ヒーリングスペース ブルーローズ

✨あなたの中のアダムとイブに出会う旅✨

私はどのようにしてセラピストになったのか

2024-10-13 00:56:22 | 日記

セッション中に、「竹内さんはどのようにして、セラピストになられたんですか?」と聞いてくださる方が多いので、少し自分の経歴について書いてみたいと思います。

 

私の叔父が地域で割と有名な占い師というか、霊能者でした。

身近で叔父に接するうちに、中学ぐらいの頃から占いに興味を持って、独学でいろいろ学んでは、周りの人を占っていました。

 

それがずっと続いていて、そのうちに心理学や哲学に興味を持ち、大学進学の折には「心理学科」か「哲学科」に行きたかったのですが、父から「女の子はあまり考えすぎてはいけない」と大反対され、泣く泣く諦めて「国文学」で現代詩の研究をし、高校の国語の教師になりました。

 

その後、結婚し、教師は辞めて、全く違う業界に入りました。

ところがお見合いで一緒になった夫が、元々精神的にナーバスな人で、職場での人間関係から精神疾患になって仕事が全くできなくなってしまい、ストレスから家で暴れるようになっていきました。

 

症状がかなり重症で、回復の目処が全く立たず、何とかしたいといろいろな先生を探し、一緒に訪ねていく日々を過ごしていました。

そんな中で、ユング心理学や催眠療法など出会う先生方から、「あなたはカウンセラーに向いていると思うから、カウンセリングの勉強をしませんか?」と勧められていきましたが、当時は夫を1人にできないので、断り続けていました。

 

でも、自分なりには、彼が何故このようになったのか?その原因は何なのか、どうすれば彼が楽になれるのか?

をずっと考え、心理学の本を読む毎日でした。

 

幸い、「森田療法」に出会い、夫はありがたいことに徐々に回復に向かいました。夫の変化に驚いたので「森田療法」を私自身も体験し、大きな学びになりました。

 

その後、夫が回復したあと、諸事情があり、夫とは別れましたが、彼と出会えてなければ、今の私はなかったと心から感謝し、大切なソウルメイトだったんだろうとつくづく感じています。

 

ちょうど1990年代に入ろうとしていた頃、ある大きな出会いがあり、スピリチュアルな世界に更に誘われていきました。

 

ツインレイについての学びを始めたのもこの頃からです。当時はツインレイと言う言葉はなかったので、ツインソウルと呼んでいました。

 

この後、交際0日で婚約し、今の夫と再婚、まもなく子育てと、しばらく家庭の事に集中する時期が続きましたが、子供が3歳をすぎる頃から、改めてヒーリングカウンセラーの学びをするようになり、その頃から、2004年ぐらいまで、ずっとボランティアでカウンセリングを続けていました。

 

本格的に仕事として活動を始めたのは2004年からですので今年でちょうど20周年になります。

 

長い期間、たくさんの人にご縁をいただきました。本当にありがたい時間だったと感謝しています。

 

私の今世のミッションのメインは「本当の約束してきたパートナーとのご縁結び」と「出会う人たちの願い事を叶える事」あと、「パートナーシップで悩んでいらっしゃる方々へのサポート」を緩やかな感じてやっていきたいと思っています。

 


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私が出会った素敵な人シリーズ 1

2024-05-10 23:15:28 | 日記

まず一番にご紹介したいのは、30年前から出会い、2004年から一緒に活動してきた「アセンションナビゲーター」の「中村いずみ」さんです。

 

中村さんとの出会いは、ママ友としてでしたが、その後、中村さんの不思議な体験(1991年のウォークイン体験)を聞かせていただき、2004年から「ミューズスター」というサイトを中村さんが立ち上げられた時から、一緒にライトワークをさせていただきました。私は松本という名前で今も活動しています。←写真は20年前のですが 汗

 

中村さんは、長崎県対馬出身、現在は、兵庫県加西市在住で、自営業をされているツインレイのご主人様、2匹の猫ちゃんと一緒に生活をされておられます。

 

主に、アセンションヒーリングのセッションをされていて、エネルギーワークによって、地球、個人の次元上昇のサポートをされています。

 

私たちが地球に生まれてくる時に諸事情があり、波動を下げ、本来のパワーを発揮しないように、様々な制限をかけてきました。

 

肉体的にはいろいろな場所にインプラントのようなものを埋め込まれていて、それがブレーカーになってしまうため、能力の開花をかなり抑圧されてしまっています。その事にはほとんどの人が全く気づきません。

 

中村さんの「アセンションヒーリング」は、そのエーテル体のインプラントをヒーリングによって徐々に外していくため、かなりの浄化作用が伴いますが、そのアセンション症状を超えた先には新しい自分になっていると思います。

 

私も数年前に、ヒーリングを受けましたが、かなり深い浄化作用が出ました。

 

中村さんとはこれからもいろいろ対談などコラボしていきますので、めったにお目にかからないツインレイ夫婦の話や、アセンションヒーリングにご興味のある方はご連絡いただけたら幸いです。

 

⭐️中村いずみ セッション

アセンションヒーリング 対面(兵庫県加西) 遠隔

60分 15000円

 

⭐️中村さんから見た竹内とは⭐️

 

「扉を開き、道を示す人」

「私の人生の流れを大きく変えた人、きっかけを作った人」

 

だそうです。

私にとって中村さんは、見たことがないレベルの裏表がない、とてもシンプルでかっこいい人です。

 

また、お料理やガーデニングが上手で、お料理教室もお願いしています。

 

住まれている加西は、日本の原風景とも言える環境で行くときっと癒されますよ!

🌹中村いずみさん

⭐️ミューズスター ホームページ

https://www.musestar.jp/index.php

 

⭐️Instagram

  musestar7

 


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父が残してくれた言葉

2024-04-24 08:33:19 | 日記

私たちが、スピリチュアルな学びが進んできた時に「魔境」に入ると言われています。

 

「魔境」とは、「自分が優れた特別な人であると思い込み、傲慢になること」のようです。

 

「魔境」に入ると自分の事を特別な存在だと勘違いして、周りに対して横柄になったり、そこまでいかなくても「自分は相手のことがわかる、見える」と思い込んで、望まれてもいないのに、アドバイスをしたり、見下したりするようになります。

 

私も若い頃、占いをやって、周りから当たる!と褒められ、「魔境」を体験したことがありました。

 

その時、父から言われた言葉がずっと今も心に残っています。

 

「その人がはいてる靴をはいて、人生を歩まなければ、その人のことはわからない。簡単に人を判断するな!思い上がってはいけない。

その人が何故そうなるのか、その人の背景を知る努力をしなさい」

 

当時まだ学生だった私にはその意味はよくわかりませんでした。

 

しかし、カウンセラーとして活動してからは、父が話してくれたことの意味がよくわかるようになりました。

 

「全ての行動に必ず目的がある」どんな小さな行動にも目的があります。

 

私たち一人一人は魂の歴史もそれぞれで、育ってきた環境も違います。

人を理解することは簡単なようで、それらの背景を知らなければできないものだと今はつくづく感じています。

 

一生かけても、身近なパートナーや家族、友人達、出会わせていただく方を本当の意味で理解することはできないと思います。

けれど、ご縁のできた方を背景も含めて知ろうとする気持ちだけは忘れてはいけないと、父の言葉をいつも思い出しています。

 

父は寡黙で、妹たちに言わせると「1メートル先から歩いてくる姿を見ても背筋が伸びる」と言われるぐらい、穏やかでありながら威厳のある人でした。

私にとっては、人生のメンターだったと亡くなった今感じています。


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私がかけられていた催眠術

2024-04-08 23:02:31 | 日記

問題を才能に変えると言う視点から、前に記載した、無意識にかけられていた催眠術を違う視点から見てみたいと思います。

 

私は幼い頃から、特に母から「何の取り柄もない」と言われて育ちました。

母の口癖だったと思います。

優秀な兄がいたので絶えず比較されてきたのもあったでしょうし、2歳の時に死にかかり、虚弱体質だったこともあったと思います。

 

「何の取り柄もない」と言われて育った自分はいつしか「生きてる価値がない」という意識になり、自分の存在意義がまったくわからなくなった時期も長くありました。

成長して、1度目の結婚を見合いでした嫁ぎ先は老舗の洋服屋さんでした。夫の両親、小姑、従業員30人の顔色を毎日見る生活の中で、やはり、催眠術がかかっていた私は、周りから何をしてもダメ出しされていきました。

10年近くなったある日、子供ができなかった私に「3年子なきは去れということわざがある、あなたは何年いるのか!」と言われ、ハッと目が覚め、その家をやっと出る決心がつきました。

その時は情けなさと、「取り柄がない」自分を卑下する気持ちが強かったように思います。

ただ、マイナス面と同じぐらいのプラス面がその後現れてきたのです。

自分は、「取り柄がない」と言う催眠術にかかっていたので、周りの人が素晴らしく見えて、その一人一人の中のダイヤモンドを見つけることが得意になっていきました。

 

全ての人が、自分より優れて見えていたので、出会う人出会う人の中の輝きを素直に認めれるようになっていきました。

 

これは、大きな気づきでもあったのですが、きっと母や前の嫁ぎ先の人達は、私が周りの人の素晴らしさに気づけるように、低い位置に徹底的に私自身を置いてくれたのだと今はわかりました。

 

もし、「お前はすごい!」と言われて育っていたら、周りの人の素晴らしさを見つけたり、それに感動できたりはしなかったのではないかと思います。

 

カウンセラーの先生がいつも言われていたように「1番の問題は1番の才能に変容する」「痛みの裏側には最高のギフトがある」のだとわかりました。

 

ですから、親や周りから否定されたり、虐げられてきた人達は、自分の中に、そして周りの人の中の魂の輝きを見つけることができる素晴らしい才能を秘めているのだと思います。

 

いつも感じるのですが、愛とは、優しさ、温かさの中にだけあるのではなく、ある時は厳しさや冷酷さの中にもあるのだと思います。

 

それを認識できる視点を持つことが本当のアセンションではないでしょうか。

 


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未来からのメッセージ

2024-02-20 16:35:14 | 日記

私たちの人生の中で、不思議なシンクロや未来からのメッセージを感じる事ってありますよね。

昔、とても不思議な体験をしたことがあります。

確か、2011年のある日、私のもう一つの仕事のオーナーと打ち合わせで、夕食に行こうとしましたが、お気に入りの店がたまたま定休日でした。とても残念でしたが、仕方なく、その横の店に入り、カウンターしか空いてなかったので2人で座りました。

座った途端に、目の前で、あるTV番組が始まりました。その内容は、元引きこもりや、親からネグレクトされたり、軽犯罪を犯した青少年達も一緒に暮らすグループホームのドキュメント番組でした。

何気なく、それを2人で見ながら、「これはなかなか運営は大変そうだねぇ」とか、「親からネグレクトされたり、軽犯罪を犯したり、家出した青少年のグループホームとか、あるんだ」などなど、食事をしながら話していました。

その後も、何故かこの時のTVがとても気になっていましたが、いつしかその事も記憶から消えていました。

これが未来からのメッセージだったとわかったのは、ずいぶん年月が経ってからでした。

あの時、いつも行くお店に入れていたら、カウンターに座らず違う席に座っていたら、、今はどうだったのかなぁと考える時もよくあります。

当時は福祉事業は全くやっておらず、やる予定もなく、他の事業だけだったのですが、今、私は、先にあげたような青少年達も集まるグループホームの運営、サポートの仕事にも一部、携わらせていただいています。

TVが未来を見せてくれたのか、見た私たちの潜在意識にそれが入って、具現化したのか、それはわかりませんが、とても不思議な体験だと思っています。

このように、何気なく見たTVや、書物やネット情報など、伏線になったりする場合も多いのではないでしょうか。

 

未来記憶とシンクロしている場合もありますし、強いインパクトがあれば、潜在意識にそのイメージが一瞬で入り、将来的に具現化する場合もありますね。

このような伏線、未来からのメッセージは、ひょっとしたら、私たちを日々導いてくださっているガイドさんのサポートなのかもしれないと感じたりもしています。

皆さんの人生にもこのような体験がどこかであるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 


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