気ままに人生送れたら¥$

  趣味の単車、写真、キャンプを楽しんで
   人に助けられながら、何とかかんとか¥$なくとも、 感謝!!!感謝!!!

オイル交換、中古原付購入。

2023年09月28日 18時26分05秒 | ドライブ

9月27日 水曜日 晴
結局、行きつけのショップでトライク、ソフテイルのミッション、プライマリー(クラッチ)オイルの交換をしました。
最初! 自宅でトライクのボルト位置の確認!

ミッションオイルの注入口は、インチ工具。削って口径を合わせました。

プライマリーのネジが硬くビクともしません。更に、これだけの作業を「何やかんや」すると「しんどい」上に「だるく」てたまりません。
工具セット1,514円(送料込み) しっかり締め付けています。ダメです。

ギブアップ!!!

翌日、昔からお世話になっているショップにオイル持ち込みで交換してもらいました。
知らないうちにこうです。何処かに当たったのでしょう。抗がん剤の副作用・・・何時ものことです。

オイル4L6,600円、工賃2台分6,000円
ショップに、ちょっと古いヤマハのVOX(ボックス)が有りました。
タイヤは極太で安定感があります。ビーノはちょっと乗っていて面白味が有りません。
火が付きました。昼寝をして起きると欲しくてたまりません。ユーザー車検で費用が浮いたので・・・ショップへGO!
2012年ノーマル。Nトルク:3.9、ガソリンタンク:4.5L、前後タイヤは新しい。

車軸間:1280㎜ 排気音は静かでリズムも良い。前後ブレーキレバーが少し硬い・・・オイル注入!

走行:15,792㎞ その他のメーターはビーノと同じ。指示器表示ランプがありません。

ワンオーナー。10年なりの劣化。

10月5日に納車予定。

終わり


少し体調が良くなったので出かけました。

2023年09月24日 13時10分57秒 | ドライブ

9月24日 日曜日 晴 めっきり涼しくなった。
ビーノで道の駅万葉の里へ。
9:55発~11:50帰宅。
走行:67㎞。
出発が遅かったので、行って帰って来ただけです。
道の駅 万葉の里 何時もの様にのんびりとしています。

カキ、ビワ、ナシがありましたが、棚は4割程度空いています。
10:50 キャンプ2組、デイキャンプ1組 涼しくなったので増えてきそうです。

明日はもっと体調が良くなると思います。なんとなく力が入りません。
夏の日よけは全部取りました。

終わり


トライクでぶらり走りました。

2023年09月20日 11時01分55秒 | ドライブ

9月18日 月曜日 晴
トライクで1カ月位走っていませんので、五条方面のフルーツロードを走りに行きました。道はガラガラ、谷を渡す橋が続きます。
7:40発~k13~k55~恋野農免道路~R168~フルーツロード~k39~京奈和道~11:20帰宅。
走行:124㎞

紀の川フルーツライン 青看がこんなに下に設置されているのを気が付きませんでした。普通は、信号機の上ぐらいの高さと思いますが。道路から日本一低い青看に認定。

恋野農免道路に神社があったので立ち寄りました。

表野天満神社(ひょうのてんまんじんじゃ)と三等三角点(一等~四等あり三等は一辺平均4㎞。)

6月3日=測量の日。1949年(昭和24年)6月3日に測量を正確・円滑におこなうことを目的とした法律「測量法」の公布にちなんで制定。



鳥居から見返し

本殿から見返し

鳥居から本殿 伸額(しんがく)に表野 天満神社

本殿

説明板

グーグルドライブ使用。
表野天満神社考
菅原道真公が祭られる北野天満宮造営以前から司水神としての天神が祀られていて「殺牛祭神」と呼ばれ、旱魃(かんばつ・は「ひでり」、は「ひでりの神」)に備えて 又聖なる牛を殺し、その牛頭を天に捧げて雨乞いをするというもので、古代オリエントに端を発して中国を経て日本に渡来し、豊穣を祈願するその風習は時代と共に変化し、各地で「雷神」信仰えと結びつき、以後平安から鎌倉期にかけては祟りを鎮める目的えと変じる。
其の後、疫病や災害の流行、又菅原道真の政変などに象徴される政情不穏の世相に人心は揺れ動き、豊穣を願う殺牛の祭りはこの世をさ迷う霊魂を沈めようとする。
御霊会えと吸収されて各地に御霊社が造られ、ついに菅原道真の怨霊を鎮め祭る北野天神や疫病をはらう力を持つ「牛頭天王」を祈る祇園社などが建立されたのである。
「牛頭天王」の信仰は「陰陽道」と深い関わりを持ち、生者を死に誘う疫病神を抑えるより強大な力を持つ牛頭天王を信仰する風習が台頭したのである。
又の力は御霊信仰の上にも焼きつけられ、かくして北野~天神~雷神~牛の連鎖は菅原道真が祭られる以前からすでに北野の地に根づいていたのであって、今も天神社(てんじんしゃ)の境内にある牛の像は、一般に菅原道真の亡骸を牛車で 運ばれたことに由来するとされているが、一方ではこの殺牛祭神の表れとも言われている。
さて、旧表野天神社の社前に牛頭天王と刻んだ石灯篭の残欠が有った事 など思い合わせると、遠い昔には疫病などが流行したのかも知れないと 思われてならない。
本殿

絵馬 300円 鈴緒(すずのお)の六角桐枠・令和三年八月 鈴紐:15万円位?鈴:5万円位?

二宮尊徳・二宮金次郎

これも寄贈。 平成18年12月吉日 寄贈 17年前。

何となくお顔が?

阿弥陀様のようなお顔? 奈良ですから東大寺の盧舎那(るしゃな)仏?鳥居の外ですから仏様のお顔。

フルツーロードへ 農免道路

谷に架かる橋からR168

k138 赤滝五條線

k138から農免道路へ ガラガラ

柿の産地に梨子本(なしもと)さん。以前、五條市の公用車に日本一の柿の産地と書いていました。

k137 道を間違えてすぐ引き返し。

農免道路へ

ナシの無人販売所 {奈良県吉野郡西吉野村に多数 梨子本(なしもと)}

豊水7個300円 小銭がなかったので2パック購入。600円。

ここから山に入ると直販所

R370が見えます。

曲がると信号があり橋を渡らず、左折してk55を走ります。

タマゴのたけむらさん。敬老の日で祭日。お客さんが並んでいます。白玉10個370円。5月12日350円。

10個入りパック10?パック。4千なんぼかのお支払い。

次の方、壱萬円札を出して、7千なんぼかのお支払い。入口横のドアーから箱(持参)詰めを台車に乗せて受け渡し。

袋5円有料。
忙しそうにパック詰め。

今日も楽しいツーリングでした。
年金生活・・・まもなく20年遊んで暮らしています。
ガンの数値がますます悪くなっていています。年も年ですのでこの位、体が動けば、感謝!感謝!
19日火曜日の抗がん剤点滴でダウン中。

終わり


国城神社へ。

2023年09月18日 22時25分42秒 | ドライブ

9月17日 日曜日 晴
黒河道のあるまだ行っていない(階段で登るのが嫌で。)国城神社(くにぎじんじゃ)にビーノで(境内まで行けます。)行きました。
7:45発~k13~国城神社~11:30帰宅。
走行:120㎞。
前回トライクで国城神社下の三平神社に行きましたが、階段を上る体力がないので行かなかったのですがビーノならいけそうなので行きました。
国城山への生活道路兼農道。紀の川が良く見渡せます。

橋本市 R371~大阪府河内長野方面へ

紀の川に架かる高野橋本橋と和泉山脈。

上記写真右奥の望遠。

国城神社と黒河道(くろこみち)の分岐。一旦国城神社へ。

脇道を上り神社へ。

20㎡ほど登った所。山頂へはしんどいので行きません。

上からの見返し

国城神社境内 正面は社務所。右は絵馬殿。

見返し

さらに奥から見返し。

一番奥から入口を見返し。左は社務所。

神社本殿

國城五社大明神



国城神社由来

グーグルドライブ文字起こし
国城神社由来
社名国城五社大明神
例祭 四月二十三日·十月十日春秋大祭
国城神社の由来は遠い昔いわゆる神代の頃に源を発するという伝説がある
この地域の開発者(国主)の神が国城山の頂の大樹に姿を変えて現れておられるのを信じ神の鎮まる浄として社を創建したのは大和時代(一千数百年前)である。
古来一般の尊崇極めて厚く遠近の善男善女の信仰の的として由緒深い神社である
伝説によれば 坂上田村麻呂将軍が朝命によって真州に 出征したが戦況思うに任せず苦慮していたある夜「国城神社の山林に自生する竹を用いて矢竹とすれば大勝利を得る 」と夢のお告げを受け当社に参拝二十日間のお籠りをして竹を頂き武器として勇躍出征大勝利を得たという
霊験あらたかさに驚いて神託に感謝しお神楽を奉納したのが始まりである以来今日まで連綿として奉納を続けているのはこの伝統との深いゆかりを秘めたものである
国主の神を祭祀する意味から「国城神社」と呼ばれ清水、西畑、前馬場の産土神として氏子との深い絆に結ばれ今日に至っている
ご祭神は後世に天照皇大神を本社とし幡大菩薩春日大明神、愛宕大明神 そして荒神の請に
より五社をお祭りすることとなり神の最高の敬称である(明神)と崇められ「国城五社大明神」となられたのである
昭和四十一年十一月
平成十八年三月
絵馬殿?絵馬はありませんが長椅子がありました。

右の石碑 遷宮寄進者芳名 生成4年11月 金五十万円等。

左側 社務所建設寄進者芳名 金五十万円 南海電気鉄道㈱

階段

撮影:5月28日 下から。





渡り鳥のコース 山と紀の川が上昇気流を生みます。紀の川市のパラグラーダー基地の同じです。

おみくじ判断 1番から12番までとシンプル。大吉=1,8,10番。凶=3,7番。おみくじはありませんでした。

黒河道に戻って来ました。

通行止めの看板横からビーノでしたら通れますが止めました。

セメント舗装の道が続いています。

帰りの道を間違えて行き止まりに。

奥から見返し。きれいに掃除をされています。祠もあります。

弘法大師千百年忌?? 今年(2023年)生誕1249年、忌ですので今年は、没後1188年になります。1934年建之?石碑の裏は何も刻まれていませんでした。

さらに迷い込みます。ビーノですので簡単に引き返せるという油断です。

給水パイプは割れて宙ぶらりん。治水の石積みがありますが、今は誰も通っていません。

ようやく安心できる道まで下りてきました。国城山ハイキングコース。紀伊清水1号踏切。

紀伊清水駅方向

列車が到着。この駅から黒河道をハイキングされるのでしょう。



今日も楽しいツーリングでした。
次回からは、ちゃんとした道を走ります。

終わり


初めて道の駅ねごろ歴史の丘に立ち寄りました。

2023年09月14日 20時43分23秒 | ドライブ

9月14日 木曜日 晴
走行:70㎞。
何時もの道の駅万葉の里にナスビ、イチジクを買いに行く途中にある道の駅ねごろ歴史の丘に立ち寄りました。
平成29年12月24日にできて、何時もこの前を通る農免道路を走りますが一度も立ち寄ったことがありません。
どんな物を売っているのか立ち寄りました。
駐車場は左手。おしゃれな感じ。

野菜果物は売っていません。箱に入ったお菓子、ジュース等観光地の土産店。お客さんが2人テーブルでコーヒーを飲んでいました。

反対側 根来寺の境内にあった旧和歌山県議会議事堂。だいぶん前にぼろぼろの議事堂の写真を載せました。

ねごろ歴史資料館 無料ですので入りました。クーラーが効いています。ハイカーの方2人が先客。

根来寺駐車場横にある岩出市民俗資料館も無料です。
入ると根来寺古絵図 何となく昔の道が今でも残っています。

15~16世紀の根来寺復原イメージ。1585年羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めで寺は消失。

根来寺略年表

1134年 長承1
鳥羽上皇、御願寺高野山大伝法院落慶供養に御幸。 大伝法院四 (山崎・岡田・山東・弘田)及び末寺(のち根来寺と呼称)を下賜する 
1134年 長承3 
金剛峰寺山籠僧、 大伝法院(金剛峯寺座主、覚鑁上人)方を非難
1140年 保延6
上人、 根来豊福寺に下山(印象:追い出された。)
1205年 元久2
この頃までに「根来寺」の呼称が成立する
展示室は一室。入って左側。

中央から奥

興教大師(こうぎょうだいし) 覚鑁上人(かくばんしょうにん)。

高野山の中の橋から奥の院への43段の坂を覚鑁坂という。
登った所に覚鑁上人が建てた「密厳堂・みつごんどう、再建」があるので覚鑁坂と呼ばれる。
3年坂:ここで転ぶと3年以内に死ぬ?
右側 出土品が並んでいる。

中国の磁器 見る価値のある内容でした。また寄ります。

13:10 道の駅万葉の里 道の駅の名物おばさんが、ライダーを何時もの様に捕まえてお話し中。飛んで帰ります。

イチジク380円、カキ、キュウリ、ナスビ2パック。1010円。

道の駅ではPayPayで払っていますが、先日の車検証がICチップ入りでスマートホンから読み出せると知ったので、アプリを入れると諸項目が表示されました。
マイナンバーカードも同じく。まだまだ知らないことがたくさんあります。これでまだまだ死ねません。
今日も楽しいツーリングでした。

終わり