欧州連合(EU27カ国)のコニー・ヘデゴー欧州委員(気候変動担当)は11月30日、メキシコ・カンクンでの国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)の開幕に合わせ、毎日新聞と単独会見をした。
12月末が期限の地球温暖化対策「京都議定書」について、「盛り込まれた果実を捨てないようにすべきだ」と述べ、新たな法的枠組みが整備されるまで延長する案を次善の策として検討すべきだとの考えを明らかにした。
京都議定書は不参加の米国を除く先進国にのみ温室効果ガス排出量削減義務を課している。
日本は米国や中国などが削減義務を負わない現状での単純延長に反対、全ての主要排出国が参加する単一の法的枠組み(ポスト京都議定書)の早期策定を求めている。
ヘデゴー委員は「最終的には単一の仕組みを作りたい」としながらも、「京都議定書を飛び越して、新たな枠組みを作るには何年もかかる」と主張。新たな枠組みで合意のめどが立っていないことから、京都議定書が13年以降も延長される可能性を視野に交渉に臨む考えを示した。
ただ、ヘデゴー委員は、「排出量世界1位の中国、2位の米国、4位のインドが貢献しなければ気候変動には対応できない」と指摘、京都議定書延長の条件として米中の取り組み強化を求めた。
EUと日本が連携し、米中に削減努力を促す圧力をかける必要性も強調した。COP16では、今後の成長で排出量が増える途上国に削減の取り組みを求める先進国と、「温暖化は先進国の責任」と主張する途上国が対立、交渉は難航される。
ヘデゴー委員は「カンクンで十分な成果が得られなければ、国連プロセスへの関心がしぼむ危険がある」と警告した。
EUは今年、京都議定書の延長を条件付きで容認する姿勢に転じた。ヘデゴー委員はCOP15で議長だった。
まあ、前回のCOP15が失敗に終わったもんだから、ヘデゴー委員も必死なわけです。まだこんなアホアホ議論を真剣にやっているとは・・・(-_-;)
どうしても理解できないのは、IPCCのデータが捏造されていたことが昨年末にばれてしまった「クライメートゲート事件」、欧米では大問題となったのであるが、日本ではほとんど報道されなかった。
ヘデゴー委員も知らないはずがないにも関わらず、全く無駄なCOP16に向けて議論しているのだから、なんなのこれって?
しかし、未だにほとんどの国民が温暖化を信じてしまってる。
久しぶりに武田教授がこの件に関して記事を書いていたので引用します。
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桜井邦朋先生著「移り気な太陽」
大学の学長という職は簡単になれるものではない。学問的業績、常識的な判断、指導力、そして何より学問に対する情熱と信頼感を持つことが、学長の職を得、そして続けられる。
桜井国朋先生、京都大学の理学部を出られて、NASA上級研究員、メリーランド大学教授など国際的に活躍した後、神奈川大学学長を務められた方だ。
簡単にいうと大先生である。
その桜井先生が恒星社厚生閣から「移り気な太陽」という書籍を2010年11月15日に出版された。その106ページに、次のようなグラフが出ている.
(グラフの使用についてまだ先生のご了解を得ていませんので、縦軸を消してあります.少し見づらいのですが、ご勘弁ください。)
グラフの横軸は西暦で1600年から2000年まで、縦軸は太陽放射エネルギーと地表温度変化である。線が3つあるが、おおよそ太陽活動と地表気温の変化は一致している.
つまり、17世紀(1600年代)は太陽活動が弱かったので、放射エネルギーも低いし、地表の気温も低かった。それからずっと太陽活動が盛んになってきているので、地表の気温も上がっている.
地球は太陽の影響がもっとも大きく受ける。
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桜井先生がお書きになったのだから当然ではあるが、しっかりしたデータ、紛れのない論理で地球の気温の変化を解説していただいている.特に、地表気温を内因性(CO2など)と外因性(太陽など)に分け順序立てて論じておられる.
また、特筆すべきは、「エピローグ」に
「科学研究の結果を政治問題とするなかれ」
として執筆しておられる.海外でご活躍され、学長を経験された立派な先生がこのようなことを巻末に書かれたことに深い感銘を受けるものである.
私も浅学ではあるが「先生は“何のために”、リサイクルや温暖化に疑問を呈しておられるのですか?」と聞かれて困ることがある。「何のため」と言われれば「事実を知りたいから」と答える以外に科学はその意味を持たない.
先生は書いておられる。
「ただ私にとって理解できないことは、2009年11月半ばに起こった“クライメートゲート事件”について、わが国のマス・メディアが沈黙してしまっていることである.わが国にも、IPCCに参加している研究者がかなりの数いるだろうに、彼らからの発言も全然聞かれないのが不思議である。」
と書かれている.
かつて東大医学部の和田教授がダイオキシン騒動について、
「科学が社会に負けた」(ダイオキシンの毒性は科学の問題なのに、社会が猛毒にしてしまい、一部の科学者がそれに追従したこと)
と書かれているのを見て、いたく感激したが、それ以来である。
地球温暖化をどのようにとらえるかは別にして、本著のような素晴らしい書籍に目を通すだけで意義あることである。
(平成22年11月29日 執筆)
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