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京大坂道(橋本市学文路~九度山町可根・丹生川)

2023年11月15日 00時17分26秒 | ドライブ

11月12日 日曜日 曇雨
京大坂道を途中までしか走っていないので残りを走りに行きました。
9:00発~k13~道の駅 柿の郷くどやま(大収穫祭)~学文路・京大坂道~(フルーツライン横断)~九度山町可根・丹生神社~12:40帰宅。
走行:90㎞。
学文路~京大坂道~九度山町可根・丹生神社。
柿は終わりに。

みかんの出番!

10:09 道の駅柿の郷くどやま 周囲の臨時駐車場は満車! 大収穫祭!

会場裏の道から。特設ステージで催し。大盛況!柿の皮むき大会もあり。私は見るだけで通過。

以前は、刈萱堂巡りできましたが、今回は京大坂道で走ります。右の道とすぐ合流します。

学文路の刈萱堂。記念撮影だけ。

案内板 人魚のミイラがあるそうです。

橋本市指定文化財(第59号)(未校正)
莉萱道心・石童丸関係信仰資料
平成元年3月22日指定
石童丸(苅萱)物語は高野山の女人禁制の掟から生まれた悲劇で、 中世以以降、高野聖の一派である萱堂聖によって全国に広められ、江戸時代には、説経節や浄瑠璃、琵琶歌となって広く世に知られた。
高野山の参詣口に位置する学文路の地は、この物語の舞台として、また、高野参詣の人々への物語の自律の場として賑わった。こうして庶民信仰化していった結果、苅萱道心、石童丸、千里ノ前、玉屋主人の像が造られて、堂内に安置されるようになった。
また、参詣人には、苅萱物語を素材としたお札が配られ、これに因んだ絵馬 などが奉納された。
さらに、 学文路苅萱堂では、絵解きが行われたとみられ、 石童丸の守刀、人魚、夜光の玉、 銘竹など、この信仰にかかわった品々が今に残されている。
苅萱の旧跡は、高野山や善光寺にも残るが、 学文路の地は、 高野参詣口にあたること、物語の舞台 となったことから、こうした資料がこの地に残され、信仰されてきたのであろう。
いずれにしても、苅萱の信仰が 残したこれらの資料は、高野山とのかかわりの中で、当地域の歩んできた歴史を物語る貴重な資料ということができる。
平成16年3月
橋本市教育委員会
学  文  路  区
学文路苅萱堂保存会

合流しました。高野街道の埋め込み。

合流地点から紀の川を望む。

案内板:高野参詣道、京大坂道。細い道へ。

蔵のある立派な屋敷。

上り坂が続きます。

切通しを走るフルーツラインの上に出て来ました。向こうはk118で京大坂道と並行に走っています。

山を削られ陸橋になった京大坂道。



案内板方向へ。

石柱 ここから道を間違えます。左が正解。

フルーツライン、紀の川、橋本市街地が見えます。

女人堂迄九拾町(109m×90=9810m=9.81㎞)

九度山町 k118?と思いながら進みます。

トンメルがありますが先の道路は未完成となっています。行ってみます。

通行止めですが片側が開いていますので行きます。

トンネルを出るとすぐ通行止め。ほこりや土だまりのない車が止まっています。

見返し。「ゆめみるとんねる」夢を見ている豚(豚(トン)ネル)さん?早く目を開けて! 反対方向は中央線のある道でフルーツラインに通じています。

トンネルから戻っての周囲。柿の葉が赤くなって間もなく落ち葉に。

赤いボックスに案内表示。左が京大坂道。行き過ぎるところでした。直進すると丹生神社下に出てk102に至り京大坂道と合流します。

新しくコンクリート舗装された狭い道。軽ならなんとか行けそう。

案内板。左に登ると来た道(京大坂道)に合流。下ります。今来た道は、後から間違っていることが判りました。

大丈夫?恐る恐る足をついて曲がります。VOXですからこけても何とかなるでしょう。

へピンの下り坂!

フルブレーキ!スクーターですのでエンジンブレーキが出来ません。

下るとまたまたヘアピン下り。もう慣れました。驚きません。

長い急な下り。人家が見えましたのでこれが最後。

あそこまで。

空き地でひと休憩。お寺があります。寄ります。

名刺 日輪寺(未校正)
創立は定かでないが由緒ある寺院である。
日輪寺所蔵の古文書によると、元和のころ (一六一五~一六二三年)仁和寺の宮、高野登山 の節ご休憩所に仰せ出された故をもって元禄 九年(一六九六年) 仁和寺より大智山遍照院の山号院号の許しを得たとある。
本尊は大日如来を安置してある。

丹生神社
社伝によると空海上人のすすめで創建し氏神としてうやもうてきたとある。
・永正十四年(一五一七年)改築からの棟札が残されてい祭神は丹生都比売命(伊勢神宮に祀られる天照大御神の妹神様)、高野御子(たかのみこ)(丹生都比売大神の御子)である。
宝物として石造狛犬一対は和歌山県文化財に 指定されている。
入口。

見返し。山車の車庫。こんな地域にも山車があります。

丹生神社。狛犬の表情が独特です。鳥居の後ろにも?潔癖の守り。

大正元年まで読めました。後ろの狛犬のほうが貫禄があります。こちらは県指定の文化財?

割拝殿。亀の甲羅があります。しめ縄に鈴。

割拝殿からの見返し。こじんまりとした境内。

本殿近くに行けそう。

本殿

本殿からの見返し

本殿。

格子の中に狛犬が見えます。

木彫です。左側の狛犬

木彫です。右側の狛犬

本殿右側から。二社の名称は判りません。

本殿左から。渡り廊下があります。奇麗に掃除がされています。南天が赤くなっています。

境内から日輪寺、丹生神社。

山号は大智山、院号は遍照院

(Google参照)九度山町可根・丹生神社~k118~R370・赤瀬橋

丹生神社境内から南の方向を見下ろす。道を真っすぐに下れば京大坂道で丹生川に架かる千石橋に出て、さらに道成りに行くと日本最後の仇討ちの道へと続きます。

真っすぐに行かずk102で左折しました。すぐ丹生川に出た所。

橋からR371に通じるk102方向。まだ色づいていません。

橋を渡って右に。左は行き止まり。

どんどん山を登ります。引き返して丹生川方向への脇道に下ります。このまま行くと本年9月4日にトロッコ道を走りにいた極楽橋近くに出ます。

撮影:2023年9月4日 ここに出て来ます。左は貯木場。

撮影上記同日。高野森林鉄道(トロッコ道)に出ます。

橋を渡ってUターンしただけで赤い橋の三差路に出ました。京大坂道を直進すると丹生神社に戻ります。

丹生川

左側から来ました。

今日は雨が降りそうなのでここまでで帰ります。帰って昔の写真を調べると以下の2枚の写真がありました。

撮影:2021年4月19日 高野山から降りてきたところ。直進すると千石橋ですが、案内板は左折。左折しました。直進は急な下り坂です。

撮影:2021年4月19日 空き地に作水・高野街道六地蔵第五があります。

高野街道六地蔵第三、四を通っていないので道を間違えたようです。あの急な下り坂の所を下らないで上がる道からが京大坂道でした。
極楽橋からの不動坂はアドレスで走って女人堂に出ました。6年位前です。
機会があれば行きます。
12時40分に帰宅して13時30分時ごろから降りだしました。
今日も楽しいツーリングでした。
一気に寒くなったので遠出はできなくなります。
生きてるだけで丸儲け!感謝!感謝!

終わり