)の
  大漁だ


  浜は祭りのようだけど

  海の底では何万の
  鰮(いわし)のとむらい
  するだろう

何度も、いろんなところで見聞きしてる詩でも
この地に立って目にすると深い思いに浸れます

青梅島まで足を延ばしたかったのですが、遅くなったので港から青梅島を眺めて、この地を後にして広島まで移動しました