というので、ちょっと違うけれど
専門家だって自分の専門分野とほんの少しずれるだけで
ものの見え方が違ってしまうっていう話を
「自閉症は津軽弁を話さない」って本を書き上げられた
心理学者さんがされていますが
どんなものでも一方向では語れないなぁ
なんてことをボンヤリと考えているsachiakiです。
とはいえ、私の知識だってどうしたって偏っちゃうんだけどね。
まぁそれはさておいて。
なんだかんだで自分のセキュシャリティが女性であることに引っ張られて
だいぶジェンダー的にも女性になってきたなぁ
なんてことも思っているところです。
あんまり”女性らしく”振る舞うことって好きじゃないし
そもそも「あなたは本当に女の子なの?」なんて母親に言われたり
自分でもう〜んって思うところが多かったから
自分はジェンダー迷子だなって思っていたんだけど、
最近のフェミ対アンチフェミ、ミソジニーな人たちの色々に当てられて
自分がなんだかんだで女性として意識していたところは
それなりにあったのだなぁ〜
なんてことを思うようになってきました。
だいたいエレベータとか狭いところで自分より大きい男性と
二人になってしまうようなことなどは比較的避けてきたし、
なんだかんだで自分のチビィボディサイズとか
それなりに意識してきたんだなぁ〜なんてことを思ったりです。
だからこそ、女性の目線となって
あれはイヤだね〜とか書き始めたら
「それは違うと思うぞ!」っていうようなことが
バーンと当てられるようになってきて、
いや、当事者がイヤだと言っているのに
なんで外野が「違う」とか言うんや……。
っていう気持ちになったりして。
それもだいたい男性が言うねんな。
まぁ歴史的な背景とか色々とあったのはわかるけどね。
そしてそういった歴史的な背景も込みで
それを好きな時もあるしね。
でも「イヤなもんはイヤ」っていうのを
「当時はそうじゃなかったでしょ?」
ってぶった斬っていくのは失礼なんじゃないかしらん。
当時も女性全員が「いいね!」って言ったわけじゃなくて
「やっぱイヤだと思っていたけれど、そういう潮流じゃなかったから拒めなかった」
っていうのがあったって話も「個人の感想じゃない」ってまとめれてしまうと
さすがにウ〜ンてなってしまうよねぇ。
コルセットとかも「美」の象徴だったりしたけれど、
結局消えていったし、そこには「苦しかった」などの背景もあったりして
それも折り込み済みで今も生き残っているわけなのよね。
なんにしても、女性にとって「今までは言えなかった」
という話がボロボロ出ている時に
「受け入れられていたじゃん!」っていうのは
なんかなーって思うし、
「他の人はイヤでも私は好き」っていう女性だって当然いるし、
選べる権利(ないしは自由)ができたことが喜ばしいことだと思うんだけどね。
現場の声(当事者の声)というのはかき消されてしまうものなのかな
なんてことを思ったりしていました。
そんな私ですが、今日もM3に向けての準備に明け暮れております。
来週はハロウィン用の撮影も頑張るところです。
さてさて、どんなものになるのかしら。
とにもかくにも、色々と頑張りますぞー!
モイモイ
専門家だって自分の専門分野とほんの少しずれるだけで
ものの見え方が違ってしまうっていう話を
「自閉症は津軽弁を話さない」って本を書き上げられた
心理学者さんがされていますが
どんなものでも一方向では語れないなぁ
なんてことをボンヤリと考えているsachiakiです。
とはいえ、私の知識だってどうしたって偏っちゃうんだけどね。
まぁそれはさておいて。
なんだかんだで自分のセキュシャリティが女性であることに引っ張られて
だいぶジェンダー的にも女性になってきたなぁ
なんてことも思っているところです。
あんまり”女性らしく”振る舞うことって好きじゃないし
そもそも「あなたは本当に女の子なの?」なんて母親に言われたり
自分でもう〜んって思うところが多かったから
自分はジェンダー迷子だなって思っていたんだけど、
最近のフェミ対アンチフェミ、ミソジニーな人たちの色々に当てられて
自分がなんだかんだで女性として意識していたところは
それなりにあったのだなぁ〜
なんてことを思うようになってきました。
だいたいエレベータとか狭いところで自分より大きい男性と
二人になってしまうようなことなどは比較的避けてきたし、
なんだかんだで自分のチビィボディサイズとか
それなりに意識してきたんだなぁ〜なんてことを思ったりです。
だからこそ、女性の目線となって
あれはイヤだね〜とか書き始めたら
「それは違うと思うぞ!」っていうようなことが
バーンと当てられるようになってきて、
いや、当事者がイヤだと言っているのに
なんで外野が「違う」とか言うんや……。
っていう気持ちになったりして。
それもだいたい男性が言うねんな。
まぁ歴史的な背景とか色々とあったのはわかるけどね。
そしてそういった歴史的な背景も込みで
それを好きな時もあるしね。
でも「イヤなもんはイヤ」っていうのを
「当時はそうじゃなかったでしょ?」
ってぶった斬っていくのは失礼なんじゃないかしらん。
当時も女性全員が「いいね!」って言ったわけじゃなくて
「やっぱイヤだと思っていたけれど、そういう潮流じゃなかったから拒めなかった」
っていうのがあったって話も「個人の感想じゃない」ってまとめれてしまうと
さすがにウ〜ンてなってしまうよねぇ。
コルセットとかも「美」の象徴だったりしたけれど、
結局消えていったし、そこには「苦しかった」などの背景もあったりして
それも折り込み済みで今も生き残っているわけなのよね。
なんにしても、女性にとって「今までは言えなかった」
という話がボロボロ出ている時に
「受け入れられていたじゃん!」っていうのは
なんかなーって思うし、
「他の人はイヤでも私は好き」っていう女性だって当然いるし、
選べる権利(ないしは自由)ができたことが喜ばしいことだと思うんだけどね。
現場の声(当事者の声)というのはかき消されてしまうものなのかな
なんてことを思ったりしていました。
そんな私ですが、今日もM3に向けての準備に明け暮れております。
来週はハロウィン用の撮影も頑張るところです。
さてさて、どんなものになるのかしら。
とにもかくにも、色々と頑張りますぞー!
モイモイ