constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「リアリスト」ケナンの置き土産

2005年03月19日 | nazor
対ソ「封じ込め」政策提唱、ジョージ・ケナン氏が死去(『読売新聞』)
「封じ込め政策」考案のジョージ・ケナン氏死去(『朝日新聞』)
ジョージ・ケナン死去(『毎日新聞』)

冷戦史の生き証人ともいえるケナンといえば、戦後アメリカ外交の理論的支柱である「封じ込め政策」の提唱者として、歴史に名を残す人物であり、また第二次大戦までのアメリカ外交の特質を「法律家的・道徳的アプローチ」として批判し、それに「現実主義アプローチ」を対置したことで知られている。

冷戦がソ連ブロックの解体という結末をもって終結したことは、一般に「封じ込め政策」の正しさを例証したものと理解されているし、「X論文」はソ連崩壊を予言したとまで言われる。しかし、冷戦期のアメリカ外交の方向性(封じ込めの軍事化/グローバル化)とケナンが思い描いていた政策構想には重大な齟齬が存在していたことは、ケナンが50年代半ばで政治の世界から離れ、学究生活に入ったことからも明らかであろう。

ここに、ひとつの評価あるいは可能性として、ケナンが当初描いたような「封じ込め」政策に徹した場合、1989年以前に、世界は冷戦の終焉を見ることができたのではないだろうか、という問いが生じてくる。言い換えれば、現実主義に依拠するケナンの構想は、実際の政策に取り込まれる過程で、特殊アメリカ的な外交観に染まってしまったのではないだろうか。そうであれば、冷戦の終焉を「封じ込め政策」の成功、すなわちアメリカの勝利とみなす歴史観には留保をつける必要があるだろう。

しばしば使われる分類として、軍事的リアリスト/政治的リアリストという区別がある。もちろんケナンは政治的リアリストとみなされ、それがイデオロギーあるいは善悪二元論に走りがちなアメリカ外交に対する批判的な態度をとらせたとされる。この区別を「封じ込め政策」に援用すれば、全面的封じ込め/限定的封じ込めの2つを類別できるだろう(佐々木卓也『封じ込めの形成と変容』三嶺書房, 1993年を参照)。ヴェトナム戦争に典型的に見られるように、あらゆる事象が反共主義的色彩を帯びた形で理解され、その結果、アメリカ政府は世界中に不安定要因を見出し、関与していくことになった。

さらに踏み込むならば、ケナン自身の「封じ込め」構想に内在する問題も考慮に入れなくてはならない。つまり先に挙げた軍事的/政治的あるいは全面的/限定的という形で分類したとき、暗黙のうち、ケナンおよび彼の思想は、批判対象を論駁するための権威に祭り上げられる。そうした過程で、ケナンの思想は、定式化された固定観念と化してしまう。いわば教科書的理解に基づくケナン像が一人歩きすることで、本当のところケナンが提起した「封じ込め」が意味したことは思考の外に追いやられる。ボードリヤール的表現を使えば、オリジナルのケナンが、人口に膾炙した無数のシミュラークルの山に埋もれてしまったともいえる。

こうした点を考慮に入れたとき、実のところ、アメリカの「法律家的・道徳的アプローチ」を批判してやまないケナンの「封じ込め」概念に、アメリカ的思考様式が色濃く反映されていることは重要だろう。すでに永井陽之助がその著書『冷戦の起源』(中央公論社, 1978年)について、「X論文」の原型である「長文電報」を検討し、その思考様式を「疫学的地政学」と指摘した。またヨーロッパで育まれてきた外交実践から逸脱した発想として「封じ込め政策」を捉え返す議論もある(たとえば、Frederik Logevall, "A Critique of Containment," Diplomatic History, 28-4, 2004)。すなわち「封じ込め政策」の根底には、外交の基本であるところの対抗者との「交渉」を拒否すること、そして「交渉」が行われるのは対抗者との関係において、優位性が明らかな場合であるという認識が流れている。であるならば、そこには、ケナン自身/ケナン以後という軸に沿った冷戦およびアメリカ外交という枠では捉えきれない問題が潜んでおり、それゆえに、一見アメリカ的趣きを脱色したはずの「封じ込め政策」の変容(=アメリカ化)が可能になったといえる。

昨年の「冷戦終結の立役者」というレーガン大統領の死去をめぐる報道や評価とともに、ケナンが構想した「封じ込め政策」を成功と描く評価は、アメリカの勝利としての冷戦解釈を一般化する作用を持つ。そしてそこから導かれる教訓は、アメリカ外交の未来の方向性も規定している。この冷戦観を拡大解釈し、実践に移したのが2年前のイラク戦争であり、現在のブッシュ政権の外交路線であるといえるだろう。

その意味で、ケナンが自身の評伝の執筆者として指名したジョン・ルイス・ギャディスの論考「第二期ブッシュ政権の大戦略を検証する」(『論座』2005年2月号:"Grand Strategy in the Second Term," Foreign Affairs, 84-1, 2005)が「ポスト9・11世界のX論文」の可能性を指摘され、また当のギャディスが、今年1月の大統領就任演説草稿の執筆に関わっていたことは、ケナンの肉体的な退場であると同時に、その思想的退場を象徴しているともいえる。
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