あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

究極的には自分のために人を立てて生きる方が楽だ

2020-02-18 | from:sachiaki
不惑、と呼ばれる年代となっているのに
この絶え間なく揺れ、生きづらいと感じてしまうのは何事なのだ。
そんなことを考え続けて、
あぁそうか、最近は「人のためではなく、自分のために生きろ」が主流で
まるで自己責任の果てに、自分のことは自分で決めろが当たり前であるがゆえに
自分の中に欲望がない人たちが瀕死なのだな
なんてことを思ったsachiakiです。

私は自己主張が強い方だと思うし、
理不尽に対してめちゃくちゃ抵抗するタイプなので
ある意味「自分が!自分が!」って己が前に出てしまうタイプでもあるんだろうけれど、
同じくらい「自分のために」というものには微妙なところがある。

自分<他人

これがよくないことも分かってはいるんだけど
じゃぁなんでよくないの?
っていう時に、上記の自己責任論に帰結するからなんだろうな
なんてことを思ったりするのです。

いやさ、自分の人生だからね。
自分のために生きるのは当然なのさ。
だけど、

情けは人のためならず

という言葉が示している通り、
情けで生きることも、また自分のためでもあるのよね。

なんてことを思ったりしていました。

自分のために欲望を動かすことができない。
(アホみたいにくだらなくて小さい欲望はあるし
 不義理だってしてきたけれど、それは置いといて)

・例えば、この世界で一番のディレクターになりたい。
・この世界最強の芸人になりたい。
・誰よりもお金持ちになって安心したい。
・世界中の人からチヤホヤされたい。

こういったものがないのがおかしい、そういった風潮のおかげで、
自分の中の欲望を探してみるけれどみつからず
右往左往していたって無駄なのだ。
だったら、欲望の座標をずらしてしまえばいい。
誰のために生きるのか。だ。

家庭人なら家庭のために。
子持ちだったりしたら子供のために。
会社の社長なら、会社のため、社員のために。

もっとふわっとしたもののためでも良いだろう。

しょせん自分のために生きるっていうのは
内燃機関のエネルギーだから燃え尽きるのが早い。
欲望を持ち続けることができる人なんてそんなに沢山はいないはずだ。
それよりか、自分が誰のため(なんのため)に力が出やすいのか
そこをはっきりと見極める方が楽なのだ。
かつげる神輿がみつかるまで小銭稼ぎでもして
いつか来るその時まで待ってもいいし、
困っている現場に出かけていって
そのものズバリと相対して救済の方法を考え、実践し、
向き不向きを知るのも良いのかもしれない。

自分に欲望がないこと=生存のための(稼ぐための)手段が見つからないと
嘆いて「こんな自分はこの世の中にいるだけで無駄だ」
なんて思い込む必要はないのだ。
自分軸ではない生き方もまた自分軸なのだ。
詭弁に聞こえるだろうけれど、そうなのだ。

とかくこの世は生き辛い。
なんでも肯定していないと、前向きでないといけないような
そういう仕組みのようになっている。

だけど、そんなに光のエネルギーだけで生きてる人もいないのだ。

生きづらい上等だ。

地獄が自分を飲み込むのには時間がかかるから、その間にゆっくり這い出せばいい。
ID:INVADEDより

やすやすと死なせてもくれないこの世の中で
生き延びる手段は急ぐ必要はない。
けれど、進むしかないのだから前だけは向いて
しっかりと歯を食いしばっていればいい。
宇宙は波でできているから、いつか波のゆるいところが来る。
絶対に来る。
そしたらゆっくりと進めばいい。

そう、自分に言い聞かせているところ。
それではまたどこかの地獄で会いましょう。
直近では22日の土曜日に赤鬼ちゃんになっている予定なので
コロナウィルスとか怖い時期ですけれど
元気な人は遊びにいらしてくだしゃんせ。

そんじゃまた!モイ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする