執着を手放すには、感情を感じ切るのがよいという話を前回しました。
「感情を感じ切る」とはどういうことかというご質問を何件かいただきましたので、書いていきたいと思います。
私たちは、自分にとって嫌なこと、不快な感情がやってきた場合、多くは自分の身を守るために、「感情を抑圧する」「棚上げする」「なかったことにする」などの方法で、感情をとことん感じ切ることを避けようとします。
そうするとどうなるかと言えば、「感情」は誰のものでもなく自分の身内、自分から湧いてきたものであるので、「感じ切る」事ができない場合、何度でも、不在配達の宅急便のようにやってきます。
「感情」というエネルギーは、私たちにそれを体験して欲しいからやってきているので、体験してくれないとなると、追いかけてくるのです。
私がお世話になったカウンセラーは、よく、「飛び込み台の上で、立ちつくすのではなく、感情にダイブせよ!」とアドバイスをくれていました。
感情にダイブするとは、その中に突入して、感情の波にもまれる、あがく、底までいくという意味だと思います。
ダイブするのにはなかなか勇気かいりますね!
私たちがこの次元に生まれてきた大きな目的は、「人間としての喜怒哀楽を体験する」ということのようです。
いわゆる体験ツアーの為に、わざわざこの物質次元に降りたったのです。
怒りや悲しみ、嫉妬などの感情を味わえるのはこの物質次元です。
それを味わい尽くさないとこの次元に降りた意味がないとも言えます。
ではどうやって「感情を味わい尽くすのか」ですが、それは「大袈裟に極限まで感情を広げてみる」事がコツになります。
「感情がどこまで広がるか、どんな深さがあるか、ダイブしてみて、その感情と一体化して、極限まで感じること」ができたら、感情は必ず変容してきます。
もし、感じている途中に仮に「惨めさ」を感じたとしたら、「世界一、惨めな自分をイメージしてその感覚と一体化する」、「悲しみ」を感じたら「自分の身が裂けて亡くなるぐらいのイメージをしてその感覚と一体化する」
感情という、自分の身内をとことん感じてあげることをしていくと、感情は私たちを攻撃してくることはなくなっていきます。
中途半端に感情を手放してしまったら、感情というエネルギーは、私たちにわかって欲しくて何度も何度もやってくるのです。
私たちは、気づいてないかもしれませんが、似たようなパターンを人生の中で繰り返します。
それは、感情が再配達されているからです。受け取るまで何回もやってきます。
言葉で、説明するのはとても難しいのですが、ワークとして、感情を感じ切るのも行っております。
ハードなワークにはなりますが、その先にはギフトがたくさんあります。