「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

領収証

2006年05月19日 | ああ!日本語
 スーパーなどのレジで精算して受け取る紙片には、「領収書」とあります。
公共料金、水道、電気、ガスなどは、口座引き落としであっても、「領収証」になっているのにお気付きでしょうか。

 郵便局では、定形外郵便の料金140円を支払って、受け取ったレシートは卒業証書並みの「領収証書」でした。

 今年は隣組の会計係が回ってきて、金銭を受け取ったり、支払ったりの都度、この「領収証」「領収書」に悩みます。

 本来は、いうまでもなく金銭を受け取った「あかし」で、証拠になるものですから、単なる書き付けの「書」でなくて、「証」でしょう。でも、辞書には「領収書」しか出ていないのもあります。
 そうなると、権利証でなくて、権利書でいいのかな、と考えてしまいます。

 会員証、免許証は、やはり、書には置き換えられないようです。



一つの決断

2006年05月18日 | 塵界茫々

 古い友人が、介護付き有料老人ホームを住所とした年賀ハガキを送ってきました。
年が明けてだいぶ日が経っていました。

 母の葬儀や、その後の仏事などで、気にしつつも訪ねることができず、一度は小倉からの帰途に探してみたのですが、場所がわからずむなしく帰宅しました。

 電話番号がわかったので連絡を入れると、17日に、若い頃の共通の友人が、郷里への帰省の途次に訪問するとのことでしたので、予定を変更して、午後会いに行くことにました。
 会えば、いきなりの「ちーちゃん」「まーちゃん」です。
 慌しい時間を小倉駅まで見送って、老人ホームにこのまま引き返すのも気がすすまず、「雨だけれど、車だから、何処か行きたい所があれば、」との問いに、「美術館に行ってみたい」の答えが返りました。
 思えば、展覧会に油絵で入選を何回か果たしている彼女にしてみれば、やはり行ってみたいところの第一でしょう。

 鼻にチューブを入れ、小さな携帯用の酸素ボンベのカートを牽く友と美術館を目指しました。車椅子を押しながら、雨の平日とあって人影もない会場を、勝手な批評を交わしながらゆっくり歩きました。文字通りの滴る緑と、霞む遠景をしみじみ楽しんでいました。

 どんなに設備が整い、眺望がきくといっても、毎日、窓に切り取られた同じ風景とでは、おのずから異なり、思いがけないほどの感謝の言葉がありました。

 医師であった夫を早くに亡くし、働きながら、三人の子息を育て上げた彼女が決断した、残された時間を過ごす場所です。

薫風

2006年05月16日 | 絵とやきもの


 風薫る五月というのに、すっきりしない天気が続いています。  近くの「おとぎの杜」の温泉につかって、露天風呂に植えられている山法師の白い花を眺めてきました。  イメージの湖畔風景もいまひとつ、吹き渡る風が感じられませんが。


 さくらんぼを仕上げました。仲間の評「どうしたの、いつもの元気がないみたい」だそうです。自分では気に入っています。

卯の花くたし

2006年05月15日 | 歌びとたち
  
 この季節、梅雨に入る前の長雨を「卯の花くたし」と呼び、季語でもあります。
先週は雨の日が多く、今咲き満ちる卯の花を腐らす雨を、「卯の花腐し」(くたし)とは、万葉びとはよくぞ名付けたと感心したものです。(卯の花はうつぎ・空木の古称)  卯の花曇りという優雅な呼び方もありました。


 初夏のシンボルともいえる卯の花は、万葉集以来、ほととぎすとセットで歌われることが多いのです。

  霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く乙女   1942

  朝霞八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越ゆなり 1945

  五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも   1953

  卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出山に入り来鳴き響もす 1957

                      すべて万葉集 巻10より

 "ほととぎす"は別名を「田長鳥」(たおさどり)「田植鳥」ともいいます。
 田植えを控えた季節に、卯の花の白いふっくらとした蕾に米粒を、たわわに咲く姿に豊かな稔りを連想したと考えるのはどうでしょう。

 農耕に関わる卯の花というのは、折口説で読んだ記憶があります。田圃に水を引くとき水口に、水口花として挿すというのを、その時知ったように思います。

 梅花空木の香を待っているのですが、こちらはまだ蕾です。沖縄はもう梅雨入りだそうです。

谷空木


赤間宿での展覧会

2006年05月13日 | 絵とやきもの
  
 赤間宿は旧唐津街道、筑前21宿の一つです。
 町並みは、江戸時代から、明治の鉄道開通までは宿場町として、この地方の物資集散の中心として賑った名残を其処ここにとどめています。漆喰壁の商家や辻井戸も残っています。南北に通るメインの道は車がすれ違える広さです。当時では画期的でしょう。今は静かな人通りも少ない街道筋です。
   (写真は宿場の中にある造り酒屋)

 この古い宿場町にある古風な喫茶店の店主が、宿場町の雰囲気にあった絵というので気に入って、縄谷先生に要請して展覧会が開かれました。
 小品の油絵、それも和風のモチーフを、金彩を用いて表現するという一風変わった作品が展示されていました。
 喫茶店も、土・日だけが営業日という風変わりです。





 




「華麗なるマイセン磁器」

2006年05月11日 | 絵とやきもの
 山口県立萩美術館のマイセン磁器特別展を見てきました。1710年代のベットガー器から20世紀初頭のアール・ヌーヴォーの頃までの作品、198点のコレクションです。
 


 "白い金”と呼ばれるに相応しい白い地肌の上品な美しさは、確かに、彼らが憧れた中国、日本を手本として、すでに其処から脱却した独自の世界を築いています。 ただ、「ウサギ小屋」の天井の低い日本家屋に生活する身には、とても馴染めない文字通りの“華麗“な異空間であり、異文化の世界です。

 西洋の広い石造りの、高い天井を持つ空間にあってこそ、あの繊細で、多彩な、これでもかとばかり繰り返される可憐な花の貼り付けも本来の美しさを発揮する存在となりうることでしょう。圧倒されるきらびやかな美の世界に溜息が出ました。

 展示品の中に、柿右衛門様式の色絵の皿やコップ&ソーサなど、大きい白地の空間を持つ作品を見つけるとホットしました。ザクセンのアウグスト王のように、四方の壁面にこのような華麗な磁器が氾濫するとしたら落ち着けないと思ったことです。

 1階の東洋磁器の展示は―古染付けと天啓赤絵―でした。浮世絵の展示は歌川国貞で、相撲絵は、場所中とあって、目を惹きました。

 県立萩美術館の見学は、年に一度会合を持つ“御牧会”( 従兄弟同士の集まり)での萩行きの「おまけ」のイベントでした。
 雨にたたられましたが「常茂恵」の庭はツツジが咲き、季節の味に口福のひと時を歓談しました。出席者22名。遠くは奈良、大阪、光(山口)からの参加です。血のつながりが土台にあるだけに、分け隔ての垣根のない“ふるさと”の気分に何の用意もなく入ってゆけます。ただ、みんな高齢になりました。
 来年は、九国博と二日市温泉だそうです。



旧漢字

2006年05月10日 | ああ!日本語
 國 學 藝 戀 傳 賣 將 廣 櫻 眞これらは誤字ではありません。
昔の漢字なのです。

 終戦の年が旧制女学校の四年生でしたから、それまでに確り憶えてしまった漢字です。殊に私の場合、小学校の二・三年時の担任が漢字の書き取りに大変熱心な方で、朝始業前の10分間、毎日宿題のテストがあり、成績が張り出されるので、競って憶えたものです。

 ところが、昭和21年の当用漢字制定で、その努力は水泡に帰し、生涯の混乱の基となった次第です。
 今でも、意識せずに書くと、つい旧漢字を書いてしまうことがあります。本家筋の中国でも、日本以上の漢字改革が行われたのですから、時代の趨勢なのでしょう。
 よくやってしまうのが、「ム」と「-」です。「專」や「惠」のように「ム」のあるものには、「、」がなくて、「ム」のない「博」「敷」には「、」がある。と憶えたものです。

 川家康も、今は身軽くなりました。
 「戻」は、ドアから、大きな荷物が入らず返品するの意かもしれません。昔は犬が戸口にモドッてきたものでしたが。

 こんなことを考えて当用漢字を眺めるのも面白い暇つぶしになります。


さくらんぼ

2006年05月08日 | 季節のうつろい


 今年は絶対に口にしようと、さくらんぼに、ついにネットをかけました。

 生ゴミの堆肥をやり、夏には消毒をして、花の後、生り始めた実が次第に色づく変化を楽しみに、毎日見上げていて、明日あたりそろそろ収穫と思っていると、決まって、ものの見事に、一粒も残さず「ごちそうさま」の挨拶もなしに、小鳥たちに食べられてしまいます。
 それは呆れるほど見事です。彼らのアンテナと、伝達力は人間以上です。いつも一瞬何事が起こったのかと、青々と繁る葉だけの木に目を疑うばかりです。

 6月末に毎年送ってくださる山形のさくらんぼとは品種が違って、一回り小さく味もそこそこなのですが、甘くて、庭での収穫となるとまた別のものがあります。食べ飽きた分はリキュールにして漬けます。


 口惜しがる私に「いっそこの木を伐るか?」と連れ合いは言いますが、そうまでしなくても、共存できる分もあることだしと思いなおし、兼好法師に「この木なからましかば」と嘆かせる、みっともない網掛けです。 おかげで今年は無事収穫できました。
 鮮やかに色づいた実の周りでチィチィと、今も未練げに囀り交わしています。

童謡の音符に揺れてさくらんぼ

いづれ菖蒲か杜若

2006年05月07日 | ああ!日本語


 暦の上では、八十八夜も過ぎ、はや立夏です。五日の「こどもの日」は、長く男の子の節供とされてきました。
軒端に菖蒲を挿すところから、菖蒲の節供とも言い、尚武の語呂合わせから、男の子の節供になったと聞いています。

 ところで、あやめ、花菖蒲、かきつばたの区別は、ものの本で読んで理解したつもりでも、実物を前にしたとき、やはり区別に迷ってしまいます。「いづれあやめか、かきつばた」とはよく言ったものです。

 こんなことを書き出したのも、今朝、花の終わった皐月の花柄を摘みとっていて、水引草の陰にひっそりと一輪の「戸畑あやめ」が咲いているのを見つけたからです。友人にもらって、何気なく植えたものですが、珍しい品種だとか。身の丈15cmほどです。当初の濃紫より色が褪せてきています。

 枕草子の「めでたきもの」の段のように、「なにもなにも 紫なるものはめでたくこそあれ」で、この季節の紫に咲く花は野の小さな花もすべてゆかしい美しさです。
紫の花のなかには かきつばたすこし憎き。」といっているのは、この花の背後にある伊勢物語,東下りの八橋の条、例の「カキツハタ」を各句の頭に置いて詠み込んだ、折句の有名な歌へのやっかみを含んだ称賛でしょう。

 この花の汁を衣に摺りつける染色があったようで、「花摺り」と呼ばれています。一説には、かきつばたの異名、「書き付け花」からの転ともいわれています。
 
 さて、本題の「いづれあやめか、かきつばた」は、ぬえ退治の源三位頼政以来、区別しがたい美しさで、選択に迷う。の意味で用いられていますが、単に美しさの比較を超えて、どちらもすぐれているので、優劣を決めがたいといった全体的な価値にまで広がりをみせています。

 初夏を彩る濃紫のかきつばたは、万葉の昔から、美しい女性の面影を重ねて歌に詠われてきました。
 吾のみや かく恋すらむ かきつばた 丹つらふ妹は いかにかあらむ  巻10・1986
 「丹頬合」赤い頬をした乙女への恋の歌です。すこし赤っぽい色の花なのでしょう。
 一方、伊勢物語の、昔男が恋焦がれた「かきつばたの女」は「なれにし妻」で、気品と落ち着きのある色の濃紫でしょうか。

 多くの歌の中で、やはり、古今集 恋歌一の巻頭、よみ人知らずの古歌をあげたいと思います、
 ほととぎす 鳴くや五月のあやめ草 あやめも知らぬ恋もするかな  
 長い序詞をひきずって、ものの筋道をいう「あやめ」を引き出している歌です。耳にしているホトトギスの声音に自分の切ない思いを、目前の濃紫の花に恋人の姿を重ねて歌っています。あやめも、かきつばたも美しい女人の姿に擬えるのががふさわしいようです。

新緑の日向岬と高千穂峡

2006年05月05日 | 旅の足あと
 延岡から、もう一つの目的地高千穂峡へ向かう途中、日向市内の国道10号から東へ約5k、「馬ケ背」の名前に惹かれて、観光地としてはまだあまり知られていない日向岬に立ち寄りました。

 快晴の山道は汗ばむほどで、駐車場から15分くらいの遊歩道を歩いて岬の突端に向かいます。途中に見所のクルスの海、や、柱状節理のリアス式海岸、奥行き200m、高さ70m.の断崖を見て、右手に灯台を望み、突端に出ると、はるかに太平洋が開けています。

 足元には、立浪草の波頭をもたげた可憐な紫の姿がところどころにありました。
 



願い事が叶うというクルスの海 馬ケ背の絶壁の間の太平洋


岬の突端からの太平洋の眺望 柱状節理の見事な岩場と島


 正午近くなって到着した高千穂峡は、新緑の萌え立つ彩りで、夜神楽で賑う秋とはまた異なった、活き活きとして清々しい若やいだ一面をみせていました。



 駐車場からの70メートルの急な足場の悪い階段は、手すりに掴っての、恐る恐るの下りで、もう今回が最後だなと身(足)に沁みて思い知ったことです。
 好天に恵まれての日曜日とあって、ボートを漕ぐ若い人たちで賑っていました。

 阿蘇の火山活動で流れ出た溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出し、それが急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった渓谷ということでした。
 1934年に天然記念物に指定されています。

 それにしても、途中で目にした昨年秋の台風14号の爪痕は無惨の一語です。
 高千穂鉄道はいたるところ寸断され、鉄橋を流された橋脚だけが虚しく草を生やして五ヶ瀬川に立つ姿は、水が澄み切っているだけに一段と悲しげでした。高千穂鉄道の復旧再開は困難と聞きました。