クリスマスの三連休に四国松山へ帰省してきました。
ご存じの通り、松山は坂の上の雲のまちとして売り出し中でお城の麓には「坂の上の雲ミュージアム」という博物館もあります。
四国は、伊予松山に三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、 その中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」冒頭より抜粋
松山城の二の丸は、現在「二の丸史跡公園」として整備されていますが、実はここには私が入学して二年間通った中学校があったのでした。
家を変わったので卒業したのは市内の別の中学校でしたが、満開の桜に迎えられて入学したこの中学校は私の記憶の中で消えることがありません。
そんな思い出の場所をおよそ35年ぶりに訪れてみました。
坂の上の雲を見つめながら二年間通った道を登ってゆくと、かつての学び舎はもう跡形もなく、公園としてきれいに整備されていました。
見上げれば松山城の天守がそびえたち、眼下には堀之内公園が広がっています。
堀之内公園には当時松山競輪場があって、授業中に競輪場の銅鑼の音がよく聞こえてきたものでした。
立志拓道の校訓のもとに、14歳の春、少年式を終えるまでここで学び、遊び、石碑のみになった母校を、この日、ここで偲びました。
今では坂の上の雲のみを見つめて上がってゆくわけにもいかなくなりましたが、最近、少しよそ見が多いかな、もう少し前を向いて歩いて行かねば…、とそんなことをここで考えたのでした。
少し調べてみると、14歳の春に「少年式」という行事が行われるのは愛媛県だけらしいですね。
全国どこでもやるのかと思っていました。
この行事は昔の元服にあたるものであるとか諸説があるらしいのですが、
最近荒れることだけしかニュースにならない「成人式」よりもずっと厳かな気持ちになったものでした。
と、いうわけで年末行事の一つが終了して、昨日が仕事納め、今日だけゆっくりして明日からジプシーロードです。
今年も一年間、お世話になりありがとうございました。
来年も変わらぬ御贔屓のほど、よろしくお願いいたします。
それではみなさん、良いお年をお迎えくださいませ。
撮影:XZ-1
やはり、道後温泉の畳の休憩所が印象深いですね~。
ともあれ、今年1年お世話になりました。来年もよろしく~、ですがオリンパスは一体どうなるんでしょう・・・?
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
オリンパス、どうなるんでしょうねー。
でもどうなったところで、一眼、ミラーレス、コンデジ、私の主力全部オリンパス製なので、カメラのオリンパスブランドは存続して欲しいですね。