constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

宙吊りの市民的介入

2008年05月20日 | nazor
大規模な自然災害などの人道危機による悲劇を目の当たりにしたとき、それが自分たちの身近で生じた場合であれ、メディアを通してしか知らない遠い異国の地での出来事であれ、犠牲者に対する共苦を感じ、何らかの救援策を提供したい思いに駆られる。しかしながら、こうした普遍的な人道主義が理念から実践に移されるとき、「主権国家に分かれた世界」という厳然たる現実が立ちはだかり、大きな困難に直面せざるをえなくなる。ミャンマーのサイクロン被害に対する救援活動をめぐって軍事政権が頑なに「国際社会」からの(とくに人的)支援を拒んでいる状況はまさにそうした困難の一例である。しかも届けられた救援物資の横流しが発覚したり、救済や復興も不十分な状態で新憲法案の国民投票を強行するなどのマイナス要因も加わって、欧米諸国は苛立ちを覚え、厳しい批判を向けている。こうした軍事政権の態度に対して、フランス政府は、当該政府が自国民を保護する責任を果たしていない場合、代わりに「国際社会」がそれを行うことを表明した「保護する責任」論を根拠にして救援活動の強行を主張しているという(「『救援強行』揺れる国連 ミャンマーサイクロン被害」『朝日新聞』2008年5月17日)。

フランス政府の主張は「非人道的状況におかれた人々を救うためのあらゆる行為」である「広義の人道的介入」と理解できるし、あるいは1988年の国連総会決議43/131によって初めて登場した「犠牲者へのアクセス権」、すなわち「人道的救援活動をおこなう人々は犠牲者のもとに駆けつけ、人道的救援物資を犠牲者のもとに届ける権利」から派生した議論だといえる(最上敏樹『人道的介入――正義の武力行使はあるか』岩波書店, 2001年: xi, 152頁)。「当の国家が保護を与えようとしない人々に対し、外部の国々や国際機構やさまざまな人間集団が保護や救援を与えようとするとき、それを妨害する権利を当の国家は持たない」(144頁、強調原文)という観点にたつならば、ミャンマーの軍事政権が振りかざす主権侵害や内政干渉といった反論は空虚に響くだけであり、それゆえ軍事政権側も、それがどれほど眉唾ものであったとしてもメディアなどを通して被災者への救済や復興が進んでいる様子を積極的に発信することによって、欧米諸国からの批判を回避しようとしている。

ただ最上が指摘するように、「犠牲者へのアクセス権」を行使するのは誰なのかという主体の問題が人道的介入をめぐる議論を複雑にし、介入から人道性の要素が脱色され、介入する側の利害や国家戦略と同一視される危険性に留意する必要がある。つまり「非政府から政府への同一の理念の受け渡しは、実は大きな問題をはらんでもいる。同じ介入と言っても、非政府ならば非武力的でしかありえないものが、政府ならば容易に武力的になりうるからである。(…)義務といい権利といい、『善行であるから誰がやっても同じ』とはおよそ言えない。行動主体によって義務ないし権利の実施方法も、結果も変わる以上、安易な受け渡しはできないはずなのである」(165-166頁、強調原文)。ミャンマーの軍事政権が断固として(欧米の)人的支援の受け入れを拒むのは、「犠牲者のアクセス権」に基づく介入がどこまで純粋に非政府的かつ市民的でありえるか不透明な部分が大きく、その理念に潜む政治的な思惑や利害を嗅ぎ取っているからだといえるかもしれない。

実際、「保護する責任」を掲げ救援の強行を主張するフランス外相ベルナール・クシュネルが「国境なき医師団」の創設者であることは、同じ言葉を語るにしてもその地位や立場の違いによって異なる意味合いを帯びることになり、それぞれの文脈に十分な注意を払わない限り、国家的・武力的介入と市民的・非武力的介入の垣根は曖昧になり、反論の余地を与えてしまう。また自律的な市民社会空間や、政府の統制を受けない、ときにはそれに反発し、批判する社会勢力の存在が暗黙裡に受け入れられている欧米諸国とは異なるミャンマーの政治文化も市民的介入に対する懐疑的な眼差しを作り出す。軍事政権にとって、社会勢力は政権に対して賛意を表明するだけの官製の翼賛団体であるか、そうでなければ政権の正統性を揺るがせる反政府的な脅威対象でしかない。換言すれば、政権の意向から自律的に活動する社会勢力の存在自体が軍事政権にとって理解不能であり、欧米諸国の人道支援組織についてもそれぞれの政府が背後で操っている、いわば政府の道具としか映っていないのではないだろうか(ただしGONGO、GRINGOといった造語が示唆するように、NGOだからといって政府の影がまったくないとは一概に言えない)。

人道活動の領野で現在起きている変化もこうした警戒感を裏書するかのようであり、軍事政権の懸念を単なる虚言として簡単に一蹴できるとはいえない。マイケル・バーネットの議論にしたがって整理すれば、冷戦終焉を契機とした世界政治の構造変動に伴って人道活動の規模・範囲・意義において大きな変容が起こっており、それは端的に言えば人道活動の政治化および制度化と捉えることができる(Michael Barnett, "Humanitarianism Transformed", Perspectives on Politics, vol. 3, no. 4, 2005)。人道活動が政治化していった要因として、法の支配や市場経済、民主主義原則、あるいは衡平原則を掲げるコスモポリタニズムといった普遍的な理念が国際的に正当性を持った(法)規範として受容されるようになった国際関係の変化がある、そしていわゆる複合的緊急人道危機(Complex Humanitarian Emergencies)に対応した新しい形の介入および紛争管理の方法の模索や、関連機関同士の連携が要請されるなど人道活動の領野が大幅に拡大している。こうした構造的な変化によって拡がった人道分野に国家が多大な関心を示し、関与するようになったことが人道活動の政治化を促進していった。冷戦後、人道危機は、とりわけ先進諸国において平和と安全に対する脅威であり、解決すべき国際的課題とみなされるようになった結果、人道活動に国家が関与する割合が増し、国家の戦略的外交政策の一つとして位置づけられたり、人道関係機関に対する資金提供を積極的に行うようになっている。

また人道活動の範囲が拡大するにしたがって、人道機関も変化への対応を求められている。その結果、合理化・官僚化・専門化といった組織の制度化が進んでいる。人道危機に迅速に対応するため、それぞれの人道機関に蓄積されていた専門知識やノウハウが一定の基準に沿った行動規範に結晶化されていく(人道活動の標準化)。また複合的人道危機に対処するため、人道機関は、非人道的状況にある人々を救済するという従来の中核的とされてきた任務以外の事柄に時間が割かれ、組織運営や資金調達にかかわる専門部署や要員の比重を増している。それは人道主義の理念に賛同した人々からなる同好会的な組織から、体系的な指揮命令系統を備えた近代的な組織へと変貌していく官僚化および専門化の過程とみなすことができる。

このような人道活動の政治化および制度化がもたらす帰結のひとつは、バーネットによれば人道機関が外部からの統制に脆弱になっていることである(731)。政府の資金提供の割合が増すにしたがって、人道活動の内容は直接的・間接的に資金提供者の影響を受けやすくなっている。また人道機関は、資金の使い道に関する説明責任を求められることによって、継続的な財源確保のため、人道主義の中心的要素である犠牲者との連帯や彼らの尊厳回復よりも、資金提供者の顔色を窺うことが優先されるようになる。その結果、財布の紐を握っている国家によってその活動内容が規定され、また人道・衡平・中立・独立などの人道活動を支えてきた理念や原則は妥協を強いられていることによって、人道機関の道徳的権威の低下を招いている。あるいは人道活動の効率性、すなわちどれだけ効率的に迫害者・被災者に救援物資を届けることができるかというコストパフォーマンスが重視されるとき、その担い手として理念に拘泥する人道機関よりも私企業が台頭してくることも予想される(733)。それは、国家的介入とも市民的介入とも異なる、もうひとつの(市場的)介入だといえるが、前二者の介入様式を多少なりとも規定していた人道主義の理念や原則はすっかり消え去り、純粋に商業的利害関係に基づいた費用便益計算が人道活動の成否を決定することになる。さらにいえば国家的介入と市場的介入は容易に協働関係を築くことができる意味で、市民的介入が機能する余地はいっそう縮小されてしまう。すでにその兆候は「大惨事が生み出す絶望と恐怖を利用して、社会と経済の過激な改変に乗り出す略奪的な災害資本主義」の台頭に現れているといえるだろう(ナオミ・クライン「台頭する災害資本主義」『世界』2005年8月号)。

現代の人道活動が単に迫害や被害に遭った人々の救済を目的とするだけでなく、それらの根本原因の除去までを含む形で拡張していることに加えて、活動主体が外部からの統制にきわめて脆弱でその利害関係に左右されやすいことは、介入の客体に疑念を抱かせ、反論するだけの十分な根拠を与えてしまう。介入の主体にせよ、介入の客体にせよ国家的介入が市民的介入の論理を簒奪・回収する形で「人道的介入」を理解する傾向がある。それゆえに「国家主権か人権か」という二項対立の構図に基づく議論が反復されるばかりで、「犠牲者へのアクセス権」は宙吊り状態に置かれたまま、人道活動の脱人道主義化だけがいっそう進展していく。
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