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2-2 高野山六地蔵(第3~5)

2023年11月21日 19時43分14秒 | ドライブ

続き・・・
11月16日 木曜日 快晴
京大坂道に高野山六地蔵第1~6まであるのでやはり行かなければと走りました。
(2-1)7:50発k13~R370・九度山町~京大坂道・学文路~かむろ地蔵~高野山六地蔵第二~第一~三軒茶屋大常夜燈~五條市・柿博物館~(2-2)R371~道~k102~丹生神社~玉川峡~旧可根宿本陣中屋旅館~二里道標石~第五の手前の急な坂で車が溝に落ち通行不可。~引き返し~第四~フルーツライン~13:50帰宅。
走行:141㎞。
(Google参照)k55~R371~道~k102~京大坂道・高野山六地蔵第五
k55からR371への近道 高野線 。車幅:1.3m以下ですが車が通っています。軽は幅1.48m位あります。

R371に入った所からの橋本市街地。

R317の早期改修看板。ちょっとだけ走りにくいです。

長物の大型トラックが走っています。

ヘヤピン

ここから下り

高野19km 高野山へは相当大回りです。

k102まで行かずここから近道で。

ここが道幅が狭く一番走りにくい所ですが見通しがいいので楽に走れます。

丹生川

ゆっくり快適に走れます。

k102に合流。

大分下って来ました。丹生川がまじかに見えます。





こんなところに立派な吊り橋。キャンプ場のための吊り橋 九度山町。

ごりょう橋キャンプ場と名称が変わっています。

キャンプ場から100mほど行くと説明板

観阿弥尼公墓所は判りませんでした。

坂から見返し

左奥から、丹生神社、円通寺、旧丹生小学校。

丹生神社

献金者名板



拝殿から しめ縄、紙垂(ちぎれています。)がしっかりあります。

見返し 賽銭箱に藁のたわし。何も中には入っていません。藁だけでした。

本殿 黄色味を帯びたワンカップ。

可根の丹生神社は本田の中に狛犬がありましたが、何もありません。

扉が3ヵ所ありそれぞれカギが掛かっていました。

本殿から

円通寺方向



階段が軒先側にありますので神明造りでしょうか。

狛犬はどこにもありませんでした。

円通寺から丹生神社。

障子が雨風で敗れています。

中央のお堂が一番大きいです。

漆喰が落ちて土壁が見えています。

荒れたままです。

ここはましです。



丹生小学校創立百年の碑

雑草が生えていないので手入れはされているようです。左が体育館、右が教室2階建て。

神社の前は運動場ですね。

更に100㎡ほど行くと大きな岩

南朝玉川宮殿伝承地 玉川宮・明野庵跡 長慶天皇の玉川宮・・・?判読できず。

石積みがあるので何となくそうかな~

駐車場と建物

夏の観光地です。

水遊びが出来ます。紅葉の見どころではありません。

川沿いに駐車場があります。

キャンパーが一人。

再び京大坂道に来ました。左折。正面右の車が後から来ます。

高野山にケーブルカーができるまで往来があり旅館があったそうです。

写真を撮っていると先程の軽が一旦停車たので、私のスクーターで通れないのかと道幅を確認しましたが十分空いています。
しきりに道幅を見て、ゆっくりと通り過ぎましたが、そのままノロノロの運転で行きました。

本陣:身分が高い者が泊まった宿舎。

立派です。

裏は・・・張りぼて?

50mほど行くと少し道が狭くなります。

丹生川に架かる千石橋手前。

八坂神社

京大坂道の説明

九度山町指定文化財(一部未校正)
旧高野京街道里石(二里道標石)
平成元年二月十六日 指定
高野七口の一つである京・大坂街道不動坂道は 中世から近代初めにかけて最も多く利用された 参詣道で、河根には多くの旅籠が営まれ大いに 栄えていたが、明治三十三年(一九〇〇)に鉄道 が敷かれると急激に廃れた
西高野街道には、安政四年(一八五七)に堺 から女人堂までの里程を記した十三本の里石が 建立され、そのほとんどが現存している。
町内には女人堂まで二里の地点である河根千石橋北詰めにこの二里道標石が残されている。 この大型の二里道標石は多くの人が京大坂 街道を利用し河根を通ったことを示しており、 郷土の歴史を物語る重要な文化財である。
九度山町教育委員会

九度山町は、歴史観光に相当力を入れています。

東高野街道
東高野街道は、京都や大阪から高 野山へと向かうメインルートでした。 大阪府から紀伊見峠を越え、橋本市 東家にて紀の川を渡り、 清水、 学文路 から九度山町河根、高野町西郷、神谷 を経て高野山へと続いています。
千石橋 橋を渡り右へ坂を上ります。

車が行けますからいけると思います。



苔の上を走るとやはりスリップしました。

先程の車が止まっています。通れるか見に行きました。落ち葉でスリップして登れないと・・・?スリップ痕はありませんが、バック(タイヤの溝が路面にはっきりついています。)で運転を誤り左の溝?(写真の通りの傾斜面)に左前後輪が入っています。

左側は土手で擦っています。私でしたらすでにこすっていますので前進しますが・・・あの運転では・・・。JAFに場所(高野六地蔵第五を目印に伝え救援に来ることに)を教えてUターン。サイドミラーが当たって通り抜けが出来ません。
第五、六は行きましたので気を付けて下ります。

可根峠~フルーツライン

可根峠を登って第四へ。写真がありません。いつか機会があれば再度。

お大師様の・・・がここにも。

大師の硯水(一部未校正)
昔、この地を通りかかった弘法大師が硯の水を求めたところ 村人は遠い谷まで汲み に行った。
大師はその不便さを 察し、地面に杖を突き 刺したところ、清水が 湧きだしたという。
それが、この硯水の 言い伝え である。
高野山六地蔵第三





九度山町指定文化財 旧高野京街道六地蔵尊(第三)
江戸時代に、高野京街道を行き交う 参拝者の安全を祈って作られたのが 六地蔵尊で、今も子安地蔵として信仰されている。
この地蔵尊の他に清水(第一) 南馬場(第二)、河根峠(第四) 作水(第五)・桜茶屋(第六)にも祀られている。
河根峠の六地蔵尊、河根千石橋の 二里道標石と共に九度山の歴史を知るうえで、貴重な遺産である。
平成元年二月十六日指定
九度山町教育委員会
フルーツラインに出ました。

フルーツラインにから高野線と九度山町

快晴で空気が澄んで遠くまでよく見えます。

体力がないのでなかなか風邪が治ってくれません。
お風呂に入らないので皮膚が炎症を起こしてきました。抗がん剤の副作用。
お風呂に入ってすぐ寝て湯冷めをしないようにします。

終わり