早くも折り返しです。
最近はこのブログへの書きこみも遅れがちですが、こんかいはちょっとがんばって早めの更新を。
逐語録検討はSさんがクライエントで初参加のHさんがカウンセラー。
ミニカンは始めてということですが、意識されていたとはいえうなづきもレスも頑張って入れておられます。これは私も経験あるのですが、頑張ってレスをつけようとすると言葉の区切り区切りに「オウム返し」をしていきます。逐語になるとよく分かるのですが、出来事の方が返しやすいですし、話題についていく手助けにもなりますから「オウム返し」が多くなります。しかし、「クライエント中心」と考えると、時には逆効果を招くことがあります。Hさんの聞き方は、つい先日までの私の姿そのもの。その違いがわかるくらいには勉強させてもらいましたし、僅かですが成長もさせてもらってるかな。もっとも、道は長く、まだやっと歩みだしただけですが。とても世間の前で「カウンセラーです」といえるレベルでは有りませんしね。
後半の実践はM先生とペアを組みました。なんか満を持して、この日組むべくして組んだって感じがあります。
最初は先生がクライエントで私がカウンセラー。話題の内容は書きませんが、カウンセリング研修だけでなく、仏法の上でも師と仰ぐ先生の”生身”の話に、聞きながらも心が動いていきます。そういう”生身”の先生が、大きな大きな法を伝えてくださる。生身のところでは虚しさを感じながらも、大きな大きな働きをしてくださる。先生自身のことも大切だし、その先生を動かす大きな大きな願いにも思いが流れていきます。振り返りのときに、そのことも「聞いた今の感じ」として返させていただきました。
交代して、私がクライエントとして話をしだしたのですが、最初は先週末の支部長研修会で思わず飛び出した気持ちによって、しばらく取り付かれていたもやもやがなくなり、鏡面の水のように落ち着いている感覚を話しました。話しているうちに、もやもやがまったくないわけじゃないけど、今はそれが問題にならないという風により感覚が深まってきた感じです。しかし、そのことを一通り話し終えて落ち着いたときに、さっき先生の話を聞いたときの「少しショックだった」という気持ちが見え出しました。ある意味、自分の話題じゃなく聞いたことに対する感想にもなりかねなかったのですが、”そのとき”に感じていることとすれば間違いなく”今”の私の思いだと、口を開いて見ました。
実践時間が終わり、カウンセラーの振り返りの時間になったのですが、最初は丁寧に前半私が話したことを整理してくださり、その上で後半の話に触れてくださいました。
お互いが振り返ることで、それぞれに抱いている「包まれている」感じを共有し、認め合い、還ることが出来ました。法の話をやり取りするのでもなく、相手に説くのでもなく、一方的に聞くのでもなく…それぞれが自身の思いを語ることで深め合っていく…すごく貴重な時間でしたね。
真宗カウンセリング研究会…今回のこのために用意されていたと確信を持っています。
最近はこのブログへの書きこみも遅れがちですが、こんかいはちょっとがんばって早めの更新を。
逐語録検討はSさんがクライエントで初参加のHさんがカウンセラー。
ミニカンは始めてということですが、意識されていたとはいえうなづきもレスも頑張って入れておられます。これは私も経験あるのですが、頑張ってレスをつけようとすると言葉の区切り区切りに「オウム返し」をしていきます。逐語になるとよく分かるのですが、出来事の方が返しやすいですし、話題についていく手助けにもなりますから「オウム返し」が多くなります。しかし、「クライエント中心」と考えると、時には逆効果を招くことがあります。Hさんの聞き方は、つい先日までの私の姿そのもの。その違いがわかるくらいには勉強させてもらいましたし、僅かですが成長もさせてもらってるかな。もっとも、道は長く、まだやっと歩みだしただけですが。とても世間の前で「カウンセラーです」といえるレベルでは有りませんしね。
後半の実践はM先生とペアを組みました。なんか満を持して、この日組むべくして組んだって感じがあります。
最初は先生がクライエントで私がカウンセラー。話題の内容は書きませんが、カウンセリング研修だけでなく、仏法の上でも師と仰ぐ先生の”生身”の話に、聞きながらも心が動いていきます。そういう”生身”の先生が、大きな大きな法を伝えてくださる。生身のところでは虚しさを感じながらも、大きな大きな働きをしてくださる。先生自身のことも大切だし、その先生を動かす大きな大きな願いにも思いが流れていきます。振り返りのときに、そのことも「聞いた今の感じ」として返させていただきました。
交代して、私がクライエントとして話をしだしたのですが、最初は先週末の支部長研修会で思わず飛び出した気持ちによって、しばらく取り付かれていたもやもやがなくなり、鏡面の水のように落ち着いている感覚を話しました。話しているうちに、もやもやがまったくないわけじゃないけど、今はそれが問題にならないという風により感覚が深まってきた感じです。しかし、そのことを一通り話し終えて落ち着いたときに、さっき先生の話を聞いたときの「少しショックだった」という気持ちが見え出しました。ある意味、自分の話題じゃなく聞いたことに対する感想にもなりかねなかったのですが、”そのとき”に感じていることとすれば間違いなく”今”の私の思いだと、口を開いて見ました。
実践時間が終わり、カウンセラーの振り返りの時間になったのですが、最初は丁寧に前半私が話したことを整理してくださり、その上で後半の話に触れてくださいました。
お互いが振り返ることで、それぞれに抱いている「包まれている」感じを共有し、認め合い、還ることが出来ました。法の話をやり取りするのでもなく、相手に説くのでもなく、一方的に聞くのでもなく…それぞれが自身の思いを語ることで深め合っていく…すごく貴重な時間でしたね。
真宗カウンセリング研究会…今回のこのために用意されていたと確信を持っています。