あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

注意はしない方が良い…かもね

2024-06-19 | from:sachiaki
障害福祉に関わるようになって
色々な考え方や関わり方に触れるようになり
色々と自分の中も更新され続けているんだけど、
「間違えていることを注意する必要もない」
っていうのには驚いてしまうsachiakiです。

いや、その言葉では
ニュアンスが届いてないなって思うんだけど、
障がいを持ってらしたり
自分との能力の開きがあり過ぎる人に対して
間違えていることを諌めるのは違うねって話。
「どうしてそうしたの?」
「どうしてそう思ったの?」
と、聞くことはできるけれど、
間違えている本人が間違えていることを自覚しないと
行動を改めるってことはしないよねってことです。

もちろん自分がなんらかの損害を被った時に
「今されたことはひどいと思う。私はとても悲しい」
というような自分自身を主語に持っていることは
伝えた方が良いけれど、
相手が変わることを期待してはいけないってことですね。
第三者であればより介入の仕方は違うでしょう。
人は自分で変わろう!と思った時にしか変わらない。
だから他人になにを言われようとも
自分が変わりたくない時は1mmも人の話なんて聞かないし
おかしいよって言ってくれる人の声は
ただの敵意にしか変換されないので
より諌める側の方に負担がでかくなるというものなのです。

と、そういう話をしたいんじゃなくて、
諌める側の気持ちの中に
相手を変えようという気持ちっていうのは含まれていて
それがどんなに善意に溢れたものであれ
他人を支配したいという欲望と
どれだけ向き合っているかっていうことを
自覚した方がいいねって話なのです。

立場上、教え導く側にいる時は
教え子がひとり立ちできることを目指すので
社会に出た時にどれだけ本人が困らずに済むのかを
教えていかないとならないと思うのですが
その時に師となる自分に恥をかかせないように、
なんていう気持ちが入っていると
教えることっていうのがブレていくよね
ってそんなことを思うのです。

そんな中でも障害福祉に関しては
できないことが当たり前で
そんな中でできることを増やしていこう
という支援なわけですから、
「なんでできないのよ!」っていうのは
ない視力でものを見ろと言ってるのと
同じくらい残酷なことなのだ
というのを感じるわけです。

できるまで付き合う、
できるように環境を整える
それぐらいしか与える側にはできません。
(やってあげるっていうのも違うんです)

でも本来人間関係ってそんなもんなんじゃないかしらと。
相手が変わることを期待するより
自分がどういう在り方をしたいのかを
常に示していければ
周りに振り回されずに自分自身を貫けるものなのでは
ないでしょうか。

そんな感じです。
眠くて仕方なくなってきたので
仮眠してきます。それではまた。モイモイ。
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