GW前半の三連休、いいお天気に恵まれました。
私は三連休のうち二日を使って四国仁淀川町へツーリングに行ってきました。
朝、7時過ぎのフェリーに乗るために午前5時に自宅を出発。途中の気温計を見ると5℃…。ふふふ、寒いはずだ。
でも1時間少々走れば船の上でぬくぬくと寝ることができるのでひたすら柳井港を目指し、無事に目的の船に乗船することができました。
今回は走る距離は大したことはありません。片道200km程度…、その代わりに見たいところがたくさんあるのでけっこう歩くことになるだろうと…。
同じ船に乗った下松のSR氏が四国は初めてということだったので松山市内を抜けるまで先導することに…。
我が故郷松山も年々車が多くなってきて息苦しくなってきましたね。これからも街の人口は増え続け、その反面、山村は過疎化が進むことでしょう。
この日訪れる予定の場所がまさにそんな場所なのです。
この日の行程の八割ほどはSR氏と同じ道筋だったのですが、私は写真を撮るために急に止まったりするので三坂峠の手前で別れます。
案の定、何回か追い抜いたりすれ違ったりしました。すれ違うことはないはずなんだけど…。(笑)
私は写真を撮ったりしながらのんびりと進みます。R33を走るのも久しぶりです。
仁淀川町に入りました。この日泊まる予定の宿を横目で確認してさらに進みます。
道は一気に山道らしくなりますが、四国の山岳道はもう何度も走っているので少々のことには驚きません。
かなり奥のほうまで集落があるんですね。でも四国はこれが当たり前…。
そのうちに見慣れた風景が見えてきました。石鎚山系の山々が目の前に迫ってきます。
地図によると筒上山の裏側のようです。筒上山は失業中に一度登りました。
で、カーブを曲がると突然、集落が現れます。ここが椿山集落。「つばやま」と呼ぶそうです。
昨年のGW、
夏のツーリングに続くシリーズ第三弾というわけで
ここ、椿山にも先のふたつと同じように平家伝説があります。
現在の人口は3人だそうで、これだけ家があるのに?という疑問は歩いているうちにだんだんと解けてきました。
ひと気のない集落を歩いているとシベリアンハスキーの子犬が繋がれていてじゃれついてきました。
飼い主の姿は見えず、寂しい思いをしていたようです。甘え鳴きをするのでしばらく遊んでやって…。
それにしてもこの斜面、昨夏の落合集落よりもさらに急な斜面に平行に家が建っています。
どこが人の住んでいる家かよくわかりませんでしたが、朽ちるにまかせた空家もあり、ひと気はないけれど手入れがされているような家もあり、
そんな家々がこの急峻な斜面に折り重なるように建っているのです。
安徳天皇の側近だったという滝本軸之進という人がこの地を見つけて云々という伝説がある、その霊社のまわりには小さな花が咲き乱れ、社を守っているようにも見えました。
集落を結ぶのは落合集落と同じように等高線に垂直な道と水平な道。
敷地が細長いので家も細長い家が多いようです。椎葉村の十根川重伝建地区も細長い家が特徴です。
霧立と石鎚山系、山の深さは霧立、険しさは石鎚山系、平家落人伝説のある場所は似たような地形の場所が多いのでしょうか?
氏仏堂には安徳帝、平知盛らが祀ってあるそうです。
氏仏堂の横には杉の巨木があり、これも八村杉のある十根川集落とよく似ていますね。ただし、八村杉は源氏側の那須大八郎手植えとされています。
50年前には150人ほどの人が住み学校もあったという椿山集落は全員が平家の末裔だったとされ、昭和50年くらいまでは焼畑農業が営まれていたとガイドブックには書かれてありました。
実は私もこんな風呂の焚口を知っている世代です。
集落の中を歩くだけでも一苦労、こんな斜面を何度も昇り降りしなければなりません。
ある空家の庭先から景色を眺めると…、景色は極上です。目の前の山の絶壁には一筋の滝がかかり、永遠のときを刻んでいるように見えます。
椿山だからなのか、椿の花を多く見かけました。
家の屋根があって、道があって、石垣の上にまた家があって…、そんな重なりが斜面に刻まれています。
人口3人でも集配にくるのでしょうか?
天界のガレージ(笑)バックで入れるのはかなり怖そうですね。
帰り道、また先ほどの子犬に会いました。
しばらく戯れて…。
「もう帰るよ」というと拗ねてしまいました。言葉がわかるんかな?
ここは「貝になりたい」のロケがあった場所としても有名です。
ちょうどこの辺りらしいですね。ひょっこり仲間由紀恵さんが出てきそう?
こういう集落を訪れるときはいつも思うのですが、行政としてはこういうところを観光資源として活用したい、
でも住む人がいなくなればどうやって維持するのでしょう?
昨年のGWに行った板井原集落、昭和30年代の山村風景がウリで県指定の重要伝統的建造物群保存地区になっていて
古民家を改造したカフェがあって…、それはそれでいいと思います。
ただ、それ以外の建物は廃墟に近いものが多かった。いったい何を見せたいのか?
ここも近い将来、住む人がなくなるのは目に見えています。もう倒壊している建物も少なくありません。
食器棚に調味料の瓶が残っていて、つい最近までそこに人々の営みがあったと感じられる建物が無残に崩壊している光景があります。
訪れたものは当然そういった光景も目にするわけです。
どう残してどう伝えていくのか、行政の手腕も問われると思います。
公民館の駐車場で帰り仕度をしていると、地元の方が数名、車のところへ降りて来られました。
会釈をすると、おじいさんと娘さんらしい人がにこにこしながら近づいてこられたので、もう一度ヘルメットを脱いで少しお話をさせていただきました。
おじいさんは最近までここに住んでいたそうですが、高齢のため、家族の住む町に移られたようです。
私たちは滝本軸之進の末裔だとおっしゃっていた女性の笑顔が印象的でした。
ではツーリングの続きはまた…。
撮影:XZ-2・TG-1