竹林の愚人  WAREHOUSE

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IKEA超巨大小売業

2008-04-17 16:12:12 | BOOKS
リュディガー・ツングブルート 「IKEA超巨大小売業、成功の秘訣」 日本経済新聞出版社 2007.02.21. 

イケアは世界33ヵ国に230店以上を展開する多国籍企業で、2005年度の総売上高は148億ユーロ。これにもまして、世界記録を保持しているのがイケアのカタログの発行部数で、2006年号は1億6,000万部である。 ナチス・ドイツに中立的協調政策をとったスウェーデンで、ヒトラーユーゲントに共感するイングヴァル・カンプラード少年が17歳になった1943年7月28日、彼の会社が登記された。名前の頭文字I、Kに、両親が住むエルムクリッド農場のEと居住区のアグナリッド村のAを加えてIKEAとした。 スウェーデンの田舎の、たった1?の小さな物置小屋で事務用品の通信販売をした。1953年3月18日、イケアは家具販売だけに専念し、エルムフルトに常設展示場をオープンした。あらかじめカタログで選んで、展示場でじっくり家具を眺めて注文する。品物はメーカーの工場から直接購入者の家に運ばれる。28歳のカンプラードは業界に革新を起こしたのである。これなら大きなリスクを背負うこともない。商品は売れに売れた。 スウェーデンは1950年に勃発した朝鮮戦争で産業界は好景気に沸き立ち、何十万の農民が高賃金の仕事を求め、都会の小さな新築マンションに移り住み、手ごろな値段の家具を求めたのだ。 家具販売組合は、イケアが有名なデザイナーの家具を模造して、安価な偽モノを大量に出回らせたと、イケアに納品しているメーカーに圧力をかけた。そこで、冷戦の時代、密輸とわかりながら、安いコストで生産できるポーランドに御用済みになったスウェーデンの家具工場の機械を移して稼動させた。 見栄えがよく、大量生産で安い”民主的家具”の大部分が、鉄のカーテンの向こう側にある社会主義国の工場で生産されていた。 「儲ける」ことは企業が伸びるためであり、従業員の貢献に正当な報酬を与えることには無頓着だった。超過勤務など当たり前で、1984年にはヨーロッパ6カ国の労働組合の代表が6,000人のイケア社員の労働条件の悪さを訴えた。 イケアの家具は、原則的に品質第一とは考えていない。日常の要求に数年こたえればそれでいいというのがイケアの基本方針で、それ以上の耐久性は求めない。大事なのは使い勝手がいいということで、安価なものは消耗品に近い。 高賃金の国で売り、低賃金の国から買い入れる。2005年、イケアは総売上の97%をヨーロッパと北アメリカで稼ぎだした。品物の3分の1はアジアの貧しい国々から買い入れたものである。イケアは、世界55カ国、1,300以上のメーカーと提携し、国際的な貸金格差で利益を吸い上げている。1998年春にはルーマニアの家具工場の労働者たちを過酷な条件の下で働かせているという批判をうけた。 節税についてもイケアは世界のトップを行き、カンプラードは、「節約できるものは1クローネでも節約する。これは税金でも同じである」と公言する。 グローバル化したイケアの生産システムの泣き所は、どこから木材を伐ってくるかという問題で、イケアの商品、パッケージ、宣伝に使われる材料の4分の3は木材だ。