元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

中途半端な存在?

2024-02-01 09:47:52 | 独り言
中途半端な存在?



さて今日もメアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」から名言と思われる台詞や言葉を取り上げよう。これは物語中で科学者を目指す青年、フランケンシュタインの台詞である。曰く「わたしたち人間は不完全な生き物で、中途半端な存在なのです」。「だから自分より賢く、優れた愛しい存在──友人とはそうあるべきものでしょう──が手助けしてくれなければ、自分の弱くて欠点だらけの本性を改善できないのです」と。結局、自身の悪い処を客観視して、助言が出来るのも両親や古い友達ですからね。その友達でも「親友」と言えるような存在は、特に貴重だろう。まるで身内並に意見を言ってくれるのだがらありがたい位だ。だからそこまでの人間関係を築ける人は大切だと思う。さて今日も休みだが、昨日は色々と誤算があり、一時停止に難のあるVictorのカセットデッキの調整が終わり、何処も異常がないのに不注意でモーターの回路を焼いてしまった。火花が出る程のショートを起こしてしまった。然も友人が家に来る一時間前の出来事だった。それで急遽モーターを変えてみたが、何かが違う。もしかしたら他の回路もイッたのかも知れない。その症状だが、回転が速い。然も異常に速く暴走だ。なので御蔵入りをしているカセットデッキで望みのある物を点検してみよう。近々、かなり以前にメイン機として使っていたTEACのカセットデッキ(「A-450」)のレストアを依頼する御者とも話をしなければならない。なので最悪、そのレストアが終わらないと、完全に使えるカセットデッキがないのだ。再びオーディオラックに鎮座するのが待ち遠しい。てな訳でそれまでの辛抱となる。さっさとどうにかしたいものだ。



それと今日から家庭記録映像の編集作品の素材として、新機材で新たにテレシネをするのだが、これは父の体が弱ってきてからの企画だ。残念ながら一昨年に亡くなってしまったが、その作品を観るのが身内の楽しみでもある。と言うのも親戚も含め、家族と親族の歩みみたいな作品となったからだ。一周忌に従妹に魅せたが、そこにはその従妹の両親や当人の若い頃の姿が写真ではなく動画として観れるので、そりゃあ懐かしさから次回作を期待されると言うものだ。ちなみにそれでは、従妹が高校生の時代の姿が拝見出来るの。だから尚更だ。今になって思うと8ミリフィルムで残しておいて良かった。テレシネに使う映写機は、部品交換の手前でピッチがやや低いが、サイレントフィルムには大した関係が無い。来週辺りに、その動力回路のコンデンサでも発注しよう。結構な大容量で、値段も高いが必要な部品だ。こちらも早く片付けたい。関係ない話だが、午前中は母と共に除雪作業である。疲れるが仕方がない。それにしても昨日の誤算は悲しい。幸いSonyのローコスト機は元気である。

漫画家・芦原妃名子さん(50)死去 「セクシー田中さん」ドラマ化巡りトラブル投稿
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/900001379.html
『セクシー田中さん』改変問題、日テレの約束反故と事前説明の欠如が原因か
https://biz-journal.jp/2024/01/post_371633.html

さて「セクシー田中さん」の原作者である女流漫画家が自殺をした件だが、映画でもテレビドラマでも、要らぬ改変をされる事は多々ある事だ。然も原作者不在の状態になる事も珍しくはない。しかしながら勝手にやられた悔しさは、まるでわが子が殺されたような印象だろう。媒体は宣伝効果が大きい為に、それを印象操作として使う事も出来る。そこに政治が関与すれば、即ち「政治プロパガンダ」である。そうして新聞が世に出た時代から、人々は騙され、ラジオを経て、テレビが到来すると、より強力になった。その前は映画だった。今回の「セクシー田中さん」の件については、とても不幸な出来事だった。その日本テレビは、まるでその事をすっ惚けているようだが、人が死んでいる。当事者の謝罪会見が必要だろう。その犠牲者は原作者のみならず、作品を描く為に取材先にも後味の悪い印象を残した。それこそトラウマもだ。此処で以前に体験した自身の話をしよう。実は小生、以前は自身でイベントの主催をした事があった。もう17年も前に、その最終イベントがあったのだが、ある古本屋の紹介で会場の相談に乗ってくれそうなジャズ喫茶を紹介してもらったりしたのだが、その古本屋さんの常連で、地元FM局でパーソナリティーを務めている人を紹介してもらった。実はそのイベントと言うのは、SPレコード(78回転盤)の鑑賞会だったが、そんな人だけに、その人自身の番組でイベントの紹介をしてもらおうと思った訳だ。確かに宣伝効果はあった。その番組では珍しい音源もこちらから提供をしていたのだが、その音源(SPレコード)が入手出来た状況をいい加減に紹介をされたものだから、入手先には迷惑を掛けた。つまりその程度のものなのだ。だからそんな媒体にいい加減にされる事は別に珍しい事ではない。おまけにそのパーソナリティーに折角、手に入れたレコードを掛かる事情で貸したら、「金を払うからくれ!」と言う始末。とても貴重なレコードだった。もう手に入らない。



あんまり入手時に嬉しかっので、そのアルバムを写真に残した。機会があったら欲しい。
殆ど聴いていない。清掃をして、会場の相談をしにジャズ喫茶に行った時の出来事だった。

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