転がり坂

登りつめたわけでもないのに、そろそろ下山したくなってきた。

寒い街

2014-03-26 22:02:40 | 都々逸
(ーー;)ひとり待つ夜は不安が募り
こぼしてばかりの手酌酒

(ーー;)抱かせてください湯湯婆代わり
散歩するには寒い街

(ーー;)早く会いたいあなたのために
活けてあるのよ姥桜

(ーー;)枯れちゃいないわ貴方の指が
そっと触れればまた開く

(ーー;)二人並んで白河夜船
目覚めたくない嘘寝でも

(ーー;)下着はがしてのぞいてごらん
人にゃ見せない素の私

(ーー;)老いたこの身をやさしく抱いて
夢をもいちど見たいから

(ーー;)嘘でいいから惚れたと言って
本音なんかはしゃべらずに

(ーー;)ついていきます地獄の旅は
二人のほうが楽しかろう

(ーー;)ついて行きます あなたとならば
門限付きで地獄まで


また髑髏(されこうべ)

2014-03-22 18:23:27 | 短歌

逢えぬまま凍え紡ぎし長き夢
縺れぬように待ち侘びた春

今日よりも更に明日は日脚伸ぶ
この手も少し君へと伸ばす

花冷えや人肌恋し今はただ
愛より君をまずは抱きたい

冬の間の夢はふくらみ春に咲く
心許して緩まる身体

膝に乗る猫も愛しや春の雨
病んだ心の涙が温む

太陽を求め続ける向日葵は
恋に疲れてうなだれる闇

もう一度冥土土産に恋の旅
乗れた列車は暗闇の席

飲み干した空き缶潰す孤独飯
潰せぬ時間潰れた自分

寂しさで慕う想いが見せた夢
振り向く顔はまた髑髏(されこうべ)

年だから恋は無理だとつく嘘が
嘘でなくなる陽だまりの梅

3.11大震災、再録

2014-03-13 05:19:25 | 都々逸
3.11大震災、あれから三年、当時、僕は介護福祉士の資格を取るため特別養護老人ホームで実習中だった。寝たきりや車椅子の方が多く、大きな震災が起きたら全員無事に避難することは不可能に近い。
震災後、利用者から「東京に大震災が来たら私たちはどうせ助からないのだから、私たちをおいてあなたは逃げてくださいね」と言われてしまった。そんなことできませんよ、ずっとそばにいますからね、と答えた。この気持ちは嘘ではない。今でもこの気持ちは変わらない。
後日、施設職員に災害対策マニュアルが配られ、その中には、まず自分の命を守ることと明記されていた。これは消防士のマニュアルにも書かれているらしい。
でも僕には殉職をよしとする気持ちが根強くあり、自分の命を犠牲にしてでも、自然と利用者の命を守る動きをするだろう。ただし老人ホームの場合は、まず若い職員たちの命を優先して避難させるべきだと僕は考えている。そして還暦を過ぎた僕は動きが取れない方たちと一緒にその場に残るつもりでいる。

三年前、折込都々逸をさかんにつくっていた。折込都々逸とは四節のそれぞれの頭に、あらかじめ決められた文字を使ってつくる都々逸だ。この頃も色っぽい都々逸づくりを目指していたのだが、震災直後は流石に作風が変っている。
震災当時の心境になって都々逸をつくるのは難しいので、その時につくった都々逸を再録させていただく。
「さいがい・災害」「おみまい・お見舞い」「ふつこう・復興」を折込んである。

「さいがい・災害」

災害ふたたび
いつまた来るか
外気冷たく
今も揺れ

去るに去れない
命は重く
瓦礫の下で
今もなお

咲けば散るのが
命というが
がんぜない子の
命まで

さ迷う命
今どこにおる
学舎見上げて
いるのやら

寂しさこらえ
今また笑顔
頑張る子らが
愛おしい

さよなら上手に
言いたいけれど
我慢しようか
今少し

「おみまい・お見舞い」

鬼さんこちら
水から逃げた
周りのみんな
今どこに

お手てつないで
みんなで探そ
まだ隠れてる
いじめっ子

おやつ分けあお
見知らぬ子らと
漫画もいっしょに
一冊を

おままごとしよ
満ち潮までは
ママはほんとは
いないらし

おやすみなさい
みんなが消えた
ママまで一緒に
行っちゃた

「ふつこう・復興」

再び来るなよ
津波と地震
今宵静かな
海と月

ふざけすぎよね
罪さえ知らぬ
子供の命
奪うなど

不休不眠の
疲れも忘れ
この災難を
受けて立つ

不幸乗り越え
強さを増した
子らは勇気を
失わず

復興目指し
つながる想い
孤独の闇に
うろたえず

桜と女の下着論

2014-03-08 18:11:16 | 日記
(ーー;)下着はがしてのぞいてごらん
人にゃ見せない素の私

桜の季節がやってきた。入学式を9月しようという動きがあるが、日本の新年度は4月、桜の季節がいい。

「桜という字を分解すれば二階の女が気にかかる」

という都々逸がある。桜の旧字体は櫻。櫻の字の中に貝が二つ並んでいるから二貝で二階。そてし女が木(気)にかかるとなる。

二階の女と聞いて、どこまで妖艶な世界を思い描けるかによって、この都々逸の味わいが変わってくる。二階建ての二階の窓に腰をかけ、虚ろに空を眺めている女は魅惑的だ。

桜は春に一斉に咲き、すぐに散っていくからいい。これが真冬や真夏、秋に咲いていたら花見の様子も変わってしまう。
桜のさらなる魅力の秘密は視線にあると私は考えている。地に咲く花を見る時はうつむきながら、視点が固定されている。その点、桜には程よい高さがあり、上を向くことになる。また視線が桜並木とともに広がり、散る花びらとともに舞う。この動きが心の躍動感を強め、春の訪れによる高揚感を高めてくれる。

桜が咲いていた。桜を見上げると、ちょうど二階あたりになる。二階の窓辺から桜を眺めていた女と視線があう。恥ずかしくなり、風に舞う花びらを追うように視線をそらす。物干し台に干されていた女の下着を男の視線がとらえる。それに気づいた女は桜のように頬を赤らめ、下着を取り込みに走る。

櫻という文字を分解しただけの都々逸でもあれやこれやの妄想を楽しめる。

桜もいいが、干されている女の下着もよいものだ。水着みたいな下着より下着らしい下着がいい。最近はユニットバスに乾燥設備が付いていて、太陽にさらされないまま終ってしまう下着も多くなってきた。まるで飾られないまま棚の中にしまいこまれた雛人形のようだ。

夢をもいちど

2014-03-05 19:06:39 | 日記
(ーー;)老いたこの身をやさしく抱いて
夢をもいちど見たいから

梅の香が冬の終りを告げると、開花にはまだ早い桜の枝先から春のオーラが出始める。この季節、僕は「梅は咲いたか」を唄う。唄うと言っても自己流だ。

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ風次第
山吹ャ浮気で色ばっかり
しょんがいな

柳橋から小舟で急がせ
舟はゆらゆら棹次第
舟から上って土堤八丁
吉原へ御案内

「舟から上って土堤八丁吉原へ御案内」と歌から語りに変わる、さわりの部分が心地よい。
柳橋から花街の面影が消えてしまったが、それでも欄干から川面を眺めていると、男と女の鼓動が聴こえてくるようで、色っぽかった往時が偲ばれる。男たちは浮き浮きとしながら柳橋から舟に乗り、舟からあがると逸る思いで土手八丁~約1キロ弱~を小走りに吉原を目指したのだろう。

吉原の灯りが消えたのは昭和33年3月31日。僕が6歳の時だから残念ながら廓を知らない。僕が見た吉原はすでにソープ街になっていた。

廓は苦界とも言われ、遊女たちの暗い歴史がある。花魁(おいらん)という字は「鼻の先かけ」とも読まれたように、性病も蔓延していた。
廓遊びをした夫から淋病をうつされ、それが原因で妻のほうが離縁されたという、今では考えられない酷い話も残されいる。この悲劇の妻、荻野吟子が性病治療の際、男の医師たちに恥部を覗かれるのが辛かった思いから湯島に「産婦人科荻野医院」を開業。34歳にして近代日本初の公許 女医となった。日本の歴史は面白い。

僕は廓噺が好きで、遊女たちの世界を美化している。二度とあってはならない世界なのだか、廓への憧れは僕から消えることはない。
欲望を処理するだけの射精産業とは異なり、遊郭には遊女たちの悲喜こもごもの生活そのものが閉じ込められていて、そこを訪れる男たちとともに様々な人間ドラマが熟成されていく。
快楽だけではなく、哀しみが伴うからこそ性愛に味わいが生まれてくる。哀しみを持った女たちからは母性が醸し出される。哀しみに包まれていた遊郭そのものが僕には母体のように思え、中で包まれて横たわりたくなるのだ。





官能作家的老後を目指して

2014-03-01 02:14:35 | 日記
(ー ー;)憎みたくなる貴方の浮気
だけど許すわ好きだから

(ー ー;)憎むよりかは哀しむほうが
好きな自分になれるから


「憎しみとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎しみではない。愛の反対は愛しないことだ」と有島武郎は言う。

しかし愛が憎しみに変じた段階で愛とは全くの別物になっている。生卵とゆで卵とでは同じ卵であっても別物なのだ。ゆで卵を生卵に戻すことは不可能だから、未練たらたらと執着して憎悪感を深めていくのは愚かなことだ。もし愛が憎しみに変わる兆しが見えたら、とっとと別れて新たな愛を見つけたほうがいい。

「愛の反対は愛しないことだ」では小学レベルの回答で、文豪の言葉とは思えない。
愛の反対は無関心だという人もいるが僕は違うと思う。むしろ無関心という広大な土壌があるからこそ、個別の愛が育まれていくのだ。万人を愛することは不可能だし、無関心領域を狭めて愛を増やしていくと、それこそ憎しみも増え、争いが多くなるだけだ。
愛の反対、それは無関心ではなく、暴力だと僕は考えている。


「愛の表現は惜しみなく与えるだろう。 しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ」(有島武郎)

僕は貧乏だし、ケチなので惜しみなく与えたいという感情にはなれない。また天性のものぐさで、女のために何かをしてあげようなどと思ったことがないし、惜しみなく奪いたいという気にもなれない。奪うという男の本能が僕から消えているのかもしれないが、あの時、「あっ、ダメ、やめて」なんて囁かれると、じゃやめようと、さっさと引き上げてしまい、女からきょとんとされてしまう。

男が奪い、女は与えるものだという思い込みがいまだに残っている。
「○○ちゃんがさ、やらせろってしつこく言うから、やらせてあげたんだ」などと女がぬかしていると、やれやれと思ってしまう。
セックスは一緒に楽しむものであり、やられたり、やらせてあげるものではなく、お互いにしたい時にすればいい。

僕にとっての恋愛世界は奪ったり与えたりの共同作業ではなく、極めて個的な取り組みになる。女から多大な刺激を受けながら、その刺激によって、いかに自分の世界を構築していくかを楽しんでいるだけなのだ。

短歌や都々逸を発表すると、いい人がいるんでしょう、とよく聞かれる。彼女がいないわけではないが、女がいたら短歌や都々逸などをつくったりはしない。それよりいちゃいちゃしながら飲んでいるほうがずっと楽しいではないか。
僕は女がそばにいると創作できないのだ。恋をしていても、現在進行中の恋をそのまま創作に乗せることはない。現実の恋となると、もっと生々しいものであり、短歌や都々逸にはならない。
不倫の渦中にいる女が実体験を元に生々しくブログに書いたり短歌にしているのを読むと僕は辟易してしまう。

官能作家の実生活は官能的ではないという説がある。日々、官能世界に溺れてしまえば、創作するより、やっているほうが楽しくなり、書く時間がなくなるはずだというのだ。

僕は老後、官能作家的に生きてみようと思っている。