竹田恒泰 「旧皇族が語る天皇の日本史」 PHP新書 2008.03.03.
現存する国家のなかで、世界最古の国家は日本で、ヤマト王権が成立してから現在まで、同一の国家が続いている。政体のあり方は時代とともに変化するも、ヤマト王権成立以来、国体は護持され、日本は王朝交代のない、まったく稀有な存在なのだ。
日本は、およそ2000年前にヤマト王権が成立し、それが勢力を拡大して統一政権である大和朝廷となり、7世紀ごろに国名を「日本」と定め、その子孫が代々天皇となって現在に至る。今上天皇は第125代の天皇でいらっしゃる。
日本の神代を語るには、わが国最古の歴史書である『古事記』と『日本書紀』を外して語ることはできない。
別天神と神世7代の神々の総意によって伊邪那岐神・伊邪那美神が国生みと神生みをし、伊邪那岐神は自分が生んだ天照大御神に高天原の統治を命じる。そして天照大御神は自分の孫の邇邇芸命を葦原中国に降臨させて葦原中国の統治を命じ、のちに邇邇芸命の曾孫の神武天皇が初代天皇に即位した。そして現在の皇室は、天つ神の子孫である。これが「万世一系」ということだ。現在の日本人は天つ神の子孫で、天皇家は日本人の宗家、天皇はその家長のような存在である。
戦後、初代天皇の神武天皇は「伝説の人物で実在しない」と唱えられだが、日本史上天皇が君臨してきたことは紛れもない事実で、初代の天皇たる神武天皇は実在していた。
3種の神器は邇邇芸命によって高天原から地上にもたらされ、第11代垂仁天皇の代に、伊勢の五十鈴川のほとりの斎宮に奉安された八咫鏡は現在も1800年間失われることなく、神宮・内宮の御神体として大切に守られている。崇神天皇は、八咫鏡と草薙剣の形代(レプリカ)をつくり、その形代が天皇の「護身の御璽」として、勾玉と共に宮中に受け継がれている。
新憲法の施行により、「天皇はもはや象徴にすぎない」といわれる。だが、天皇は古代より日本国の象徴、日本国民統合の象徴でありつづけた。
むしろ、天皇が政治と軍事に関わるのは例外で、古代には早くも天皇不親政の原則が成立し、その後、大臣・関白・武家などが政治を動かしてきた。また天皇が軍を直接指揮した時代はほとんどない。
天皇は他国の国王に比べれば非政治的である。だがそれにもかかわらず、社会に対して最も強い影響力をもち、最も強い国民意識に支えられている。
大和王朝成立から、天皇家は激動の時代をいくつも乗り越えて現在に至る。時代ごとに天皇のあり方は変化してきたが、唯一変わらないものは「祈る存在」であるということだ。内憂外患が起こるたびに皇祖皇宗に自らの不徳を詫びつづけた孝明天皇を祭祀型とするならば、明治天皇は公務型で、大正天皇は家族型となろう。昭和天皇は、祭祀・公務・家族の3つのバランスを取られ、今上天皇は、すべての要素をさらに上乗せされ、神武天皇以来の2000年の集大成ともいえる御存在であらせられる。