コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー2018 2日目 仙台市

2018-08-29 18:03:39 | お礼参り

1日目にここも訪れるつもりだったが、途中石ノ森記念館や松島など、以前の訪問では立ち寄れなかった観光名所も寄ったため、あわてて観るよりは…と翌日に訪れることにした荒浜小学校

6年前は仙台市教育委員会さんや仙台市PTAのご厚意もあって中を見学させていただいた
また4年前は同行した京都の仲間を前まで案内したが、中には入れなかった

今回、荒浜小学校は「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」として、一般見学者を受け入れる施設となっていた


外観はそのままで、波がきた位置を知らせるボードや部屋の名前、そして「閉校記念碑」が増えていた

裏側に回るとエレベーターが設置されており、屋上や各階に回れる

まずは屋上
そこから見える風景は6年前と変わっていない
がれきは撤去されているが、海までの更地、街があった周辺の更地が広がる
少し変わったのは電線が引き込まれ、この施設や周辺の施設に電気が通っていること

階段を降りて4階へ
ここは当時地域の方が避難されていた場所

黒板や掲示物は当時の様子を残しながら、在りし日の地域のジオラマが設置され、窓の外に広がる景色と比べることができる
語り部(教育委員会の方?)の方がいろいろと説明してくださる

6年前に訪れたことや、校長先生から直々にお話しいただいたことをお伝えすると
「隣の部屋で校長先生がたのお話が聞けるドキュメンタリーを放映してますよ」と教えていただいた

当時の報道などでも見ることができなかった、救助ヘリが撮影した映像と生々しい会話、学校や地域の方のお話が入れ替わりで続く
息をのむ時間とはこういう時間だと思う

今は壊されているが、6年前に案内していただいた体育館にあった時計もここに展示されている

時が止まったその針が示すのは・・・

3階は閉鎖されているが、2階・1階は被災にあった一部の教室が残されている
中には入れないが、廊下からのぞくことはできた

その廊下にも「ここまで水が来たから壁の色が違う」とわかる処が数か所あった

おそらく、前日に無理に来ていても閉館時間でこうやって見ることはできなかっただろう


学校を後にして、海沿いの慰霊碑へ
ここも4年前に訪れているが、いくつか新しいモニュメントも増えていた
また堤防がきれいになっていて、そこまで行けるようになっていた

きれいで静かな海
夏の日差し


本当なら海水浴客でにぎわっている場所だったろう



「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」のHPはこちら


お礼参りツアー2018 1日目-2 石巻市

2018-08-21 20:01:10 | お礼参り

以前来たときは、女川町から石巻に向かう途中で「復興商店街」に立ち寄ったが、「希望の鐘商店街」は駅前に移設されていたので、そのまま石巻まで戻る

ナビをセットすると街中を通るルートが早いようだが、海沿いの道をできるだけ通って日和山へ

海沿いの道は、かさ上げ工事の最中だった
道を高台にすると同時に、防波堤の役目を持たせる
いくつか残っていて稼働している工場はあるけれど、海沿いの工業地帯はまだほとんど更地のまま

日和山からはその様子がよく見える

一方少し内陸の川沿いはかなり建物が増えている印象だった

川の中州には石ノ森章太郎の記念館
ここはすでに復興して稼働している

他の観光客にボランティアさんが説明していたので、横で一緒に聞かせていただいた
公園に掲示された震災前の写真パネル、今、目前にある風景

変わったところと変わらないところ

高速道路に向かう道、仮設住宅が延々と続く地域はまだ残っていた
が、おそらくまだそこで生活してる方は少ないように思えた

以前は散見した、街中にある「1階が無くなっている家」も撤去や建て替えでほとんど見られない

壊れたままだったアーケードもきれいになっていた

でも、やはり、まだ終わっていないと痛感する


お礼参りツアー2018 1日目 女川町

2018-08-20 23:30:10 | お礼参り


今年の夏休みも、連れ合いと予定を合わせ旅行に行くことができた
車で遠出もこれが最後かもしれないので以前から連れ合いのリクエストを聞いいていた「平泉、花巻」を選択
それならば仙台に宿を取って、1日目は被災地の今を体感しに行こうということに

木曜日、連れ合いの仕事が終わるのを待ちなんだかんだ準備をして出発
帰省ラッシュの可能性がある関東ルートを避け、慣れ親しんだ北陸周りで
慣れてるとはいえ、何度も走った上越まででまだ半分
途中、こまめに休憩を取りながら約1000kmの移動


まずは、4年ぶりに、これまで2回訪れた女川町へ
町に向かう途中、以前は被災したままだった鉄道の線路はきれいに修復されていた
旧市街地に出る直前で散見された、基礎だけになった宅地も整備されていた
町に入ると、道路のあちこちは工事の障壁で道が入り組んでいる
おかげで、道を間違えて見えている目的地になかなか着かない


まずは旧医療センターへ
ここから被災した海側が一望できるが、ここは更地のまま
ただ、以前はあった倒壊したビルもきれいに撤去されていた

駅側を望むと、ずいぶん復興している
電車が通るようになり、駅周辺に多くの建物が

そこには新たな慰霊碑も立っていた
「いのちの石碑プロジェクト」のひとつ

医療センターをあとにし、途中駅前を通り、避難場所となっていた運動公園へ

途中に建設中の役所もあった
仮設住宅はほとんどなく、テニスコートが復活したり、マンションになったりしていた

ついで女川中学校へ
ふたたびここの石碑に向き合う
この高さまで水が襲っていた事実に改めて畏怖を覚える

以前がれき置き場だった道から戻ろうとしたが、ここは関係車両以外立ち入り禁止になっていた

駅前が復興していたので、見学
「START ONAGAWA」の旗が迎えてくれた

 


ここは依然訪れた「希望の鐘 復興商店街」が移設されたようだ
希望の鐘もあらたに設置され、キレイな駅前広場になっている

ただ、以前復興商店街にあったような小さなお店がどのくらいここに参加出来ているのか、少し心に引っかかった

ともあれ、駅を通じて、地元の方や訪れる方でにぎわっているのは良いことだ

 

ひとつ気になったのは、復興に際して、道を高くして防波の役割を持たせるという話を以前聴いていたのだが、それは進んでいないまま駅前が整備されていること
もちろん、役場の再興など予算の順番もあるだろうが
(あとで訪れた石巻や仙台はまずその道を高くする工事がされていたようだし)

 

ここまで変化したことが素敵なのはもちろんだが、まだまだ復興は途上だと感じた

忘れてはならない

ということと、私の言葉や写真だけで分かったつもりにならず、機会があればみなさんもぜひ自らの目で五感で触れていただきたい


お礼参りツアー2018 序章

2018-08-18 10:23:06 | お礼参り

今年の春でひと段落ついたPTA活動
長くやらせていただきました
振り返ってみると、自分の学校や地域での活動がベースの活動だけだと思っていたものが、ある契機で全く違う視点を持つことになりました
それが東北大震災とその被災児童たちに対する活動
同じ「保護者」として何ができるのか

一区切りのこの夏、再び東北を訪れさせていただくことができました

「東北のことを忘れない」

以前から変わったところ、変わってないところを肌で感じてきました

昔のように長時間のPC作業ができないので、とぎれとぎれの投稿になりますが

まずは、これまでを振り返ってみます

小学校のPTA会長を引き受けたのが2011年、同時に区の理事校になっていたので区の代表として小P連の理事会に参加し、様々な研修などの機会をいただく

そんな研修の一つで、仙台を訪問された方々の話を聞かせていただいた

「遠いところでのお話」(2011年)

自分の学校の会長は続けても、理事の活動は任期の一年だけのつもりだったが、魅力的な方々の集まりに感化され、また日P全国大会の京都大会が迫っていたこともあり翌年も小P連に関わらせていただいた
そして、この年に京都のPTA代表として仙台PTAフェスティバルのお手伝いに同行させていただいた
そして、前年は話でしかなかった被災地を肌で感じた
6年前のこと


「仙台訪問(PTAフェスティバル)1」(2012年)

「仙台訪問(PTAフェスティバル)2」

「仙台訪問(PTAフェスティバル)3」

 

翌年は別の用事のため、夜に仙台入り

被災地訪問された方々と合流して、PTAフェスティバルだけのお手伝い
でも、そこに訪れる人を通して被災後に触れることができた

「仙台PTAフェスティバル 2013」(2013年)

翌年はPTAフェスティバル前日から訪問
この参加は京都市のPTAから予算を捻出していただいての訪問
私の力不足で諸事情から、毎年熱意をもって仙台や他地区のPTAさんと絆をつないでこられた先輩が参加できなくなり、私が唯一の参加経験者となった
ということで、私が同行した皆さんをご案内

「仙台訪問2014」(2014年)

「仙台訪問2014 その2」

そしてこの年を最後に、京都市PTAとしての仙台PTAフェスティバル参加は終わる
予算的な面もあるので仕方ないし、最初に被災地と関わって、熱く活動されていた先輩方が現役を離れ、顔ぶれも(考え方も)変わった
当時を知る私に力があり、先輩方のように熱意を伝えられれば何かが変わったかもしれないが、そういうキャラではなかったし、なにより力不足だった
立場も変わってしまったし

なので、何らかの形でこうして細々伝えるのが精いっぱい

しかし、この夏、少しまとまった休みが夫婦で合わせられたので、東北の旅行を提案してみた
連れ合いが活きたかった場所を絡めて、宮城も訪問させていただくことにした

ということで、まずは前置き
次回から今の被災地を報告させていただきたい