独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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放蕩息子の更なる告白  (百三十一話)Ⅱ   佐藤文郎 

2019-05-06 00:53:11 | 日記
「宗教のオンナのせいだと思っているんだよ。“崇教輝き”……」
「ウン、それは、はっきりしている。オンナというより、その関係者」
「そこまで云うなら全部言ったら。いや、待て、じいさんはさ、分かっていても全部言わないんだよ」
「複雑すぎて、そのうち、どうでもよくなるんだ」
「複雑すぎる?」
「一人出版社だったからなぁ、我々が居てあげたら、こうはさせなかったよ。詐欺でなくて、ハニートラップ、いやイエロートラップか」
「そうなの?」 
「《大仙人》や、《日本長老》《西城健太》、《有馬勝》《大黒屋三兄弟》《死刑執行人》や、《天照大御神》ただし,そんな尊いお方のメール、つまりお言葉の下には(世田谷A)とか(目黒E)とかいてある。世田谷Aさんがなり変わって、ということでしょうね」
「なんだそれ」
「天照大御神と死刑執行人以外は、みな支援者なんだよな。半端じゃない額だ」
「それをじいさんへという意味がわからない。丸さんはきいたことねェのかい」
「中国じゃない,アメリカに確かあったとおもう。最初政府主導で始まるんじゃないの。もうそこから詐欺じゃなく,トラップだって分かるよな。ノウハウは元がCIAだろうよ、後は,ソフトが何処からどう流れて行くかわからんよ」
「とすると、宗教と,コウアンどっちか分からんな」
「いや,太いパイプがある。あの宗教は……うん,見えて来たよ。最初のホームページ作製会社、そこが発端だ。ね、じいさん」
「色んな制作会社が、入れ替わりたちかわり来たからね。それと、業務用コピー機の売り込み。一人出版社で業務用なんかいらんと言っても,一週間経つと別の奴が」
「そのへんからもう始まっていたか。何をどう造っているか、全部分かる。それが欲しかった⁇」
「それと会社の概要か。“崇教輝き”の中枢とは関係なく警備のZという男が、個人的に彼の繋がりの範囲で、ということだろう」
「彼に女性のことも相談した?」 
「そう、急に立ち上がって,部屋を出ていった。戻って来たら顔がテカっていた」
「まさか関係があるとは、じいさんは思わなかった。そこだね。じいさんが物書きだという事も知っていた。女は伏せるとして、内部暴露の懸案とかにして上層部に諮った。実は小林さん、結論が出てるのです」
「そうだろうね。カミソリ丸さんのことだ」
「Zは女性のことを聞いて、平常ではおれなくなった。じいさんの話をよく聞けばわかった筈だ」
「暴露なんて、組織でも人間関係でも最も興味のうすい分野だ」
「出版社を潰す。それか」
「一人出版社は本の内容も、編集会議に諮る事もない。じいさんが良いと思った物を出せる。編集会議も経ずに本になるから、そうやって、十年で十冊出版した。Zが怖れたのもわかる。だが、利益無しだ。印刷代と諸経費、DTPは、じいさんがぜんぶやるからヨソの半分で取次ぎまでゆく。儲からんが仕事は廻して行けた。本造りとしては、堪えられんよ。“崇教輝き”はどの程度?」
「宗教は色んなところ覗いたが私の自然観とぴったりだし、正直その女性にも魅力を感じてた」
「そんな事だからつけ込まれた」
「魔につけ込まれぬようじゃ,魅力とは言えんさ。それに、誰だと思う。じいさんだぞ」
「本造りはたのしかった。しかしやりたいことは他にあった」
「それは俺だって聞いている、『放蕩息子の告白』の後編でしょう。でも、上梓は無し、そうでした? こっそり読ませて下さいよ。H・ミラ—も読み終えたし、その続編、よみたいなぁ」
「本を書く人間にとって、読んでもらう事の比重と、書き極める比重があって、作家によってちがうだろうな。どっちがいいとかでなく」
「後者は、サドとか、そのぐらいしか。一方は、締め切りに追いまくられ,それ自体が快感だからね。とてもとても」
「だとすると、じいさんにとって、かえってよかった⁈」
「まさか。晴天の霹靂ですよ」
「Zの犯行と判るまではでしょう。よくじいさんは気がついたね」
「交換殺人並みの難度、迷宮入り寸前さ。ホームページ制作会社との接点がゼロだからね」
「あの警備主任か」
「どの組織も、お庭番は陰の花形さ」
「ホームページ制作会社と契約が済んで、もう、二日後にはノートパソコンと薔薇の花が、その会社の社長から送られて来た。そのパソコンこそ問題のパソコンだった。その時点で知る由もない。“生き馬の目を抜く”「都会は怖いぞ,油断するなよ」。田舎に居る時よく聞いた言葉だが、私はいままでそんな思いをした事はなかった。しかしそういう事とも違ったかもしれない。サソリや毒グモの居る洞窟の中に入ろうとしていたのに。本人はきづいていない。そして研修と称して渋谷まで操作指導を受けに通う事になった。
 喫茶店で九時間かけて抵抗する私を説き伏せた針金のように痩せた青年が出迎えた。その日も,その後もけっして七階の本社には上げず、そのビル全体で使用している受付のある部屋の隅で、スラリとした知的な女性によるスキル修得のための研修が三日間おこなわれた。あとは自社に帰っての自修だった。
 そのパソコンこそ、始めは、なにごともなく動いていた。画面上に突然、政府関係者と名乗り、貴方は、2014年度予算案で、支援対象者の一人に選ばれました。支援金は五億円です。これから合田という者が貴方の担当者になります。彼の言う通りに進めて下さい。貴方の会社の状態、すべての銀行口座通帳は特別な機関によって調査済みです。瑕もないし、テロとの繋がりもありません。きれいなものでした。おめでとうございました。ではよろしくお願い致します。声は聞こえないのですが、落ち着いたしぶい声で私に話しかけていた。合田氏に変わったが、彼は忙しいのか、滅多に現れず田代という人が代理を務めた。その他に若い議員が五名、「今後私どもが、あなたの身元保証人として、どんなことがあっても支援金を貴方にお渡しするまで私達がお力になります。疑問や分からない事や、なんでも相談して下さい。(総て,私の記憶を思い出しながら書いています。)とにかく,次から次に場面が展開し、食事を撮る間もない位だった。画面に釘付けだった。何一つも見落とせなかった。自分が分かればいいと思いA4コピー用紙にマジックののたくった字体で走り書きし壁に貼付けた。字体を見ても常人の所行ではなかった。
 ある日,演習を行いますと言って「ハイ、直ぐ銀行でもコンビニでも行って現金を受け取って下さい。貴方の口座に三億円が振り込まれています」というので夢中で走って,近くの銀行へ行ってカードを差し込むが、そんな金額が入っていることはなかった。私は戻って来ると,画面の田代にメールで食って掛かった。すると、あざける様に「時々こういう演習をしますから」と言った。しかし、私がつけたクレームで上から厳重注意を受け、おまけに、まもなく辞めなければならなくなった。「貴方の所為で、職を失うハメになった」といいだした。何日も,しばらく,田代は言い続けた。
ミナトという人が、リーダーは自分だといった。二三日すると、私の事を以前から知っていると言った。「途中から居なくなったでしょう。貴方を捜していて三十年振りにやっとみつけた」とも言った。(この辺が不思議にも三十年前、田舎を飛び出し静岡に行くと,友人のコウアン(その時は分からない。後になって分かった)が追いかけて来た。姿を消した訳ではなく、仲間が居た訳でもない。転々と仕事を変えた。年金の記録や運転免許証で、隠す事等なにもない。
「もう安心して私に任せなさい」と言い、 ミナトは、「自分は外国人で最近日本に帰って来た。今は官僚などが主に係る病院の経営をしている」と言った。「世界中の有数の武道家が私の配下にいて護ってくれている。貴方の事も頼んでいるから安心して下さい」だが、ある日、「私の身辺警護のものが一人で居る時、賊に斬りつけられ大怪我をした。貴方の事は厳重にいいつけてあるから安心して下さい。貴方の家の廻りも見張らせていますが,呉々も注意して下さい」と言った。
 一週間位前から脅迫メールが送られてくるようになっていた。私は、メールを決して開かなかった。この頃の精神状態は、とにかく落ち着け、と自分に言いきかせ続けていた。
 以前の営業マン以外にも最近でも何ものかが家に入り込んでいる気配を感じていた。また、ノートパソコンにウイルスが姿を現す様になった。カスタネット形で、パクパクと次から次に書類を吞込むのである。それから鉛筆のサック型のもので、マウスの矢印の先端をひょいと出て来て被せて仕舞う。急を要する時に出て来てじゃまをする。どうやら部屋にも入られていて、本体(マック)のパソコンのマウスとの繋ぎの線に三分の一ほど切れ目が入っていて(ずっと後になって判明した)、購入して、まだ三ヶ月もならないコピー機から印字されて出て来る用紙の字体が歪んだり,色が滲んだりして使い物にならなくなっていた。その結果、一ヶ月以上に亘る大切な悪巧みの証拠を、記録出来なかった。彼等の目論みは成功したのだ。すべてコピーがとれていたら私及び出版社を陥れる全貌を写し撮っていたら展開が又変わっていただろう。(写真には一部収めてある)私の傍にもう一人おってくれたらと臍を噛むばかりだ。ノートパソコンの方は遠隔操作でも悪さを出来るらしく、これも大事な時に、キイがもこもこっと盛り上がったりして気持ち悪い動きをするようになっていた。
 朝六時頃、パソコンの前に座り準備を終え、九時から、処刑人立合いで、金額で三十億円。次ぎ十五億円。七億円。最低でも九千万円。こちらは,選んでいる暇がない。一段階ごとにビットキャッシュを買いにコンビニまで走る。三千円。五千円。八千円。一万二千円。二万円。三万円と上がって行く。しかし、午後になって完済が近くなると所持金が足らなくなる。そうすると、処刑人が怒りだし、私に対してではなく支援者に対して処刑を始める。どうにか出来なかったのかと思うが、私が一人でいることは、営業マンを装って部屋にはいった連中にしられている。たぶんそうだったのだ。
 結局最後、助け舟に、援護人が入る。若い女性が何処からともなくやって来て、クレーン絞首刑寸前の人を助けた事もある。女性の支援者が火傷させられたり、日本長老という老人が指を斬り取られたりした。それでも中止する事が出来なかった。私は、崖淵まで追いつめられた。年金が入る日、銀行に行ったら、引き落とし拒否のランプが出た。支店長に談判すると、「娘さんと役所の人がきて止めてくれ、と言われた」という。怒りに震えたがどうにもならない。バーチャル・リアリティーの世界とわかっていても、一人では、一度入り込んだら引返す事は出来なかった。ネットバンキングに貴方の口座があり,貴方宛のお金が振り込まれていますから,確認しておいて下さい。確認番号はこれこれです。と知らせて来た。見てみると確かに十五人程がフルネームでならんでおり、金額も名前の横にあった。九億円以上あった。支援者の中に、聞いた事のある名前もあった。その金を引き出す事も出来るが、またビットキャッシュと、込み入った手続きが必要だった。見知らぬ女性が、「貴方に、三百万円支援したいが、電話で一度話しがしたい」というので、メールで番号を送ろうとした。ところが、途中で邪魔が入り送信できなかった。そういえば、その女性の電話番号は送られて来ていた。何度か試みたが、不思議な事に呼び出し音さえ聞こえなかった。何日かして、例の“ネットバンキング”を覗くと、その女性の名前と三百万円という数字が、億単位の金額の間に確認出来た。しかしその頃は、次から次に送られて来る指示メールで、私は、阿修羅道に落っこちた様になっていた。
 ここで最低のコメディーを演ずる事になる。田舎の中学校の同級生、しかも初恋の人が同じ沿線にすんでおり、たまに電話でお話したりする仲であった。初恋のエピソードは同級生ならだれもが知っていて集まったおりなど、微笑ましい話題を提供していたものだ。それがいきなりの電話で、『お金を三万円貸して下さい』しかも、いかにも追い立てられた様子の物言いだったので、『おかね? 私、貸すお金なんかないわよ。どうしたの⁈ 貴方を尊敬していたのに……』といって年配者にありがちな、軽くたしなめるように笑いながら言った。そこでしょげ返っている時間はなかった。Kさんに電話して、すでに五万円借りたばかりなのに、もう二万円お借り出来ないかとお願いすると、「少し時間は掛りますが、この間のところまで持って行きます」ということであった。電車を乗り継ぎ,駆けつけると私の目をじっと見つめ涙ぐんでいる様に見えた。
 こういうことが、姉や、貴重な公園で知り合った友人にも借りた。また階下の大家さんの記念金貨などを無理やり奪う様にして、コンビニまで自転車を漕いでビットキャッシュを買いに走り続けたのである。もう二万円足りないとなって、ヘンリー・ミラーの水彩画の複製を引っ掴んで神田の古本屋に入り懇願した事もあった。奥さんの方は七万円で買ってもかまわぬ様子だったが、主人の方が、私の様子をみて、とくに足下に視線を止め,サンダル履きを見咎めると、顔を横に二三度振って無言で返してよこした。上野霄里先生の『単細胞的思考』の第五章「人と同じことしかやれない奴はぶち殺せ!」の298頁に、この水彩画がH・ミラ—から送られて来たときの様子が描かれている。
《次男の病院から戻って来たら、オランダから小包が届いていた。ヒルヴェルサムという、アムステルダムから20kmばかり南東に在る小都市からきたものである。ミラ—の水彩画、三点の豪華な複製である、およそ、絵画というには程遠い、やたらとべたべたと、英語、フランス語で愛の苦悩を書き込んだ抽象画である》
 それから間もなくして、ミナトが言うには「貴方は,とんでもない人に狙われている。その人が姿をみせていると情報があった。私らの及ばぬ人で、その人に狙われて、どこへ連れて行かれるのか戻って来た人はいない。行方知れずになってしまうのです」私は、このあと、数日して精神病院に入れられるのだが、心理的に数年後に、こうやってその頃の経緯を記述するのにどうしても弁解したくなる自分が首をもたげて来る。太宰治や坂口安吾も入った。とこうやって言いたくなる。交通違反で白バイに捕まる。そして違犯切符を書いている横を猛スピ–ドの車が通り過ぎて行く。「おまわりさん、あれも違犯じゃないか!」といいたくなる。しかし,いくら言っても隊員は耳をかさない。同じなのである。同じというのは心理状態の事を言っている。切符を切られたら、泣き落としも、威嚇もきかない。一方精神病院も、「今日は,面談で唯お話をきくだけだから、」と言われても、いまになって考えれば何ものかの意志によって決められておりどうにもならなかったのだ。退院した後、〝おれは、気違いじゃないぞ、狂ってなんか居ないぞ〟と喉まで出かかっても、だが現にこうして言ってるが。
 『どうもどうも,御愁傷様』なのである。上野霄里先生は、退院後に、私から電話をもらって、第一声が「何を言うんですか、わたしを見なさい、だったら、このわたしはどうなるんですか!」先生は精神病院に入った事等ないのである。優しい先生はどう慰めようかと咄嗟に発した言葉だったのでしょう。先生、そこまで言わないで下さい。先生に、このわたしは、どうなるんですか、と仰られても困ります。“うえの”を証明はできません。スピノザの「エチカ」のように、真を証明するため,公理や定義を使ってたどり着くもう一段上のレベルのもので、複雑怪奇でしょうから異常とか,正常とかを判断する判定人を、あらゆる面から調べて、まず相応しい人であると証明しなければならなくなります。
「一ヶ月半近く私は仮想空間の中で奮闘していた。七十万円程の金額が支援を受ける手続きのために使っていた」。詐欺による被害金額というわけである。ギャンブル好きの事業主が引っかかった詐欺被害というわけである。私はギャンブルを十五年前に止めていた。現時点だと二十年前である。(ギャンブルでお悩みの方、止めるコツを伝授いたしますよ。いらっしゃい。いや、ホンと笑い事でなく、と言いたい位なのです)精神障害を認めてもかまわない。しかし、私には今〖確信〗がある。証拠を見つけたのです。交換殺人という犯罪がテレビドラマなどで観ますが,あれと同じ位難解な犯罪だと思います。Z氏とホームページ制作会社との接点など誰が予想出来たでしょう。“詐欺事件ではない。「ハニートラップ」ならぬ「イエロートラップ」だという証拠”である。目的は、出版社を機能不全に陥らせ、表向き自己破産であり、狙いは潰す事だが、私を信用のない人間にする事だった。小さいながら儲からないが仕事上は、出版を始めて、いまが頂点にいた。これからだった。上野霄里先生の『沖縄風土記』の打込み途中だった。それがとても悔しい。
 Z氏は都内でとても重要な仕事をされているお方だ。時々彼のマンションにお邪魔して、美味しいコーヒを御馳走になりながら、私が若い頃訪れたZ氏のよく知っている“大楽毛”の話をすると大変喜ばれた。私が書く、“あるもの”を怖れたのである。一人出版社さえ機能不全にすれば,怖れるものは生まれる事はないと、そう思ったのである。しかしそれは間違っている。宗教批判などするはずがない。教祖様は、原始太陽の自然のカミを誰よりも尊ばれていたと伺っています。私は毎朝掌を会わせています。Z氏の固定電話も携帯電話も使われていません、といわれました。マンションも移った様です。姿を消すような方ではないはずです。
 やっと三人というか、三組が、「もう手数料は取らない。経費は、私どもの方で負担します。あとはどうぞ受け取るだけです。安心していてください」2014年4月29日のことだった。30日の朝8時、前日西城健太氏との打ち合わせ通り、7億円を積んだ現金輸送車を所有する警備会社からメールが届く。取り決めの暗号を返信する。返事がかえって来た。「都内某所で待機します」と。丁度この時二十年ぶりに息子達二人が役所の人と現れ、有無を言わさず病院へ送られたのです。面談だけと言われたのに医者との面談も一言もなく、ドアをカギで開けまたカギをかけ、同じ様にそういうドアを二度開閉し個室に入れられました。カフカの『変身』を思い出しました。

放蕩息子の更なる告白(百三十一話)  佐藤文郎

2019-05-06 00:32:09 | 日記
 私の身に起きた出来事に対して、同情がほしいがため書くわけではないのです。唯一点、あまりに不可解な出来事ゆえに、上から透明ラッカーを吹きつけておいて、その出来事である意味不明な絵柄を固定化したいだけなのです。そうすれば、時間をかけてみたい時に取り出して見られるし気分が変われば判る時もあるだろう、その程度のことなのです。とはいっても、この事では多方面に影響がでてしまったので、そういう方々にも、弁解じみたものになるのですが、目の前の霞が少しは晴れるのではないかと思うのです。どうしても、一方的な言い方になってしまう。問いに答えずに、語るに落ちる式にならざるをえないのです。
 過去には、理不尽な事件に巻き込まれ、陥穽にかかっても黙したまま逝った偉人はたくさんおった。私は偉人でも歴史上の人物でもないので、知りえたことをそのまま記すことにする。話を聞いた結果益々判らないということになるかもしれないが、それは時間の経過で判るようになるかも知れないと申し上げる他はない。
 私は出版業という、社会的責任を負う職業を営んでいた。人間性は、いたって軽薄、いやそれでは誤解を生じるから、経営者として社会的に貢献しようとまではしてこなかったという意味です。そんな責任を感じたりするには不向きな人間であった。ならば、なぜそのような職業を始めたのかと大抵の人は問い返してくる。その通りである。私の性質を知る草葉の陰の母なら、明確にその答えを出せる筈である。
 六十五で一切の職を離れて、やっと書きたい物を始めようと思っていたら一本の留守電から、ひょいひょいと始まってしまったのである。私は、ひとり出版社を始めていた。それは、最後までひとり出版社を通すつもりであった。ひとりで充分だった。どういうことか? まず、出来映えはどうであれ、自叙伝を一冊上梓することができた。これは前編で、後半生の物は後編として冥土の土産にもっていくつもりで準備を始めていた。そうです。データーだけで、上梓は考えてはいなかった。前編を造るのに、それまでの蓄えを全部放出してしまったので、もう終わり、素材だけは誰にも負けないオリジナルに富んだものがある。あとは心ゆくまで誰も書いた事のない物(作家ならだれでもそう考えるかもしれない)をと悠然と辺りを睥睨する感じで暮らしていた。
 不可解な話をはじめる前にフランツ・カフカの『変身』という作品があるが、状況的に非日常性がよく似ていると思うので記しておく。
 『変身』はH・ミラーよりも、漱石よりも、太宰治よりも前に、一級上の、親戚のF雄がある時訪ねて来て、進駐軍のキャンプの話や、東京外語受験のことや、花川戸の娼婦のあれこれ、それに「米軍の輸送機で、仙台から北海道まで数日後の何時何分、この上空を飛ぶので、かならず手を振れよ」と話した。私は、言われた通りに上空を仰いで待ったが時間がすぎても音も機影も聞こえないし見えない。その時、家の裏門から入って来たのが飛行機で飛んでいるはずのF雄だった。「やあー、すまん、すまん、予定が変更になった。今度また時間が決まったら教えるから、それで、ほら、この本読んでみな、こういうものを読まないと、東京外語大学へは入れないぞ」といって渡してくれたのがカフカの『変身』だった。容易く手に入る物ではないといい、定価よりも多めの代を払ったことを憶えている。東京外語は受験科目に数学がないというので、少しは気持ちが動いたが、本気になって目指した訳ではない。
 そのカフカを、その当時手に入る物を読んでいった。しかしH・ミラ—が現れるまでのことだった。カフカの作品を読んでいると、内容は行き詰まり,苦しさに息も詰まった。それに比べミラ—は、私が主に教師との軋轢からうけた心理傷害を癒し、壁を取り除く一助になったし、やがて上野霄里先生へと導き永遠の進路を邁進する事になる。
 そして、私はあれ程賞賛していたカフカをつれない仕打ちで見限ったのだ。「ある朝、主人公のザムザが夢から覚めると。巨大な一匹の毒虫に変わっている自分を発見する。」私も朝になったら、予告無しに、その毒虫と同じ存在にされていた。私は、確かに自分が毒虫になった自分の姿を発見したのである。
 今、メデアでフエィクのことが語られている。しかし私のような状況に陥った人の事を取り上げたことは聞いた事がない。それは、語れない様にされているからである。ひとそれぞれで、語らない方がいい場合もある。口を塞がれている訳ではないのなら話しは出来る。しかし話した後の事を考えて、その影響や、波及の仕方を考え思いとどまるのかもしれない。
 私は、芸術や文学で、世界の一流の諸先輩達へと思いを馳せるとき、腰抜けが一番の駄作をうむ原因であり、様々な配慮が光を遮断するカーテンになってしまうことを、彼等の言葉から知るのである。「おい,若いの、お前さんの思った通りにやってみな、そういうものなら、読ましてくれや、批判や評判を気にするんだったら書くのも描くのも止めてしまえ!」 そう聞こえてくるのである。
「コンクリート詰めにされ、海の底に沈んだ訳ではないだろう。知りえた情報が少ないからと言って、もたもたすると、身元不明の遺体で側溝から見つかるハメにならないとも限るまい。生とはほんの一瞬の出来事さ。物書きなのに、自分に起きた事なのに、不可思議な事柄や、理不尽な物事を黙って見過ごす奴がいるか! 男なら金玉を下げているだろうに、それともチヂんで、皮の間に埋まってしまい上がったか?」これは、こういう様に悔しい思いで、あとはその思いを後輩の私に託して人生を途中で退場して行かざるをえなかった詩人仲間達の声が、私の耳に私の心内に届くのであった。   
【クニが 要注意人物として リストアップしていない訳はない。コウアンは よこの繋がりが 不十分 だから 情報が それぞれの部署のものだけで 一貫したものがあるワケでは ない。重要人物でもないマトは 下部の処置に まかされている。 しかし 手を抜く訳には いかない。だから 下部は フェイント(見せかけの)作戦を アミ出す事になる。あき巣や 窃盗や 盗聴 盗撮で あげられた事があり 落ちる所まで 堕ちた者達が いいのだ。いまは ホームレス状態になりかけている者がいい。彼等は つながりが ないから 情報が漏れる心配がいらない。そういうのを 使い捨てにつかう。
 的に対しては たえず見張られている意識を 植付ける。神経をハリネズミ状態にするのが理想。予算が少ないので それぞれで 創意工夫が必要 君達が ハリネズミになる必要は ない。】
「なに独りごと言ってるんだね」
「小林さん、この間の、あの美濃囲いには参ったナ」
「どうしてどうして、丸さんの、棒銀、あの奇襲戦法は鋭かったよ。あぶなかったァ」
「いえいえ,年季がちがいますよ。どうなりました,便秘は。このあいだは言わなかったけど、“金足農業形”と、例のロダンの“考える人形”とあるんですよ。便座に座ったときの体勢ですよ」

「へー、また丸さんの頓知かい、それで?」
「あの通りなんです。金足は、夏の甲子園観たでしょう。試合に勝利して、校歌をうたう様子。あの選手達の上半身をのけぞらせた姿、あれを便座で同じ様にする。ロダンの考える人はわかりますね。便座で,あのポーズで事をおこなう。顎には右手を当てても,当てなくてもいい。医者はそれぞれちがう。一方の形しか知らない。俺はどっちもやってみた。その日によって良いときと思わしくないときがある。大概、金足形で、チューブからしぼりだすように出て来る。だが、にっちもさっちも行かなくなる時がある。その時、もう一方をやってみる。てきめんですね」
「どうだ,この丸さんの、勝ち誇ったような姿。この仕種や表情を便座にすわってやるんだろうな」
「いや、冗談ではなく、ほんと小林さん。ぜひ、昔、スパーリングをやったときのことを思い出して試してみてください。ほんと、闘争ですよ。じいさんが来た」
「じいさん,空き巣、まだつづいているの? 以前T大法科を出た子と知り合って話したことあったが、フェイントだと思うよ。やつら、よくやるんだ」
「うん。そんなところだよ。四十代ぐらいの女を近所で二人見かけたが」
「すっぴんでしょう」
「それそれ、顔をそむけて、おかしいと思った」
「いや、途中、トイレで化粧するんだよ。上着をひっくり返すと別人に早変わりさ」
「そうと決まった訳でないだろう」と、小林さん。「オレが思うに,じいさんは、むしろ何かに護られているんじゃないか。まもっているとすれば、出版社をぶっ壊した連中とは別組織か」