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善女龍王社へ。(龍王渓の名前の由来)

2023年08月31日 11時48分45秒 | ドライブ

8月27日 日曜日 快晴
中の橋のトロッコ道を見に行く前に寄りました。
中門 右手の蓮池に「善女龍王社」(R370沿いの龍王渓の名前の由来になった。)

中門
高野山の総門である大門に対して、 壇上伽藍の門は中門と呼ばれている。
創建は高野山開創期にさかのぼる。
当初は結界の 意味が強い鳥居状のものであったが、焼失と再建を繰り返しながら五間二階の楼門となった。
江戸時代には3回焼失したこと が知られており、地中には焼失前の礎石が埋まっている。
天保14年(1843) 焼失後は再建されず、礎石だけが露出した中門跡としてその痕跡を残していたが、 平成27年に厳修された 高野山開創 1200 年記念大法会の特別事業として172年ぶりに再建された。
なお、正面に配置されている持国・多聞の二天像は 文政3年(1820) 再建時のものである。
案内板の説明:写真から文字お越しができました。ボーッと生きてるんじゃないよ💢

蓮池の中に善女龍王社







お大師様が、長安から帰朝の折、一緒に日本に来られた。1771年に祠が建てられた。

善女龍王社由来
善女龍王は昔中国の都、お大師様の師匠である恵果和尚のお寺 長安 青龍寺の鎮守として祀られておりま した。
(又の名を清瀧権現と言います)
お大師様がご帰朝の折、一緒に日本へ来られ密教を護る善神お大師様の守護神として親しまれております。
「紀伊続風土記」によりますと、当初は高野山開創の頃は 水沢であったと言われており、江戸時代の中頃に日照りが 続くことがあり、人々が大変困っておりました。
当時、瑞相院に慈光という僧が居り、雨乞いの為に蓮池に 善女龍王をお祀りしたいという願いを発すと、山上は皆喜ん で賛同しました。
慈光は自身の持念していた龍王像と仏舎利を寄進し、明和八 年に祠が建てられたと記されております。
以来、多くの人々の信仰を集め毎年十月十九日には善女龍王祭が催されています。
現在奉祀されております龍王像は、平成八年に東京支所下龍照院 鴻野弘有住職により寄進され、現社殿は同住職のご寄進により新築され令和元年十月十七日に遷宮されたも のです。
ー七七一年(明和八年の添え書き部分が最後に来ています。)

金剛峯寺境内

大会堂(だいえどう)鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王が、父帝の追福のため建立。

後、長日不断談義(ふだんだんぎ)の学堂として壇上に移し、現在では法会執行の際の集会所的役割。

不動堂 四方から見た建物や屋根の形態がそれぞれ異なる

内部に護摩を焚いたことによる煤や薫香等の付着が無い。

運慶作の八大童子像と本尊不動明王が祀られていたことから、「不動堂」と呼ばれている。

国宝不動堂
指定 昭和27年3月29日
言い伝えによれば建久八年(1197) 鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人がこの堂を建てたということである。
鎌倉時代の和様建築であって、 それ以前の住宅建築の 様式を仏堂建築に応用したものである。
正確な建築年代は不明であるが、仏壇の勾欄や羽 目板の格狭間の形などから、鎌倉時代後期と考えられる。
内陣の後に仏壇があり、 来迎柱の間に板壁をつける。 屋根の勾配のゆるい桧皮葺で、平安 時代の寝殿造の面影をのこす。

愛染堂 本尊は恋愛を司る仏として知られている愛染明王。

愛情に満ちた幸せな生活をもたらす。

1334年に後醍醐天皇の命令によって建立。火災にあったため、現在の建物は1843年に再建。

国史跡
愛染堂
指定昭和52年7月14日 大。本尊の愛染

後醍醐天皇の御願二上建武元年(1334)(に)建設(された。)(本尊の愛染) 明王は天に向かって矢を射る姿から天弓愛染明王と呼ばれる。
現在の堂は、天保十四年(1843)の大火後の再建飞与百(である)
()内が説明文です。それでも便利に文字おこしをしてくれます。

根本大塔 高野山一山の 総称として、金剛峯寺と命名。

根本大塔

根本大塔は高野山内の建造物としては最大級の高さを誇る。
弘仁七年 (816) 嵯峨天皇より高野山を下賜された弘法大師は、 金堂の後方東西に二基の巨大な宝塔を配置する世界最初の本格的密教伽藍建立を決意された。
しかし、高さ十六丈 (約 48.5m) という巨大な根本大塔の建設であったため、完成したのは弘法大師御入定後40年あまりを経た貞観十八年(876)頃とされ ている。
その後、落雷などの火災により5回の焼失を余儀なくされ、天保十四年(1843)の大火以降は礎石だけを残して いた。
現在の根本大塔は昭和十二年(1937)に再建されたものである。
構造的には初期の多宝塔に分類される。 円筒形の塔身 に方形屋根を有する一重塔に、裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし) と壁が施されている。
創建当時と変わらない根本 大塔の偉容は高野山のシンボルとしてひろく知られている。

大塔は胎蔵界を象徴する塔とされた。
内部は一六本の柱で内陣と外陣に分れ、内陣には中央に本尊胎蔵界の大日如来坐像。

大日如来坐像を金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲む。
16本の柱には十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれている。
堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら=絵で、仏様の世界や悟りの境地が描かれている。)

相輪:五重塔や多宝塔などの仏塔(塔婆とうば)の頂点部分に設けられる、下から露盤ろばん・伏鉢(覆鉢)・請花・九輪くりん水煙すいえん・竜車(竜舎)・宝珠ほうじゅ

露盤・伏鉢・請花は見えませんが九つの輪は数えられます。
金堂(別名講堂) 本尊仏を安置してある堂

本尊は薬師如来像。高村光雲の造立。

六角経蔵(ろっかくきょうぞう) お経を収める蔵。
「大輪回し」下部の取っ手を押して一回りすれば一切経を一通り読んだ時と同じ徳。「右回り」

以前、ビクともしなかったのですが、今回一人で回せました。ご利益がありますように。
お賽銭を入れ忘れました~次回に。

平安時代後期の1159年に建てられた。1934年(省は9年)再建 と説明。
説明板
本尊釈迦如来 菜治元年(五九)鳥羽天皇の白后 美福門院が天皇菩提のために創建 され紺代金泥の一切(荒川経)さりと 納めれた 現存の建物は昭和金 大阪の啓祐三郎翁をみ夫妻の 再建になるものである     六角経藏  *文字は欠落。塗りつぶしは誤表記。

説明板
国史跡(再建されているので国宝ではありません。)
六角経蔵
指定 昭和52年7月14日
平治元年(1159) に建てられ、 美福門院御寄進の紺紙金字一切経を容れて いたが、経蔵は昭和のはじめに焼けて建て直した。
重要文化財の一切経は霊宝 館大宝蔵に保存される。

美福門院がその維持費として紀州荒川(現在の那賀郡桃山町付近・あら川の桃)の庄を寄進された事に由来して、金泥一切経を「荒川経」。
写真からの文字お越しは、白地の場合文字化けや文字サイズが非常に大きくなり使えません。
この阿知中の橋のトロッコ道に行きました。
楽しいツーリングでした。
生きてるだけで丸儲け!感謝!感謝!
南無阿弥陀仏。7回唱えました。

終わり








高野山中の橋のトロッコ道。

2023年08月29日 07時42分28秒 | ドライブ

8月27日 日曜日 快晴
単車で簡単に行ける中の橋のトロッコ道へ行きました。コースはいつもと同じで、中の橋に単車を止めてぶらぶら歩きました。
走行:115㎞。
8:44 道の駅万葉の里 テントが1組 何時もの様に静かな時間が流れています。紀の川!

9:05 この時間に高野山から降りてきています。これが本当の朝練! ホンダハンターカブ!!!

2008年10月25日撮影
花坂隧道 平成10年8月17日(1998年)今から25年前に通行止め(看板記載)。
85㏄改、ホンダマグナム。通行止め前に2回くらい通っています。

中の橋のトロッコ道 略図

中の橋 汗かき地蔵 
ここにトロッコ道があるとは思いませんでした。
以前から何故こんなところに道があるのかとは思っていました。

ここでのルーティン 姿見の井戸を覗きます。連日の夕立で水かさが上がり奇麗です。しっかり映っています。軒先が映り過ぎ。

何時もの所に単車を止めました。一の橋方向から左手にハッキリと軌道の跡。

左手は上り坂になります。

道路から  トロッコ道が昇っています。立体交差へ。

トロッコ道が立体交差しています。

立体交差 橋床はありません。 後から左の土手を上がって上のトロッコ道を歩きます。

土台 コンクリートがしっかりしています。

下のトロッコ道 立体交差を抜けた所。右上に一の橋からのトロッコ道。

下と上のトロッコ道

奥の院前の駐車場手前に出ます。k53

k53から見たトロッコ道。

X k53 高野天川線 道路に出た所。

戻って上のトロッコ道を歩きます。

上から

苔がびっしり。ここもはっきり軌道跡がわかります。

大木が倒れています。

苔がびっしり。直径50㎝位の大木。

細い踏み跡が続きます。高知でも見たけもの道。

行けるのかな~

こんな所にごみ。

下にk53に出るトロッコ道が見えます。

ポイントA ここは藪がありません。

カーブの部分は刈り取られているような雰囲気。

奥の院参道のロケットが見えました。新明和工業慰霊碑。

藪が生い茂っています。道がないのでは? 2m程で歩ける様に。

参道に出ました。

参道から。「しろあり供養」の所です。左は参道入り口。トロッコ道は右に走り奥の院横を通って裏を回り紀伊細川駅方向~上古沢と続きます。

2008年10月25日 撮影

28.3℃ 湿気が少ないのでさわやかです。20分で下界の蒸し暑さ。

今日も楽しいツーリングでした。
追加のトロッコ道の写真:2008/10/25撮影
高野山方向へ(紀伊細川へ)

トロッコ道。左に行くとR370上古沢方向。右極楽橋方向。右へ。

紀伊細川駅から。貯木場後に町営住宅ができています。

14:42 極楽橋駅を出発してすぐの場所。今と同じ全面ガラス張りの先頭部のこうや号。 トロッコ道の下を走っています。

トロッコ道





高野山のケーブルカーが山内まで行かなかったのは、高野山住職会の賛同が得られなかったからで、その為、バスが、高野山駅から専用道(2.1㎞)を走り女人堂を通り山内を走っています。
大門から高野山駅行(徒歩55分、大門南駐車場行きのみ)はありません。
知らないうちにに何度もトロッコ道を走っていました。
年も年です。ゆっくり味わいながら走ります。

終わり


朝練?道の駅万葉の里

2023年08月26日 13時14分27秒 | ドライブ

8月26日 土曜日 晴
久しぶりにソフテイルで走りました。バッテリー上がり防止。
8:20発~ℍ64~のかみふれあい公園~R424~k13~道の駅万葉の里~k64・山中渓駅前、工事中~11:40帰宅。
走行:105㎞
土曜日ですが二学期が始まりガラガラ。

見返し オートキャンプ場は閉鎖中。

お父さんと子供2人がパークゴルフ。

道の駅万葉の里 何時もの様にのんびりと時間が流れています。ぼちぼち暑くなってきました。テントなし。

ナシがありませんでした。イチジク、ナス、キュウリ、玉ねぎ900円

体馴らしの楽しいツーリングでした。

終わり


9年前のPCにWin11を入れました。

2023年08月24日 10時26分23秒 | ドライブ

8月23日 水曜日 晴後雨
メモリー増設が上手くいったので、ついでに9年前のPC(Win8~Win10)にWin11を入れました。
Dell:XPS8700 98,000円 2014/6/22 注文 7/7 届く
昔は、DOS/V,Win3.0でした。~アマチュア無線の交信記録用。
20:07 1%完了

20:28 87%完了。暇なのでテレビを見ながらの作業。

20:35 29%プログラムを更新しています。

21:00に完了。所要時間:1時間。i7-4790の第四世代~9年前に買ったものですがチャンと作動してくれています。

ソフトや設定は変更なしで作動。
今から使ってみないとどうなるか判りません。警告を無視して~最小システム要件を一部満たしていません。
明日からの楽しみが出来ました。
生きてるだけで丸儲け!感謝!感謝!

終わり


しんどいと寝ていては病気になります。

2023年08月23日 16時10分41秒 | 日記

8月23日 水曜日 晴
昨日は、病院から帰り、今朝、午前8時まで眠っていました。
返品交換したのPCから取り外した16GBメモリーを取り付けたいと、もやもやして思っていました。
思っているだけでは、免疫力アップに悪い影響です。
午後2時半に起き、プラスドラーバー一本を持ち出し実行。一番奥に空きソケットが1か所あります。

どうなっているか判らないので、外し易いネジから外します。3本しかありません。
ネジを外すと後はひっかけを外して簡単にメモリーのスロットルが出てきました。

取り外していたメモリー16GB このPCと同じ型版です。

昔は、静電気がどうのこうのと神経を使いましたが、コンセントを抜いていれば問題なし。

32.0GBと認識しています。

写真用の後付けSSDも認識しています。SSDは固定もせずほりこんだ状態です。

これで、もやもやが一つなくなりました。
生きてるだけで丸儲け!
寝ます。食欲なし。

終わり