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BC級戦犯裁判

2008-04-14 11:07:22 | BOOKS
林 博史 「BC級戦犯裁判」 岩波新書 2005.06.21.

第一次大戦後、ベルサイユ条約により戦争犯罪人を戦勝国に引き渡し軍事裁判所で処罰する方式が初めて国際的に認められ、日本も戦勝国として承認した。 対日BC級戦犯裁判は日本の法務省資料によると、ソ連と中華人民共和国を除いて2,244件、起訴された人数は5,700人となっている。 犯罪容疑の圧倒的多数は殺人、虐待致死、虐待などの人に対する犯罪で、死んだ捕虜の扱いにアメリカが敏感になっていることがうかがわれ、オーストラリアとフィリピンで人肉食が犯罪として扱われている。 強かんなど性犯罪、財物略取や破壊、焼却、強制徴発など財産に関わる犯罪、アヘン販売やその他の容疑もある。 殺人、虐待などで、捕虜への犯罪が占める割合は42.6%、非戦闘員(民間人)への犯罪は54.8%を占め、全体では捕虜に対する犯罪以上にアジア太平洋地域の民間人に対する犯罪が裁かれた。 日本は捕虜の「無為徒食」を許さず、各地で捕虜を強制労働に従事させ、きわめて乏しい食糧や医薬品、劣悪な生活環境、監視員による日常的な暴行、厳しい強制労働のなかで多くの捕虜が倒れた。捕虜14万8、711人のうち4万2,467人(28.5%)が死亡し、ナチス・ドイツの英米将兵捕虜の死亡率7%、シベリアに抑留された日本兵の死亡率約10%と比べてもきわめて高い。 横浜裁判では、収容所長や分所長、直接暴行を加えた監視員や憲兵ら、222件475人が裁かれているが、ここには民間企業の従業員38人も含まれている。 住友別子銅山、三菱尾去沢鉱山、仙台小坂鉱山、常磐炭鉱、宇部炭鉱、日本鋼管川崎、芝浦電気、日本製鉄二瀬鉱業所、日本製鉄函館、新潟鉄工所、鹿島組、浅野セメント、新潟海陸運送、大阪築港、日通隅田川支店、などの企業が捕虜労働力を利用していたが、現場の末端管理職と現場職員ばかりが裁かれ、企業経営者は裁かれていない。さらに朝鮮人の強制労働についてはまったく裁かれなかった。 1942年4月に東京がドゥリットル空襲を受けたのをきっかけに、日本軍は無差別爆撃をおこなった搭乗員を裁くように通達し、45年5月の名古屋空襲で、軍律会議にかけることなく処刑した岡田資中将は絞首刑となった。岡田資軍司令官は法廷で米軍の無差別爆撃を国際法違反として批判し、搭乗員処刑の責任を一人で背負った将軍として高く評価されているが、一方では歩兵旅団長時代の1938年、中国で毒ガス戦を実行している。 日本軍は重慶爆撃など行なったが、結局、無差別爆撃は日本軍と連合軍を問わず、ともに裁かれることなく終わってしまった。 占領地民衆に対する残虐行為はある程度は裁かれたものの、植民地民衆に対する残虐行為はまったく裁かれず、また大規模で組織的な残虐行為をおこなった上級の指導者たちもほとんど裁かれないまま、現場の責任者や実行者が裁かれるにとどまった。



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