コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

新旧入り混じる季節です

2017-05-07 19:33:00 | PTA

新年度のスタートでいろいろ動き出した4月
5月に入るとその新旧が入れ替わる節目になります。

そのスタートが昨日の「中P連 下京・南・東山支部 新旧引き継ぎ会」でした。

九条中学の28年度副会長として、また29年度会長として参加です。

なんだかんだで5年連続の参加という…

その間に、支部構成が変わったり、校長先生も5年前から変わらない先生は二人だけだったり。
というか、3年間の中学生活で、5年も本部にいる私が稀なんでしょうけど。

一方で、同じ時期に子育てをしているので、保育園で一緒に役員した方や小学校の会長時代に他校で活躍されていた方との再会もあります。
逆に、高校のPTAでご一緒した方が、下のお子さんで中学の役員をされていたり。

そういう皆さんは、「仕方なく」ではなく、喜んでPTA活動されていてうれしくなりますね。

逆に、新しい出会いもいっぱいあります。

残念ながらお子さんの卒業とともに会長を降りられる方々から新会長を紹介していただき、今年一年共に歩んでいきます。

そんな中のおひとり、支部理事校の会長さんの挨拶が素敵でした。
近年のPTA不要論にも触れられましたが、「それでも大切な活動だ」と力強く話してくださいます。
あとで直接お話しさせていただくと「実は最初はアンチでした」と。
だからこそ、PTAに疑問を持つ方の気持ちもわかりますし、私のようにやってみていろいろ知ることができますというお話をきいて、さらにうれしくなりました。

こういう方が支部代表の理事として、中学校PTA連絡協議会に参加してくださいますから、全市的にもますます活発になっていくだろうな、と。

私が中P連会長していた頃の仲間は、どんどん高校PTAで活躍されrていますし、そのころ小P連で活躍されていた方が中学PTAで活躍されています。

私の子どもは今年で全員義務教育終了。
最後の一年、単P会長として、フレッシュな皆さんの全市的な活躍を応援していきます。

 

その息子がこのGWに素晴らしい結果を残してくれましたが、そのことはまた改めて。


守秘ということについて

2017-05-01 21:53:12 | 真宗カウンセリング

前回、身体の不調について少し言葉にできた。

このブログタイトルにしたテーマ、噤(つぐ)んでいたものが少し紡(つむ)げた感じだ。

で、なぜ口を噤(つぐ)んでいたのか…
ちょっと言葉にしてみたくなった。

カウンセリングに関わりだして大事にしていることのひとつ、それは相手の「秘密を守る」ということ。
当たり前のことでもあり、意識し続けなければならないこと。
「守秘義務」と呼ばれるものだ。

学びの当初、カウンセリングの場に関わる当初は、かなり意識的にそのことに向き合った。
おかげで、いつしかそれは自然と身についたものになる。

そうすると、それがカウンセリング的な関わりでなくとも「個人的な話は、第三者には話さない」ということになってくる。

「当たり前」とは言いながら、私の周りにいる、個人のプライベートな悩みなどに向き合う「宗教家」「カウンセラー」の中にこれを守らず「あの人はこれこれこうらしい」なんてことを平気で漏らす人がいる。
なので余計に私は過敏に「口を噤む」人になってしまった。

カウンセリングに関わる人が集まった場で、私の個人的な病気・精神状態を話したことがあるが、別の方から「高橋さん○○なんやって?Aさんが言うてたで」なんて形で耳に入ってきたら、もうAさんには「ここでは自由にお話しください」ということはできなくなる。
(まぁ、もとからそういう人だと知っていたから、ストレス源であるその人と距離をとるために大事な居場所から離れる羽目にbなったのだが)

また、別件でBさんとCさんの相談事に乗っているときに、BさんからCさんの情報を聞く。どこからその情報を聞いたのかというと、二人の共通の友人でもある有名カウンセラーDさんが、CさんがDさんに相談した内容をBさん(当事者でもあるのに)に教えているのだ。

まぁ、この話も先の話も、口づてで聞いた話なので証拠はない。
問題追求しても「言った言わない」の押し問答になるだろう。

なので私のスタンスは「守秘」であり、「口を噤むもの」
噂話は「その人がそう感じているもの」として聞き、真相が知りたければ直接本人の口から聞く。

また、なにか情報が必要ならば、「直接本人の口からきいてください」としか言えない。

 

まぁ、そのことで「受け止める一方」となり、たまってくることでしんどくもなるんだけど、酒の勢いで人の秘密を暴露したり、無責任に放言することになるよりは、一人で抱えるほうがよい。
そのうち、誰もいない丘に登って、穴穂って「王様の耳は…」なんて叫んでるかもしれないが(笑)

と、これだけでも、結構「噤んで」いたものを「紡いで」いるかもしれない。

このまま調子に乗ったら、私が数十年ため込んだ「守秘」が漏れ出すかもしれないので、ちょっと自戒を。