竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

天童木工

2008-04-23 09:23:30 | BOOKS

菅澤光政 「天童木工」 美術出版社 2008.04.10. 

天童木工は将棋の駒で有名な山形県天童市に、地元の大工、建具、指物の業者が集まり、天童木工家具建具工業組合として1940年に始動した。 戦前は軍用の木製弾薬箱の生産を、戦後に家具生産に切り替え、スギ材を使った折り畳み式のちゃぶ台、炊事用流し、茶ダンスの製造を始めた。 アメリカ軍が駐留すると、仙台の工芸指導所では、剣持勇、豊口克平らが「駐留軍家具」の製作指導に奔走。この「デペンデントハウス」のプロジェクトに天童木工も参加し、洋家具に触れる機会となった。 タンスや食器棚などの収納家具と同時に、肘掛けやフレームに成形合板の部品を取り入れた椅子も開発され、シンプルで軽快なデザインが新鮮かつ現代的に受け止められた反面、細身で薄っぺらいベ二ア板の家具というイメージもあったが、家庭用、コントラクト用の両方で市場は拡大。「成形合板の天童木工」を全国に印象づけた。 日本の成形合板技術の幕開けは1948年。仙台の工芸指導所で東京大学農学部の三好東一と山本孝が、高周波による木材加工が実用的と発表したのに始まる。成型合板は数枚の単板に接着材を塗布し、型や治具によって加圧成型。加熱して接着速度を高める。家具からスポーツ用品、家電品にまで広く使われた。 1975年にマイクロウエーブ加熱成形が開発され、デザイナーとしての剣持勇、経営者としての大山不二太郎、技術者としての乾三郎、加藤徳吉の密な連携ができ上がり、天童木工の基盤をつくりあげた。 1953年には丹下健三設計による愛媛県民会館の1400席の成形合板による椅子を製作、静岡市立体育館には3000脚の椅子と、その後の官公庁の建設ブームに乗って、成形合板家具が活躍していく。 外貨獲得のための輸出振興政策で、1957年には日本輸出家具協会が設立し、サンフランシスコに展示場を設けるが実を結ばなかった。一方、海外からの輸入家具は増加。デザインが良く、品質に優れたヨーロッパ製の家具は高級市場を席巻し、大手デパートが競って輸入家具の展示会を開いた。 とりわけ北欧家具は大きなインパクトを与えた。特に成形合板家具への影響が大きく、天童木工でも、バンス・ウェグナーやアルネ・ヤコブセンの家具を研究し、本格的な3次元の成形合板による柳宗理の名作、「バタフライスツール」が誕生した。 天童木工がこれまで契約した建築家、デザイナーは延べ70名。インテリアの立場から家具をデザインした剣持勇、豊口克平、渡辺力はプロダクトデザインの視点からとらえる。著名築家事務所から独立した水之江忠臣、長大作、松村勝男。海外でデザイン経験のある川上元美、阿部紘三、喜多俊之、梅田正徳。1976年に発売されたブルーノ・マットソンのデザインは北欧デザインの正統派だ。 海外からの引き合いも増えたが、日本での生産コストが高いため、輸出競争力がなくなっている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。