転がり坂

登りつめたわけでもないのに、そろそろ下山したくなってきた。

たどり着けない峠の茶屋

2015-04-28 10:49:43 | 日記

「なすすべもなくただ一人風邪の宿」牧童

久しぶりに強力な風邪にやられた。酒を飲みに行く気力もなく、ベッドの中で一人うずくまっていた。

こういう時、幻影が次々に浮かんでくる。
犬の夢を見た。
普段は動物の夢はほとんど見ない。僕の背後では動物霊がすみつきにくいのかもしれない。
今回は負け犬の魂が宿ったのだろうか。

かわいい少女A
「ねぇ、あなたの犬はどこ?」
僕「えっ?僕、犬なんか飼ってないよ。」
A「嘘!信じられない!みんな犬と暮らしているのに…犬、嫌いなの?」
僕「うん、嫌いだよ」
A「最低!あんたなんか大嫌い!」
こんなたわいもない夢だった。

僕は一度も犬を飼ったこともなく、触ったこともない。少年時代、名犬ラッシーや名犬リンチンチンブームで金持ちの子はコリーやシェパードの大型犬を飼っていた。貧乏人は雑種かスピッツ。僕はアパート暮らしで座敷犬などは当時は存在しなかった。でも、うらやましと思ったことは一度もなく、みんなが可愛いと触りまくっているのを遠目で見ながら、君(犬)はテレビの中にいればいいのにと思っていた。

僕が少年の頃、叔父がスピッツを飼っていた。いつもキャンキャン吠えていた。ある日、いなくなった。うるさいと近所から言われ、手放したそうだ。

発熱の息苦しい頭の中でスピッツがキャンキャンと泣き始めた。

峠はまだかな?
昔、ドラマで、今夜が峠ですという病気のシーンがよくあった。最近は峠の前に薬で抑え込んでしまうから、なかなか峠にさえたどり着けない。
峠はそもそも病と自然治癒力との最後の戦いの見せ場なんだ。負ければ臨終、勝てば快気祝いで美味い酒が飲める。

早く峠にたどり着かないかな。
峠の茶屋でのお茶と団子も悪くはないのに峠にまだたどり着かない。

しかたない。
もう少し眠ってみよう。
スピッツがうるさいけど。

青い鳥の鰻

2015-04-28 10:47:31 | 日記

(ーー;)鰻ヌラリと逃げよとするが
カマをつかんで逃がしゃせぬ

今夜は疲れているからできないと、ヌラリくらりと逃げようとする旦那のあそこをつかんで、あれやこれやと嫁さんが奮闘しているという都々逸だ。
この手の話を不快として拒絶するかどうかはその人の資質の差なのだろう。

先日、土曜日の昼に鰻屋に入ったら満席だった。客は高齢者ばかりで、ここでもやはり女の客が多く、ワインボトルを囲んで、互いに病気自慢をしているグループもあった。ちょっと贅沢で、滋養豊富な鰻は年金暮らしの高齢者たちにとって、青い鳥のような身近な幸せなひと時になるようだ。

ある方の日記にこんなことが書いてあった。
「おばあが子供たちに鰻重をご馳走してくれた。でも最初から私にはお声はかかりませんでした」
よくある嫁姑問題かなと思ったら「ありがたや~♪とありがたく思いその間に 出掛けちゃった~♪ほほほ♪楽しかった~♪」とご本人は楽しんでいた。
そこで僕は「子供たちは鰻を、貴女は別のウナギを食べたんですね」とコメントしてみた。そうしたら「そういうコメは控えてもらいたいです。エロ系は求めておりませんので」と言われてしまった。

彼女は何を勘違いしたのだろうか?この場合のウナギは、身近な幸せの青い鳥のことで、エロネタのつもりで書いたわけではない。でも僕が書けばウナギがあっちのことだと思われても仕方ないけどね。



病気にならない生き方

2015-03-30 00:14:43 | 日記
「運び来るものは病か春一番」牧童

世の中にはいろいろな健康法が氾濫しているが、自分に合う健康法を見つけだすのは難しい。

僕も60歳を過ぎ、そろそろ自分に合った健康法を身につけたいと思うのだが、なかなか長続きしない。健康法にようやく慣れた頃には、おそらくはもう身体がボロボロになっていて、取り返しがつかなくなっているに違いない。
日々刻々と病魔が歩み寄ってくる。
身体と心がすっかり蝕まれた頃、あの時、あの健康法さえ実践していれば、今こんなに老いに苦しまず、もっと健康な肉体を手にしていたはずだと思うのだろう。

今までの悪習慣を深く反省し、酒を控え、姿勢を正し、ネットも恋もひかえ、少し走ったり、病気にならない生き方を心がけて数か月たった今、体調がすこぶる悪い! 病気にならない生き方をはじめたら、急速に老化したような気がする。

そうか!
これで浦島太郎伝説の謎が解けたぞ。

玉手箱を開けた浦島太郎は急速に老け込んでしまった。浦島太郎は悔やみに悔やんだ。なんで亀など助けてしまったのだろう。助けなければ、竜宮城にも行かず、まともな妻と一緒に暮らし、病気にならない生き方ができたのに。竜宮城に入りびたり、なんであんなことそんなことまでしてしまったんだろう。遊ばずにもっと真面目に働いていれば、今ごろ健康生活ができたのに。

煙が消えた玉手箱の底には『秘伝・これが病気にならない生き方だ』と表書きされた巻物が入っていた。もしかして、これを読めば若返るのかもしれないぞ。浦島太郎は不気味な笑みを浮かべ、皺くちゃになった細い腕を伸ばした。

それにはこう書いてあった。

・愚か者め。生活習慣なんぞ正しても病気は治らないぞ。
・死ぬまで竜宮城で酒や女と遊びほうけ、夢を見続けていれば、お前は幸せに死ねただろうに。
・酒を止め、女を忘れ、夢から醒めた時こそ、急速に病・老・死の煙に包まれるのだ。

というようなことが巻物には書いてあった。
浦島太郎は落陽に向かって落涙した。
さらに悔やみに悔やんだ。

そうだ!
もし、あの時、現世の良識に惑わされて、我が身を振り返らなければ、竜宮城で死ぬまでウッシッシな暮らしができたんだ!

病気にならない生き方を試みようとした時にはすでに病に冒されており、健康を求めれば求めるほど、病を引き込むことになる。

僕はどうやら玉手箱を開けてしまったようだ。髪は総白髪になってしまったが、陰毛にまだ少し黒いのが残っているうちに、早く竜宮城に行かなくちゃ、生命が危ない!

おやすみ

2015-03-11 05:23:44 | 日記

(ーー;)誰かいい人いるのはわかる
だけど今夜は私だけ

《天秤の下で》

頭上で天秤が微かに揺れ動いていた。天秤の根元に二人は座っていた。

「もうそろそろ時間だね」
頭上の天秤を二人で見上げる。
「貴方は戻らないの?」
「うん。もう天秤には乗らないことにしたよ」
「もう少し一緒にいてもいい?」
「あと少しなら」
「ずっとずっとこうして貴方と一緒にいたいの」
「君は家族のもとに帰らないと天秤がバランスを失ってしまうよ」
「貴方だって奥様が…」
「僕が帰れば我が家のバランスが崩れるだけさ」

《10%LOVE》

「もっとお話して!貴方を愛しているの!だから教えて!貴方のすべてが知りたいの」
「もう時間だよ。僕は君のすべてを知りたくはないんだ 。10%の君で充分」
「10%の愛でしかないのね」
「10%の僕が10%の君を100%愛している。それで充分。おやすみ」

全面ごめんの人生だけど

2015-03-07 14:30:19 | 日記
「ごめんねと冷たい指でメール打つ」牧童

僕は「ごめん、ごめん」と、ごめんを連発しながら生きてきた。ごめんねが僕の口癖になっているのだ。

ごめんね。僕には、こんなふうにしか君を愛せないんだ。

深夜、一人で温泉に入った。大浴場には五十代くらいの男が一人だけ入っていた。彼は僕に気が付かずに「ごめんなさい、ごめんなさい」と大声で連発しながら、ゴシゴシと力いっぱい頭を洗っていた。見てはいけないものと出会ってしまったような気がして、僕は彼に見つからないように、その場を逃げ去った。

部屋に戻ると、彼のごめんなさいがとても気になり、眠れなくなった。
また酒を飲みだし、いろいろ考えてみた。

たぶん彼は…
幼い頃、頭を洗われるのが嫌だったのだろう。いたずらの罰として頭を洗われていたのだ。

「また寝小便して!」
ゴシゴシ…
ごめんなさい、ごめんなさい…

「またこんなに泥んこになって!」
ゴシゴシ…
ごめんなさい、ごめんなさい…

「いたずらしたら、また頭を洗うぞ!」と母から脅されながら育ったのに違いない。

再び大浴場に行くと誰もいなかった。僕も彼のマネをして、ごめんなさい、ごめんなさいと大声で叫びながら頭を洗ってみた。おやっ!
実に気持ちがいいぞ。
頭の汚ればかりか頭の中の汚物まで浄化されていくようで、実に壮快な気分になれた。

ごめんという言葉は他人に謝罪するためだけにあるのではなく、過ちを犯した自分を浄化させるための言葉なのだということが実感できる。

貴女も、ごめんなさい、ごめんなさいと大声を出しながら頭を洗ってみてご覧。きっともっときれいになれるだろう。

不潔な男

2015-03-05 07:32:53 | 日記
(ーー;)肌の汚れは洗えば落ちる
お湯じゃ流せぬ浮気虫

今朝もシャワーを浴び、きれいな身体で昼間のビールを楽しんでいる。冬場でも汗は流れ出し、その上、おジン臭が加わってきたから、なお一層、清潔を心がけている。
にもかかわらず、あるタイプの女どもからは「あなたって不潔!」と罵倒される。
僕は不倫推進派だし、幾つになっても男と女は裸の付き合いが大切だと主張しているからだ。
既婚者の僕が妻以外の女としたいというと、やれ不潔だ、不純だ、愛じゃないと罵倒される。
でも僕には僕なりの愛があり、愛仕方がある。

相手に何も求めない、無償の愛を仮に「純な愛」とすれば、何かを求める愛は「不純な愛」になってしまう。
求める心は「~たい」という言葉で表される。愛されたい、デートしたい、独占したい、いつまでも一緒にいたい、奥さんや彼女から彼を奪いたい、結婚したい、別れたい、抱きたい、抱かれたい……
なんだ「愛されたい」も「抱きたい」も同じ「~たい」の不純な愛じゃないか!

「不純な愛」を創りあげていく「~たい」という欲求をひとつひとつ消していけば、愛されたいとか別れたいとか、独占したいという気持ちもなくなり、嫉妬心も消え、重さも苦しみもない「純な愛」が残るのかもしれない。

僕は抱きたいという欲求以外の不純な動機はなく、独占したいとも思わないし、嫉妬心もなくなってきた。だから僕のほうが「純な愛」に近いんじゃないかな。そんな気がする。
老いても、僕は抱きたいという純な恋心を失わずにいたい。

起承転結

2015-03-05 07:23:50 | 日記
「くれなけりゃなおさら欲しいバレンチョコ」牧童

今年のバレンタインは不作だった。このまま恋とは無縁の老後生活になっていくのだろうか。
バブルの現役時代はオフィスの机の上は高級チョコで山積みになっていた。バレンタインの後は虫歯がひどくなり、歯医者に通ったものだ。
やれやれ、コンビニで昔に比べはるかに小さくなってしまった板チョコを自分で買って、しみじみと味わった。

起「(たぶん)僕はもてていたはずだ(昔の話だけど)」
承「でも、ちょっと変わった女から好かれる」
転「群れている女たちからは嫌われる」
結「それは僕が変人だからだろう」

人間は褒められると調子にのって、もっと褒められようと試みる。
ある方から、僕のブログは起承転結でまとまっているとお褒めの言葉をいただいた。でもそうなると起承転結にまとめようと、もがいてしまい、支離滅裂になっていく。

僕を好きになる女たちには共通点があるようだ。

◯容姿、頭脳、生活環境など、いずれも中流である。
◯多数派に属さない。つまり群れたがらない。
◯妄想、空想、創作を好む。
◯常識、モラルを持ちながら、しばられたくないと思っている。
◯変わっている。

これからも僕に恋する女がたぶん登場してくるとは思うのだが、その彼女も間違いなく変わりものである。

僕は思ったことを素直に話すから相手を傷つけてしまう。

ある方がチャーハンとマーボー豆腐の写真を公開していた。とても美味そうだったのだが、よく見たら豆腐の味噌汁みたいに見えたので、そうコメントしたら、写真を削除されてしまった。

愛撫の時、だぶついたお腹の肉を揉んでいたら「お願いだから、そこは触らないで。どこを触ってもいいけど、お腹だけは触らないで!」と怒られてしまった。僕は乳房のように、彼女のお腹を揉みたかった。僕の愛情表現なのに受け入れてもらえなかった。哀しかった。

お腹を揉むようなコメントをしても、それが僕の愛情表現なんだ。

あれ?
起承転結は?

あれ?
僕は何を書きたかったんだろうか?
今年のバレンタインも、だいぶ前に終ったのに。

こんな僕を好きになる女がいたら、やはり彼女は変人に違いない。

鬼婆化する女たち

2015-02-15 05:40:35 | 日記
「立つ春や家も建たずに老いにけり」牧童

恵方巻きの話を書こうと想いつつ、時が過ぎてしまった。今ごろ書くのは阿呆巻みたいだが、来年を待つには年を取りすぎた。

恵方巻などという風習は最近までなかったのに、いつの間にか当たり前のように太巻が店に山積みされる。冬鰻の日もあるらしい。いずれ365日、なんらかの食い物デーになるだろう。
6月9日(69の日)、9月1日(くのいち、女の日)は祭日にしよう。

節分と言えば豆まき。年の数だけ豆を食えと教えられ、豆を入れて沸かした豆茶を飲んだり、豆茶の後の柔らかくなった豆に塩をかけて食べたものだ。

以前『オニババ化する女たち』(三砂ちづる)が話題になったことがある。結婚や出産しない女は女としての機能を失い、オニババ化するというのだ。もし厚生労働大臣が、赤ちゃんを生まないような女はオニババになるぞと叫んだら袋だたきにあうだろう。
結婚していても、出産していても、オニババ化した女が実に多い。愛と潤いを失った女たちはオニババ化していくだけだ。

ところで皆さんは豆まきの由来をご存じだろうか?
豆まきは実はオニババ追放の儀式だったのだ。
「鬼は外、鬼は外、福は内」には「オニババのような母ちゃんは家から出ていけ!オニババなんかとっとと出ていけ!福の神のような母ちゃんだけ、家に戻ってきてくれ!」という願いが込められているのだ。オニババが怖くて普段は言えない亭主や子供たちが、節分の日だけは正々堂々と「オニババのような母ちゃんはとっとと出ていけ!」と大声で叫ぶことが許された日だったのだ。
さらに先人は賢い。
女性ホルモン様物質イソフラボンを含有している大豆を年の数だけ女に食べさせ、オニババを福の神に変身させようと試みたのだ。

これが豆まきの真相である。
「豆まきはオニババ追放のための儀式だ」という説は僕の創作だからまだ広まっていない。しかし、これを読んだ皆さんが広く伝えてくれれば、恵方巻が市民権を得たように、僕の説もあたかも古来から言い伝えられてきたかのように教科書に記載されるだろう

火の用心

2015-02-08 07:45:30 | 日記
「靴下の穴繕わず餅を焼く」牧童

命が無惨に失われていく。命の大切さを多くの人々が語る一方で、NHKの大河ドラマでさえ殺しあい、奪い合い、晒し首を良しとしていた時代を映し出す。相変わらずアニメも派手な闘いを描き出す。殺しあうのは本能なのだろうか。

痛ましい報道が多い中で、冬場に一人暮らしの老人が焼け死ぬというニュースが毎年流れる。このニュースを聞きながら僕は餅を焼いていた。昔のように火鉢ではなく、オープントースターで焼いていたら真っ黒に焼きあがった。
焼死なんて哀しすぎるなと、僕はつぶやいてみた。

久しぶりに実家を訪れた僕のために、90歳を過ぎた母が鯛を焼いてくれた。焼いていることを忘れてしまい、真っ黒に焦がしてしまった。
途中で気付いた母は慌てて鯛を取出したものの、焦げた鯛に夢中になり、ガスを消し忘れていた。
老いたら火のない暮らしがいいのだろうな。
でもね、炎って心に沁みるし、火鉢の時代も良かったんだよね。
日本人が戦争をしていた時代を僕は知らないけど、火のある暮らしを生きてきたから、火は好きなんだけどな。


今夜もドキドキ

2015-01-30 05:57:10 | 日記
書く意欲が衰えてきた。以前は楽しくて楽しくて、あれやこれやと書いていた。今、読み返すと、いいことも書いているが、実にくだらないことも多数書き込んでいた。それを読み返しながら再投稿する。書く意欲を思い出すために。

(ーー;)ネット覗けば広がる色気
電気の切れ目で縁も切れ

ネットの中には魅力的な女がたくさん蠢いている。彼女たちの表現から何かが伝わってくるし、僕に心地よい刺激を与えてくれる。

(ーー;)包みよりかは中身が見たい
開けりゃモモから甘い蜜

そこに至るまでのドキドキ感こそ女にとっては大事だという。男だって、年齢に関係なく、このドキドキ感は大切だ。

初めて会う時は逃げ出したいくらいにドキドキしてしまう。一戦が終わった後は逃げられないくらいドキドキしている。

実際に会うまでのメール期間、かなりドキドキしながら二人の思いを高めて行く。メールでの心地よい会話が続くと、互いに会いたくなってくる。それから会うと後悔しない。メールで波長が合うと互いの実像がどうであれ、初対面という気がせず、すんなりと肉体も結ばれていく。
メールから始まると幼い頃の悲しい思い出とかご主人との辛い日々をメールで赤裸々に告白してくれる。
その前に会ってしまうと、かえって自己表現が規制されてしまい、話せないことや嘘が多くなってしまうようだ。

穴があいた靴下

2014-12-21 05:39:23 | 日記
「靴下の穴を見つめて日向ぼこ」牧童

硝子ごしの日だまりの中で足を投げ出して座っていた。ふと見ると靴下の指先に小さな穴があいていた。さらに大きく広げ、親指を出してみた。可愛いなと60歳を過ぎた僕が微笑んだ。

靴下に穴があくと、穴があいていないほうまでも捨てていた。ある人から、同じ物を何足も買っておけば、片方がダメになってももう片方はまだ使えると教わったので実行することにした。
僕の場合、右だけに穴があき、左足だけが残っていく。それをまた両足にわけてはく。ところが何か変だと思ったら、ワンポイント模様の位置が右と左とでは違うことに気がついた。無地または左右全く同じものを買わなければいけなかったのだ。でも今更、まあいいかとはくことにした。なれてしまえば気にはならない。
こんな暮らしをしていたら、靴下をペアに揃えてはくことがだんだん面倒になり、左右異なった靴下を平気ではくようになった。
人前で靴を脱ぐことはないし、僕がどんな靴下をはいているのかチェックする物好きもいないだろう。
だが待てよ。
このまま何もかもがどうでもよくなってしまいそうで怖い。どうでもよいことが果てしなく広がっていく。どこかで歯止めをかけないとまずいな、と思う。

今日は一対の新しい靴下をはいて行こう。


勘を鍛える

2014-12-14 18:47:53 | 日記
「もう一杯飲むか飲まぬか寒・勘・燗」牧童

勘がいい奴と悪い奴がいる。勘がいいか悪いかによって人生変わってしまうはずだ。
残念ながら僕は勘がすこぶる悪い。例えば初デートの時、注文した料理をひつこく勧める。どうも様子が変だから問いかけると、見るだけで吐き気がするくらい嫌いな料理だったりする。勘で彼女が大好きな品をオーダーしていたら、今頃いい仲になっていたはずだ。

毎日、エレベーターに乗る。四基ある。僕は勘を鍛練するため、次に来そうな一基の前に立つ。四分の一の確率なのに当たったことがなく、いつも落胆している。

酒をもう一杯飲んだほうが幸せになれるか、それとも不幸になるのか勘を働かす。勘ははずれ、いつも不幸な二日酔いがやってくる。

現代人は勘が悪くても生きていける。しかし生命体は本来、勘が悪いと生きてはいけない。餌はどこにあるのか、毒か栄養か、敵か味方か、勝つか負けるか……勘で見極めないと生きてはいけない。

テストの山勘、〇か×かの勘を磨くことは悪いことじゃない。本来、教育とは生きていくための勘を養うものなのに、現代教育はむしろ勘を鈍らす訓練を行っている。

勘は天性だけのものではなく、経験によっても創られていく。経験に裏付けされた勘がものをいう。勘が当たる確率を高めるには経験が必要であり、だから部族の長老たちには特等席が設けられるのだ。
「若者たちよ、そうさな、今日のような天気の日はな、新宿ではなく池袋の山に登るといい。そこに美味い女がいるはずだ。それを連れてこい!」
長老の勘によって若者たちも美味しい餌にありつける。腕力を失っても経験による長老たちの勘は若者たちには負けはしないのだ。

経験的勘が働かない老人は生き場所を失う。老後をどうしたら楽しく過ごせるのか、癌になったらどう対処すればいいのか、どうしたら自分らしい死に様が見えてくるのか、勘を働かすしかない。

さて、今度の恋はうまくいきそうな気がするのだが、さてさて、今夜の酒は美味くて身体に良さそうな気がするのだが、さてさてさて僕の勘は当たるのだろうか。

流されちまえよ

2014-12-03 04:50:35 | 日記
「汚さずにとっとと失せろ冬の糞」牧童

ここ数日、あちこちでトイレ話を楽しんでいる。トイレや便の話は面白い。

汚すつもりはないが、汚れてしまうトイレ。
いつまでも、こそこそと便器にしがみついている糞を見ていると、我が分身であっても非常にむかつく。ましてや憎い亭主の糞など許しがたい存在なのだろう。

流されまいと、いつまでもへばりついていないで、とっとと流されちまったほうが、互いにすっきりするのに、それができない。まるで人生のようだ。

駅などの公衆トイレがきれいになった。トイレットペーパーがある!変な紙を流されると詰まってしまい、かえって経費がかかるらしい。
水も自動的にふんだんに流れてくる。流し忘れ対策なのだろうが、センサーが敏感過ぎて、頼みもしないのに流れ出してくるときがある。

トイレに入ると自動的に電気がつく。出れば消える。ところが、このセンサー、人の動きがないと誰もいないと錯覚して消灯してしまう。長時間滞在派の僕が動かずにいると、勝手に消されてしまう。あわてて便座に座ったまま、電気をつけようと動く様は滑稽である。

古い時代から生きてきた僕は、この当たり前のことが、まだ当たり前だとは思えないでいる。

先日、駅の洋式トイレに入っていたら、突然、水が勢いよく流れ、尻に跳ね返った。汲取り式の頃は、おつりと言って、便をするとポチャリと跳ね返って来た。あの時とは違う不快感が尻を襲った。

その日は女を抱く気になれなかった。

幸せのテールランプ

2014-11-19 05:13:28 | 日記
「幸せを纏わぬままに冬支度」牧童

家の前の夜道に停められていた小型車に初老の男が乗込もうとしていた。突然、二階の窓が開き、二人の幼子の大きな声が響き渡った。

おじいちゃん
おじいちゃん
ありがとう
いつもありがとう
おじいちゃん
おじいちゃん
また来てね
かならず来てね

おじいちゃん
おじいちゃん……

走り去る車が微笑んでいた。
幸せのテールランプの姿が消えた後も、幼子の声が木霊していた。

おじいちゃん…
おじいちゃん…

家庭を見捨てた僕には、もう味わえない幸せ。

ふん、今さら何よ!

長年別居している妻の怒りの声が幻聴となった。

今夜は寒いね。
コンビニのおでんを買おう。

名文より紀文の秋

2014-11-15 05:11:23 | 日記
「酒飲まず寝るにはおしい秋の月」牧童

四十年以上、毎晩、酒を飲み続けてきた。大酒を飲み、ろくでもないことを懲りもせずに繰り返してきた。
酒が飲めない家系に生まれ育った僕は、もともとはすぐに酔っ払ってしまう体質なのだが、無理やり飲み続けることによって強くなってきた。だから天性酒好きの人のように酒を楽しめるわけではない。

そろそろ限界かな。
そろそろ酒止めようかな。

酒止めたら変わるだろうな。
僕が僕でなくなるかもしれない。

さて、とりあえずビールを飲もう!

「燗酒はちと早いので冷やがいい」牧童

この俳句、駄作だと自分でも思うのだが、僕の素直な気持ちは表現できている。

秋を感じると、おでんが食いたくなる。

「カニ鍋」「すき焼き」などのように食材の主役・脇役がなく、いろいろな種を平等に楽しめ、「全員が主役!」なのがおでんの魅力だそうだ。

厚揚、豆腐、がんもどき、ごぼう巻、いか巻、海老巻、こんにゃく、しらたき、昆布、さつま揚、サトイモ、じゃがいも、すじ、牛すじ、大根、たこ、玉子、バクダン、ちくわ、ちくわぶ、つみれ、ボール、はんぺん、袋、ロールキャベツ……

ひとつひとつの味を思い出し、次は何を食おうかと楽しくなってくる。

夏のおでん鍋は煮過ぎた得体の知れない物体が沈んでいるようで不気味だ。
秋になると、その鍋は急に輝きを増し、竜宮城の大宴会へと誘ってくれる。

おでん鍋は幼い頃から今へとつながる回転木馬。

大人になった今は酒が必要だ。

おでんにはやはり日本酒に限る。
錫のチロリで、おでんと共に暖めた酒はまた格別だ。

おでんといえば、やはり紀文。紀文の文字を見つけただけで、おでんが食いたくなる。
どんなにすてきな名文が秋を描きだそうが、紀文の秋にはかなわない。

「紀文」という社名は、前身の「紀伊国屋」の「紀」と、創業者の妻の名前から「文」を組み合わせてできたそうだ。
僕が創業しても妻の名前など社名にはしない。

燗酒にはちと早いので冷や(常温)でいただこうかな。

燗酒なら、どなたかのお酌で飲めたなら、さらに美味いだろうな。

♪もう飲み過ぎちまって君を抱く気にもならないみたい

おやすみ。