エディシオン・トレヴィルからベクシンスキーの画集が再復刊されました。

トレヴィルのオンラインショップ(ただいま3000円以上購入で送料無料)のほか、
Amazon.comでも取り扱いが始まりましたが、今現在の売れ行きランキングでは
1位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 画家・写真家・建築家 > 外国人画家
1位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 絵画 > 西洋画
3位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 絵画 > 画集
と結構な好調ぶりを見せています。
本全体のベストセラーでも1,201位ですから、この種の本としてはかなりのもの。
この画家については「究極映像研究所」発、「ひねもすのたりの日々」経由で知り、
現物を東京都現代美術館で閲覧して「復刊されたら絶対買おう」と決めていたので
今回さっそく手元に取り寄せました。
shamonさんもブログで書かれてましたが、税込み4,000円となかなかお高いし
収録された図版もサイズがやや小さめですが、黒い地にエンボス調で型押しが
施されたカバーは、装丁好きの琴線に触れるものがあります。
このカバーのデザインは竹智淳氏。トレヴィルの本をはじめ、写真集から
マンガまで、いろいろな本を手がけられてるデザイナーさんです。
この岡本綺堂の怪談集なんかも、かなりイケてる装丁だと思いますよ。
ベクシンスキーといえば、グロテスクによじれた肉体や、巨大な生物の死骸を
連想させる建造物といったモチーフが特徴的。
しかし私の関心は「肉体変容・損壊」などの描写よりも、むしろその背景に見える
茫漠とした光景の広がりにあります。
たとえば果てなく広がった空と海の先や、黒に変わる前の深々とした宇宙の青。
それらの持つ底知れない広さや深さのほうに、私は強く惹かれました。
生物とも建造物ともつかないミイラ状の姿にも、そこに至るまでの時間の経過を
想像してみたとき、グロテスクさだけでなくそこに表現された時間的なスケールの
大きさを感じて、奇妙な畏怖を覚えてしまいます。
この空間的・時間的な感覚の広がりが、ベクシンスキー作品に独特の威厳とか、
日常と隔絶した美しさといったものを与えているのではないでしょうか。
そして狂気と背中あわせのいびつな崇高さもまた、「センス・オブ・ワンダー」を
激しく刺激するものです。
たとえば、スタージョンの小説に見られるエロスとグロテスク、狂気と孤独感を、
ベクシンスキーの作品に重ねてみるというのも面白いかもしれません。
・・・などというゴタクはともかく、単に気持ち悪いというだけでは済まないような
超絶的ヴィジョンを持った作家であったことは間違いありません。
確かに怖い絵だけど、そういう絵でなければ見せてくれないような光景もまた、
この画集の中に存在するのです。
ベクシンスキーにマニエリスムやシュルレアリスムとの近縁性を見出しつつ、
それらの系譜に直接位置づけることを否定した永瀬唯氏の尖った解説も必読。
特にモチーフにおいてマグリットとの類似を指摘した部分が興味深かったです。
そして最後に、その永瀬氏が2005年の復刊時に寄せた解説文からの引用を。
「日本におけるベクシンスキー再臨の最大の理由は、復刊を望むファンたちからの
熱烈な声であった。
おめでとう、遅れてきた日本のベクシンスキー愛好者諸君。
ここにはまさに、その情熱にこたえるだけの傑作の数々が収められている。」

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1位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 画家・写真家・建築家 > 外国人画家
1位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 絵画 > 西洋画
3位 ─ 本 > アート・建築・デザイン > 絵画 > 画集
と結構な好調ぶりを見せています。
本全体のベストセラーでも1,201位ですから、この種の本としてはかなりのもの。
この画家については「究極映像研究所」発、「ひねもすのたりの日々」経由で知り、
現物を東京都現代美術館で閲覧して「復刊されたら絶対買おう」と決めていたので
今回さっそく手元に取り寄せました。
shamonさんもブログで書かれてましたが、税込み4,000円となかなかお高いし
収録された図版もサイズがやや小さめですが、黒い地にエンボス調で型押しが
施されたカバーは、装丁好きの琴線に触れるものがあります。
このカバーのデザインは竹智淳氏。トレヴィルの本をはじめ、写真集から
マンガまで、いろいろな本を手がけられてるデザイナーさんです。
この岡本綺堂の怪談集なんかも、かなりイケてる装丁だと思いますよ。
ベクシンスキーといえば、グロテスクによじれた肉体や、巨大な生物の死骸を
連想させる建造物といったモチーフが特徴的。
しかし私の関心は「肉体変容・損壊」などの描写よりも、むしろその背景に見える
茫漠とした光景の広がりにあります。
たとえば果てなく広がった空と海の先や、黒に変わる前の深々とした宇宙の青。
それらの持つ底知れない広さや深さのほうに、私は強く惹かれました。
生物とも建造物ともつかないミイラ状の姿にも、そこに至るまでの時間の経過を
想像してみたとき、グロテスクさだけでなくそこに表現された時間的なスケールの
大きさを感じて、奇妙な畏怖を覚えてしまいます。
この空間的・時間的な感覚の広がりが、ベクシンスキー作品に独特の威厳とか、
日常と隔絶した美しさといったものを与えているのではないでしょうか。
そして狂気と背中あわせのいびつな崇高さもまた、「センス・オブ・ワンダー」を
激しく刺激するものです。
たとえば、スタージョンの小説に見られるエロスとグロテスク、狂気と孤独感を、
ベクシンスキーの作品に重ねてみるというのも面白いかもしれません。
・・・などというゴタクはともかく、単に気持ち悪いというだけでは済まないような
超絶的ヴィジョンを持った作家であったことは間違いありません。
確かに怖い絵だけど、そういう絵でなければ見せてくれないような光景もまた、
この画集の中に存在するのです。
ベクシンスキーにマニエリスムやシュルレアリスムとの近縁性を見出しつつ、
それらの系譜に直接位置づけることを否定した永瀬唯氏の尖った解説も必読。
特にモチーフにおいてマグリットとの類似を指摘した部分が興味深かったです。
そして最後に、その永瀬氏が2005年の復刊時に寄せた解説文からの引用を。
「日本におけるベクシンスキー再臨の最大の理由は、復刊を望むファンたちからの
熱烈な声であった。
おめでとう、遅れてきた日本のベクシンスキー愛好者諸君。
ここにはまさに、その情熱にこたえるだけの傑作の数々が収められている。」