「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

片付ける

2006年05月25日 | 塵界茫々
 あまり暑くならないうちにと、好天に恵まれたこの頃は、母の初盆を迎えるための準備を始めています。

 といっても、積年の不用品の処分です。いつか使うとしまいこんで、結局使うことのなかったものが次から次と出てきます。

 どうやら、“いつか使う” “とりあえずとっておく”のが、諸悪の根源とやっと気が付きました。いつか使うものは、結局、使わないもの。とりあえずは、ゴミになる前に一段階置くだけのことで、所詮、捨てることからの逃げ道、乃至は言い訳でした。

 デスクトップのごみ箱と同じです。要するに、目の前からはファイルは見えなくなっても、ハードデスクには、ファイルはちゃんと保存されているわけで、「空にする」を操作しない限り捨てられてはいないのと同じわけです。


 ないないづくしで育った「捨てられない症候群」世代の我々にとって、この発見はまさに、コペルニクス的転回です。

 かくて、ゴミ袋5個にいっぱい。そのほか、集配を依頼しなければならないものも数点、これが今日一日分です。

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6 コメント

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ご研鑽に 拍手!!  (虚庵)
2006-05-26 18:15:40
花筑紫さま



時々そっとお訪ねして、愉しませて頂いております。

昨日・今日の絵の冴えた筆に、ご研鑽のほどが偲ばれ、感服致しました。 拍手!! 



殊に左目、つぐんだ強い口、揺るぎなき意思の強さを秘めて、素晴らしい線が引けたことに、限りなきお祝いを申し上げます。

お恥ずかしいことで (boa !)
2006-05-26 20:45:51
 お久しぶりでございます。

遊びが過ぎるのですが、描けないときは、シリーズで開き直って楽しんでしまいます。



 俳句ではコノハズクは夏の季語だったと勝手に思って失礼しています。



 虚庵さんの歌風、万葉振りが若やいで、すこし変化したように見受けます。



 継続は力なりの実証を突きつけられる想いです。お写真の腕もいよいよ冴えて、観察が細やかになられましたね。



 
かたづけた後 (香HILL)
2006-05-27 11:00:00
家の中の雑品を整理すると爽やかな気分になりますね。

同じ言葉でも”嫁ける”って言葉がありますが、

昨今はこの他動詞を使用すると、とかく面倒になりやすく、自動詞の”嫁づく”が残ってはいますが。

娘が嫁に出ても、一部屋、娘の保有する物品諸々が残されていて困るっていう方がいますね。



着物一つでも実家で預かっていて、必要な際には"お母さん、宅急便で送って頂戴・・、往復便で”

これだから、世の中、愉快ですね。
まだ始まったばかり (boa !)
2006-05-27 17:28:26
 ただ一日やっただけで、もううんざりしています。一番の難物は、本のようです。

 一度手にして、開いたらそれでお仕舞。捨てられなくなってしまいます。



 身につけるものは、さすがに執着がなくなってきて、頭で考えていたよりも処分のふんぎりがついています。



 爽やかさを味わうまでには、かなり遠い道のりのようです。
書籍の処分方法 (香HILL)
2006-05-29 18:25:40
①知人の義父(旧制中学の国語の教師だった)の蔵書処分=専門書が多くて、最寄の図書館に寄贈。

古い本は誰も借らないから、既に焼却されているかな?



②知人は囲碁関連図書を図書館に・・、

    一部を古書店へ。



③大江健三郎は年1・2回、古書店がトラックで

 引き取りにくる。



ところで、故人が生前愛読していた本数冊をお棺に入れようとしたら、葬儀社の人に叱られた事例も。

紙が多くなると焼却炉にトラブルが起きる故。



いやはや、本の処分は難儀ですね。



古書の処分 (boa !)
2006-05-29 20:19:07
 やはり、皆さん頭を痛めておいでなのがわかりました。

 書き込みこそしなくなっていますが、傍線は癖が抜けなくて。

 かくて、古書店にも持ち込めないし、子供会の廃品回収に出して、体重減量を計っています。再生紙として活かされるといいのですが。



 最近は、購入を控えて、図書館にリクエストを出すことを憶えました。

 結構、手を尽くして検索して、ありがたいことに、他の図書館から借り出して電話で報せてくれます。



 それでも、手許に置いておきたい本がどうしてもでてきますので、増加速度が減少しただけです。



 後始末をするものの身になって、自分でできることは、なるべく始末を付けておかねばとは考えるのですが・・・・