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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

輸出陶磁器の魅力に迫る「ハマヤキ」展

2008年06月16日 | 美術鑑賞・展覧会
横浜開港150周年記念 「横浜・東京-明治の輸出陶磁器」展に行ってきました。

製陶に適した土がないという横浜ですが、明治の頃は貿易港として海外へと
多くの陶磁器を輸出していたため、絵付けの工房や窯元などが集まってきて
輸出用工芸陶磁器の一大産地を形成していたそうです。
その中でも特に有名なのが、高浮彫で知られる宮川香山の「真葛焼」。
今回はそんな横浜産陶磁全盛期の作品に、東京で造られた作品も加えて
約150点ほどの陶磁器が展示されています。

なお、展示の大部分は有名な香山研究者であり、「色絵蟹高浮彫水鉢」
(今回は出品されていません)他を有する田邊哲人氏の所蔵品。
氏の真葛焼コレクションを一堂に見られるまたとない機会でもあります。

さして広いとはいえない会場は2部構成となっており、前半には東京産の陶磁器、
後半には真葛焼を含めた横浜産の陶磁器が展示されています。
いわゆる西洋陶器の持つ豪華絢爛さとはちょっと趣きが違って、ジャポニスムと
中国趣味が微妙に混ざったデザインが多いのですが、細工や絵付けの精緻さには
驚くべきものがありました。
細かい点や線の盛り上げと大胆な高浮彫、そして釉薬の微妙な色あいの美しさに
日本の高い技術力の原点を見たような気がします。

今回初めて名前を知った作家の一人が、井上良斎。
初代・二代目とも優品を遺していますが、特に二代目良斎の「釉下彩紫陽花香炉」は
色あいと造型の見事なバランスに目を奪われました。


「高浮彫群猿茶家」では、酒などを注ぐ茶家の上にかわいいらしい猿が群れています。

二代良斎の作品ではこれが一番好きかな。

初代宮川香山の作品は実に28品。そのうち高浮彫が19品(香炉も入れると20品)。
渡蟹水盤や枯蓮二白鷺花瓶はありませんが、代わりに「牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水」や
「南天二鶉花瓶」が一度に見られるという、実にぜいたくなラインナップです。
高浮彫をやめた後の作品では、シンプルな造型と美しい釉薬の色が合わさっており、
初期の真葛焼とはまた違った魅力を発見することができると思います。

香山の作品では枯れた蓮の葉や鳥の羽など、自然の形を緻密に写し取った作風が
印象的なのですが、一方ではリアルな中にユーモラスな要素を取り込んだ作品も
いろいろ造っていたことを、本展で知ることができました。

この「梯子ニ遊蛙花瓶」などもその一例。ハシゴの先にカエルがちょこんと
乗っかっているのですが、ここではちょっと見えないですね。
6月22日まで展示中なので、興味のある方はぜひ実物をご覧ください。
他にも優品が目白押しで、日本の工芸の奥深さを知ることができると思います。
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薔薇空間とバラ庭園めぐり

2008年06月14日 | 美術鑑賞・展覧会
6/15までBunkamuraで開催中の「薔薇空間」展を観てきました。
「バラのラファエロ」と呼ばれた画家ルドゥーテの描いた「バラ図譜」
全169図を中心に、バラの絵や香りで場内を「バラづくし」にした内容。
バラに限らず草木全般にうとい私ですが、今回はタダ券があるのと
博物図としての「バラ図譜」に興味があったので、場違いを覚悟の上で
バラの園へと突入してみました。

shamonさんの報告どおり、会場は女性率が圧倒的に高いです。
それも若い人だけでなく、バラ好きとおぼしき年配の女性グループも
結構見かけました。
あとは奥さんや彼女に連れてこられたらしき男性がちらほらいるだけで
男一人で観に来てるのは自分だけ。いやー浮いてますねぇ。

メインとなっているルドゥーテの作品は細密を極めており、花やトゲの
描きわけはもちろん、花脈まで細かく描きこまれています。
縁取りを見せずに色の濃淡や陰影で花を描写しているところもすばらしい。
でもそういうところを気にしてる人は少なかったみたいです。
絵をじろじろ見ていると不審そうな顔をされるのはちょっとイヤ。
やはり絵というよりは「バラが好き」で見に来ている人が多いのでしょうか。
逆にこちらはバラの種別とかあまりわからないので「これってバラ?」と
首をかしげながら見ていた絵も多かったです。
まあ博物画としての良さは十分堪能できたからいいんですけど。

野バラもよかったけど、やっぱりいいと思うのはケンティフォリア系の
ボリューム感のあるバラですね。
ルドゥーテの版画は花びらのぴらぴら感やちぢれ具合まで表現していて
まるで花を切ってきてそのまま標本にしたようです。


あと、一緒に展示されていたパーソンズのバラ図もよかったです。
ルドゥーテの作品にはあまりに標本的・解剖学的な感じも受けるので、
絵としてみた場合はこちらのほうが親しみやすいかも。

絵に描いたバラを見た後はホンモノのバラでも見ようか、ということで
会場を出た後は山手線をほぼ半周して駒込まで移動。
旧古河庭園で開催中のバラフェスティバルを見に行ったのですが・・・
時期外れで既にバラはほとんどありませんでした。
残っているバラの多くも、無残にしおれかけているのがほとんどです。
やむなく少しだけ残っていたバラと一緒に、コンドル作の洋館を撮影。
人が少なくて撮影しやすかったのだけは救いでした。


夕方のため六義園に行く時間もなく、その後は閉園まで庭園をぶらぶら。
カメやカモとまったり過ごす中で、ちょっとおもしろいものを発見しました。

園内の池のそばに立つ杉らしき木。豪快によじれまくってます。
向きを逆にすると、狩野永徳の「檜図屏風」にちと似てるような?

バラづくしの1日のシメとして、バラの花びら入りジェラートを食べました。
緑のほうはバジル入り。とにかく香りの強烈な組み合わせです。

赤いのはバラの花びらです。バラの名前は聞いてくるのを忘れました・・・。
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ウルビーノのヴィーナス

2008年05月18日 | 美術鑑賞・展覧会
この絵を見ていても、素直に「キレイだな~」で終われない自分の心は、
やっぱりねじまがってるんでしょうか。

上野の国立西洋美術館で「ウルビーノのヴィーナス展」を見てきたのですが
どうも心にモヤモヤひっかかるものがあって、スッキリしません。
別な意味で悶々とした気分を抱えて約1ヶ月、気づけば今月の18日で
会期も終わってました。
ということで、いまさらながら記憶を遡りつつ、何がひっかかったのかを
振り返ってみようと思います。

さて、まずはそのヴィーナスのお姿を。

若い女のバラ色の裸体と、思わせぶりにこちらに向ける視線。
背景は神話と日常という二つの空間に分割されたように、不自然な形で
仕切られています。
奥には衣装をしまう二人の侍女の姿、手前には貞節を意味する子犬が
ベッドの上で眠りこけています。
美しさ以上にいぶかしさと不安感を投げかけるような、謎めいた画面。
私がそこから感じたのは、言葉にならない奇妙な気配でした。

挑発というより、男を値踏みするかのような目線。
描かれている女性のモデルは当時の高級娼婦だったとも言われていますが
定説どおりにウルビーノ公の嫁取りに際して描かれた花嫁の姿であっても
その目線の意味にさして違いはないでしょう。
一方でこの絵に投げかけるウルビーノ公の視線は、間違いなく情欲に
染まっていたはず。
自らに注がれる公爵の目線を受けて、このヴィーナスは天上の女神から
地上の女性へと変貌し、男性の欲望を昇華するための存在と化すのです。

この仕組みを思い浮かべた時に連想したのが、デュシャンの「大ガラス」。
(正式名称は「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」)
2分割された構図、欲望機関としての美術、鑑賞者の視線の介在を織り込んだ
コンセプトなどに、なんだか両者の共通性を感じてしまったのです。
独身者ウルビーノ公によって裸体にされる「花嫁」をヴィーナスに見立てる時、
ティツィアーノとデュシャンの間には作品のカタチを超えた共振があるのでは?
あるいはデュシャンの「大ガラス」は、彼なりに「ウルビーノのヴィーナス」を
模作したものではないのだろうか?
そして各年代のヴィーナス像を展示する今回の展覧会のトリに、突如として
「大ガラス」が展示されたとしたら?
・・・そんな妄想に遊んでしまって、目の前の絵から心が離れてしまったかも。

デュシャンとその追随者が彼の作品群を「レディ・メイド」として次々と
コピーし続けたように、ウルビーノのヴィーナスも後の作家たちによって
そのモチーフが繰り返しコピーされていきました。
そんな美術史を「ヴィーナスたちの歴史」と重ね合わせる時、はたして
芸術ってなんだろう?なんて余計な疑問まで湧いてしまいます。
たぶんこういうコトを考えちゃうのが、ねじまがってるんだよな~。

私にはティツィアーノよりも、むしろこの部屋にあった他の作家の
ヴィーナスたちのほうが、あまり考えずに楽しめました。
ポントルモはヴィーナスというよりむしろディアナのようなたくましさ。
女神という点では、こちらのほうがそれっぽい感じです。
アッローリはやっぱりヴィーナスというよりも天女のような姿ですが、
生々しさがないぶんだけ気楽に見られました。

この部屋の作品以外で印象的だったのは、カラッチの作品。
この人の絵には背後や下からのアオリなど、どこか他と違った目線が
感じられるのですよ。
ちょっと覗き見的な嗜好というか、どこかいかがわしい雰囲気があって
神話的な世界の中に俗っぽさがある。そのミスマッチがよいのです。

占星術に関する有名な装飾本『天球と諸惑星の解説』の金星の図が
展示されていたのにも、かなり驚きました。
まさかこういうテーマの展覧会に出てくるとは思いませんからね。
これが見られただけでも、かなりの収穫でした。

トリを勤めたラファエロ・ヴァンニの「キューピッドを鎮める「賢明」」は
思わぬ秀作。繊細な色使いがすばらしいけれど、描かれているのは
これまでのような明確なヴィーナス像でない、という点も重要です。
ヴィーナスのような「美の女神」よりも、この絵の「賢明」のように
貞淑な女性像のほうが、日本人にはしっくりくるのかもしれません。
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細川井戸と躑躅図、そして薄茶で一服

2008年05月06日 | 美術鑑賞・展覧会
5/5に畠山記念館の春季展「細川井戸と名物茶道具」を見てきました。
井戸茶碗の中でも「天下三井戸」と言われる三碗のうち、現在一般人が見られるのは
この「細川井戸」のみ。
さらにこの日は館内の茶室が公開されるのに加え、尾形光琳筆の重文「躑躅図」も
見られるということで、白金台まで出張ってまいりました。

しかしこの記念館、場所がホントにわかりにくいです。
こんなに苦戦したのは弥生美術館に行ったとき以来。しかも今回はわざわざ地図を
プリントアウトしていったのに、それでも迷ってしまいました。

車も通れないようなせまい道をぐねぐね抜けて、ようやくつきました。
さて中に入ると、都内とは思えない閑静さと美しい庭園にびっくり!


そして今回特別公開の茶室「明月軒」と「翠庵」を見学。
翠庵は中に入れませんが、明月軒は今回に限り室内でお抹茶がいただけました。

翠庵のにじり口と貴人口。
床の間には近代の大数寄者・益田鈍翁の書が掛けられていました。


翠庵の扁額。揮毫は高松宮の直筆によるもの。


明月軒の扁額は大燈国師の墨跡に由来。中で飲むお抹茶の香りは格別でした。


今回は非公開でしたが、休憩所「沙那庵」の扁額。揮毫は益田鈍翁によるもの。


飛び石が美しい茶室の庭です。手前がわには立派な松も植わってました。


茶室と庭を満喫した後は記念館で「細川井戸」と対面。
大井戸はいままでいくつか見てきましたが、なりの大きさとまとまりのよさでは
やはり他よりアタマ一つ抜けてる気がします。
竹節高台にびっしりついた梅華皮、くっきりしたろくろ目に深い見込みなど、
井戸茶碗の手本といった風格が感じられました。(茶碗はあまり詳しくないけど。)
ただ天気が悪かったせいもあって、館内が暗かったのは残念。
釉薬の微妙な色変化などが見づらかったのでじーっと眺めてたら、目が疲れました。

井戸茶碗は他にもあったけど、茶入と楽焼が好きな私には唐物肩衝茶入「日野」や
赤楽茶碗「布袋」に目を惹かれてしまいました。
「日野」には織部、遠州、石州の好みで作られた牙蓋が3枚もついてましたが、
どこが違うんだかよくわからないのが困りもの。
「布袋」は名前どおりにふっくらとした造作の碗。長次郎っぽいくすんだ赤色で、
この赤が火変わりで煤けた部分とうまく調和していました。

書画ではやはり尾形光琳の「躑躅図」がすばらしかったです。
ポンポンと色を置いて描いたツツジは、暗い室内でも驚くほどの鮮やかさ。
「細川井戸」に加えてこれが見られた上、入館料はたったの500円ですから
迷いながらもここまで来たかいがあったというものです。

「細川井戸と名物茶道具」は6/15まで開催。躑躅図は出ませんが、
5/9からは俵屋宗達や尾形乾山の作品が出品されるそうです。
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日光・月光菩薩の東京出張

2008年04月28日 | 美術鑑賞・展覧会
NHK総合「日光・月光菩薩 はじめての二人旅~薬師寺1300年の祈り~」を見ました。
普段は近くで見られない国宝「薬師三尊像」を細部に渡ってとらえた映像をはじめ、
薬師寺の建造物や堂内の様子など、貴重映像が満載の内容。
創建から戦乱による荒廃、高田好胤師を中心とした昭和の復興活動など、薬師寺の
波乱にとんだ歴史を知る上でも優れた番組となっていました。

中でも最大の見せ場は、薬師三尊の光背を外すまでの過程とそれを記録した映像、
そして光背を外したあとの仏像の姿でしょう。
飾りを取り去った三尊が見せる存在感は、普段は見られない背中を見る以上に
新鮮な驚きを与えてくれました。
5月1日(4月30日深夜)にはNHK総合で再放送されますので、興味のある方は
そちらをご覧いただきたいと思います。

そしてこの「薬師三尊像」のうち日光・月光菩薩像と、やはり国宝の「聖観音菩薩像」が
「平安遷都1300年記念 国宝 薬師寺展」として東京国立博物館に展示中です。
私も今月前半に見てきましたが、見ごたえ満点のすばらしさでした。

日光・月光とも3mを超える青銅像なので、そばに立つだけでも量感に圧倒されます。
まして相手は国宝中の国宝、その迫力たるや尋常のものじゃありません。
三曲法で腰をややひねる姿は、静かな中に力強さも感じさせるものがあります。
そしてこれだけの大きいのにゆるみのない造型、柔らかさを感じるような背の丸みなど
見どころや発見もいっぱいです。

今回は通路上に顔の高さから見られる壇も設えてあり、普段は見られない高さから
お顔をじっくりと拝見することも可能。像の印象も見る場所によってかなり変わります。
空間を広く取った展示会場も、逆に両菩薩のスケール感を感じさせて効果的でした。
主観ですが、狭い拝殿を出て両尊ともに心なしかのびのびしているような気もします。
もしや真ん中にご本尊がいないからでは・・・って、なんとバチあたりなことを(^^;。

光背を降ろして「身一つ」で東京まで来た両菩薩ですが、その姿はむしろ像自体が持つ
本来の凄み、強さ、存在感といった「聖性」を際立たせるものがあると思います。
テレビで登場しなかった聖観音菩薩像も、すっとした立ち姿と見る場所によって変わる
柔らかな表情で迎えてくれます。
仏教美術への興味、見仏か拝仏かといった議論などは抜きにして、この貴重な機会を
逃さないよう、ぜひ上野まで足を運んでいただきたいと思います。

蛇足ですが、薬師寺展に行った際は本館の平常展も見逃せません。
今なら国宝の渡辺崋山作「鷹見泉石像」重文の宮川香山作「褐釉蟹貼付台付鉢」等を
まとめて見ることができます。
香山は東京ミッドタウン内のサントリー美術館で開催中の「ガレとジャポニスム」展に
「色絵蟹高浮彫水鉢」が出ていますから、GW中に両方を見比べることもできますよ。
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齢150年、されどムートンは変わらず。

2008年03月30日 | 美術鑑賞・展覧会
六本木ヒルズ・森タワー52階の森アーツセンターギャラリーで本日まで開催していた
「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展」を見てきました。

シャトー・ムートン・ロスシルド(一般にはドイツ風に「ロートシルト」と読まれることが多い)
といえば、世界中のワインファンが憧れる銘柄のひとつ。
しかし1本の価格が数万~数十万円、年代物に至っては数百万円の値段もつく品だけに
よほどのワイン好きでない限り、なかなか手を出す踏ん切りがつかない代物です。
私もムートンといえばデイリー用のムートン・カデくらいしか飲んでないのですが、
既に見てこられたshamonさん(ムートン経験も多数の猛者)のオススメもあることだし、
「どうせ飲めないワインなら、せめてラベルだけでも拝んでやるか~」くらいの気持ちで
六本木まで足を運びました。
ところがどっこい、この原画展が想像以上におもしろかった。
ラベルに使われた有名画家たちの原画をナマで見られるのはもちろん、それにまつわる
貴重な資料などもあわせて展示されており、年ごとのラベルに関する様々なエピソードを
絵と一緒に楽しむことができるのです。
この展覧会、実は「ムートン美術館」であると同時に「ムートン博物館」でもあったのですね。

ムートンのラベル(エチケット)にモダンアートが起用されたのは1924年のこと。
初めてシャトー元詰に踏み切ったのを記念してつけられたこのラベルは、羊(ムートン)と
5本の矢(ロートシルト家のマーク)が組み合わされ、そこに「シャトー元詰」という文章が
誇らしげに書かれており、今見てもなかなかしゃれたデザインです。
このラベルから20年ほどの中断期を経て、1945年の第二次世界大戦終戦記念として
V字マークと月桂樹をあしらったフィリップ・ジュリアンのデザインラベルが登場。
以後2005年の最新ヴィンテージに至るまで、ムートンのラベルは様々なアーティストにより
描かれていくこととなります。
有名どころではコクトー、ローランサン、ブラック、ダリ、ミロ、シャガール、ピカソなど。
特に有名なのはムートンがボルドー格付け1級に昇格した年のピカソのラベルでしょうか。
オーナーとして1級昇格のため奔走したフィリップ男爵がこの年のラベルに記した名文句、
「われ1級たり、かつては2級なりき。されどムートンは変わらず。」も印象的。
個人的には軽やかなコクトー、遊び心を感じるダリ、力強い印象のミロなどが好きですね。
マッタの水墨画みたいなブドウの樹もよかったし、デルヴォーの色っぽい女性もよかった。

shamonさんTakさんのブログでも書かれてますが、ラベルのサイズに比べて原画のほうは
大きさもまちまちで、ラベルと同じくらいのものから大きな1枚絵に近いものまで多種多様。
色の違いなども含めて、ラベルと実物を比較しながら楽しむことができました。
ボツになったものを含めて何パターンかの原画を提供した作家も多く、それらのボツ原画たちも
一緒に展示されてました。モノによってはむしろボツ原画のほうがいいように思えるものも・・・。
アレシンスキーのボツ作品などは、羊の口からワインが血のようにブバーッと吹き出ており、
インパクトだけなら確実にこっちのほうが上でしょう(^^;。

絵以外のものでは、英国女王エリザベス2世の母であるエリザベス皇太后(まぎらわしいな)が
ムートンに滞在した年を記念したラベルなどがありました。
滞在時にフィリップ男爵が書いたと思われる直筆のメニューカードも展示されており、この時は
ムートンの3ヴィンテージのほかにシャトー・ディケムも供されたのがわかります。
天下のムートンでも、さすがにデザート・ワインだけは用意できなかったというわけですね(笑)。
2002年には皇太后の孫にあたるチャールズ皇太子が英仏協商100周年を記念して原画を提供、
この時に添えられた皇太子直筆の手紙も見ることができました。

会場には原画のほか、ムートンのボトルをずらりと円柱状に並べた展示もありました。
ダブル・マグナムのボトルなんて、ここ以外で見ることもないだろうなぁ・・・。
創業150周年記念パーティでプラシド・ドミンゴが即興で歌ったという「ムートンの歌」
(「椿姫」の替え歌)も、最終展示のコーナーでひっそりと流れてました。
そういえば1940年代の未使用ラベル案の中には、フィリップ男爵の直筆と思われるサインが
入っていたものもあったと思います。

展示品についてはかなり満足。ムートンの歴史を追いながら巨匠たちの作品を見ていくのは
とても楽しかったです。
逆に残念だったのは、せっかくの展示についてあまり説明がなかったこと。
フィリップ男爵が亡くなった年の展示には、男爵が娘のフィリピーヌさん(現ムートンオーナー)
へと宛てた手紙も添えてあったのに、その訳文については一切掲示なし。
キース・へリングの原画にはへリングがフィリピーヌさんに送った手紙の写しもついてたのに
そちらについても何の説明もありませんでした。
欧米のお客さんなら普通に読めるんでしょうけど、日本に持ってくるならそのくらいの配慮は
するべきでしょう。せっかくの展示物が内容も理解されず見過ごされるのはもったいないです。

会場内では何のアナウンスもありませんでしたが、会場を出てからふとスーベニアショップを
のぞいて見ると、原画展のカタログが置いてありました。
でも値段を見てビックリ、なんと8,400円!プリムールでムートンのセカンドが買えそうじゃん!
というわけでカタログはパスして、絵はがきだけ買ってきました。


雑誌「一個人」の特集記事と並べてみました。ホンモノのボトルがないもので・・・(泣)。
でもハガキを8枚買うだけでも、税抜き1,200円。チリワインなら十分いいのが買えそう。

ビルから出ると、外はすでに夜。東京タワーとヒルズに挟まれて夜桜が咲いてました。
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静嘉堂で茶碗三昧

2008年03月22日 | 美術鑑賞・展覧会
静嘉堂文庫美術館で3/23まで開催中の「茶碗の美」展へ行ってきました。

副題が「国宝 曜変天目と名物茶碗」とあるように、今回最大の目玉は
世界に3点しかないとされる曜変天目茶碗のうち、静嘉堂が収蔵している
通称「稲葉天目」が公開されることです。
「大徳川展」で茶入れを見て以来、茶道具に興味が出てきていたので
これは絶好の機会と思い、二子玉川まで出張ってまいりました。

下は展覧会のチラシ。背景の写真に写っているのが「稲葉天目」です。


黒から青に変わる深い釉薬の色に、パールのような輝きをまとった斑が浮かびます。
見る角度によっては白く輝く班も、別の角度から見ると黒く沈んで見えたりと
まるで瞬く星のよう。輝く星に見立てて「曜変」とは、よくぞ名づけたものです。
碗内に散った星の配置や大きさなども、ランダムなようで実にバランスよい配置。
曜変は偶然の産物と言われますが、とてもそうは見えません。
ケースのまわりをぐるぐる回りながら小宇宙の眺めを楽しんでまいりました。

静嘉堂には「曜変天目」以外にも名碗が多数収蔵されており、今回はそのうち
およそ80点が展示されていました。
重要文化財である「油滴天目」や青磁茶碗などの豪華な唐物茶碗、簡素な中にも
風格を感じる「井戸茶碗」のような高麗茶碗など、どの碗も個性が際立っていて
茶碗ばかりを見続けても飽きることがありません。
特に楽焼を中心とした国産の“和物茶碗”は、その形の面白さと釉色の深さで
ひときわ強く印象に残りました。

特にすばらしいと思ったのは、楽家初代・長次郎作の黒楽茶碗「紙屋黒」。


まるで天然石から生まれてきたような自然さ、気ままなように見えてきちんと整った
器のバランスなど、矛盾しそうな要素が一つの碗にうまく調和しています。
見ていて気持ちが穏やかになるような安心感と、まわりに左右されない確固とした
力強さを感じさせる逸品でした。
もしこれで茶が飲めたら、それだけで人間がワンランク上がりそう(飲めないけど)。

他にも仁清や織部などの銘品がずらりと揃い、全体を見回すだけでも壮観です。
あと1日だけの展覧会ですが、行けば必ず満足できると思います。

茶碗といえば、ただいま名古屋市博物館でこんな展覧会が開催中。

「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」

本阿弥光悦作の楽茶碗「時雨」と「乙御前」が展示されています。
特に「乙御前」は「新日曜美術館」で映像を見てひとめ惚れ。
その写真見たさに、3月号の「芸術新潮」も買ってしまいました。



「森川如春庵の世界」は10月に東京へも巡回する予定。今から楽しみです。
 
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「眠り」と「死」は兄弟

2008年01月29日 | 美術鑑賞・展覧会
「芸術新潮」2008年2月号に、アンカーの小特集が掲載されました。

「アンカー展」に出品された中でも選りすぐりの作品が、モノによっては
公式画集よりも大きなサイズで収録されています。
代表作のひとつ「学校の遠足」などは、見開き2ページの特大サイズで掲載。

収録作の中には、ある意味で展覧会中最も強い印象を残した作品である
「死の床につくリューディ・アンカー」も含まれています。

これらの作品を手がかりに書かれた、作家の堀江敏幸氏による「アンカー論」も
なかなか力の入ったもの。
アンカーの作品に見られる正確な描写を、逆にある種の「ゆがみ」と捉えてみたり
眠りと死の描写を結びつけることで「この世のはかなさ、不確かさ」に言及したりと
平穏な作風の中に潜む「不穏さ」の部分を鋭く指摘しています。
弐代目・青い日記帳」でTakさんが書かれていた“陰鬱な影”も、この不穏さと
関係があるのかもしれません。
アンカーについて興味のある方なら、読んで損はない特集だと思いました。

ちなみに今回の「芸術新潮」でメインを張っているのは「源氏物語」。
国宝の源氏物語絵巻を全巻掲載するなど、豪華な内容になってます。
物語のあらすじを超濃縮した「10分で読める源氏物語」もとっても便利。
これが元ネタのコミック『絶対可憐チルドレン』のファンにも、副読本として
オススメしておきます。ネーミングのうまさには思わずニヤリとなるはず。
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「知られざる画家」アンカーの魅力

2008年01月20日 | 美術鑑賞・展覧会
Bunkamuraで本日まで開催していた「アンカー展」を見てきました。

「宮崎駿の「アルプスの少女ハイジ」を思わせる作風」といったコピーには
いささかうんざりでしたが、それでも見に行こうかという気にさせたのは
Web上ではじめて見た、この「マリー・アンカーの肖像」でした。

作風こそ異なりますが、マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾの肖像」や
ルノワールの「ルグラン嬢の肖像」などを思わせる「黒と肌色のコントラスト」に
強い印象を受けたものです。左から来る光の加減も実に効果的。

さて、上記の肖像画も含めて会場に展示された百余点のアンカー作品のうち、
その大半を占めるのは、「子供」を主題に描いたものでした。
これはアンカー自身が子供をテーマとすることに強い信念を持っていたことに
由来するものです。カタログに掲載されたアンカー自身の言葉を引いてみると
“昔の話を私に語ってくれるようなお年寄りを除けば、子供たち以外を自分の
 モデルとして使う必要性は生涯感じなかった”とのこと。

さて、こちらの絵は「おともだち」という作品です。

小さな子の今にも泣きそうな顔と、年上の子の取り澄ましたような表情の対照から
二人の間に漂う微妙な「空気」が感じ取れませんか?
この微妙な瞬間を画面に写し取るあたりに、アンカーの観察眼の鋭さが伺えます。

アンカーの作品に描かれる人物は比較的動きが少なく、全体的に「静かな」印象の
作品が多いです。一方でその場面に漂う「気配」は、画面の静かさとリアルな画風が
合わさることによって、より際立って感じられます。
アンカーの作品が持つ独特の臨場感は、この「気配」によるところが大きいのでは
ないかと思います。

こちらの「スープを飲む少女」を見てみましょう。

スープに注がれた視線やスプーンの使い方、ちょっと緊張した口元などから
食事に夢中な子供の気持ちが見事に伝わってきます。
こういうのって、見ていて飽きない面白さがあるんですよね。
アンカーが子供という題材を描き続けた理由も、そこにあったのかも。

展覧会の中でも「マリー・アンカー」と並んで印象的だったのが、こちらの
「髪を編む少女」です。

髪を編みながら読書する少女。古典的な構図と日常風景が見事に融合しています。
この絵の他に、アンカーは編物をする少女や積み木遊びをする子供たちなど、
なにかに取り組む最中の子供を多く描いています。

日常生活を描く「風俗画」というジャンルの中でも、特に子供に焦点を合わせたのは
アンカー自身が「生活の中で成長する子供」の姿を描きたかったからだと思います。
食事、遊び、読書、身づくろい、そして登校姿。
学び、成長し、そして自立していく子供たちの姿を描きとめることが、アンカーには
一番大事なことだったのかもしれません。

こちらは「治癒師Ⅱ」という作品。

古典的な題材の「ヴァニタス」の要素を盛り込んで「命のはかなさ」を描きつつ
それに抗するように調剤を行う「治癒師」の老人を配しています。

アンカーにとって、描くということは即ちある種の「祈り」だったのでしょう。
病床の子供を描く事も、死の床に横たわる我が子を描く事も、アンカーにとっては
何にもまして真摯な祈りの形だったように感じました。
絵を通じて子供たちを見守り、その健やかな未来を願うこと。
これこそアンカーがその生涯を通じて成し遂げたことなのだと思います。

人物を描いた作品の他に、静物画の展示もありました。
こちらは「静物(紅茶とビスケット)」。

手前のカップはマイセンでしょうか。陶器の質感がすばらしいです。
この質感、素材感は写真では出せないものでしょう。

声高にテーマを主張したり、斬新な表現で驚かせるような要素はないものの、
その描写力と一貫した製作姿勢には強い感銘を受けました。
都内での展示は終わりましたが、今後は各地での巡回展が続きます。
この機会に少しでも多くの方に、アンカーの魅力を知って欲しいと思います。
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フィラデルフィア美術館展

2007年12月23日 | 美術鑑賞・展覧会
東京都美術館で12月24日まで開催の「フィラデルフィア美術館展」を
見てきました。
副題が「印象派と20世紀の美術」とあるとおり、今回の展覧会には
印象派以降の近代美術をフィラデルフィア美術館の所蔵品群によって
総括しようという意図が感じられます。

印象派のメジャーどころからスタートして近代アメリカの作品で終わる構成は
確かにバラエティに富んでいる一方、ジャンルごとの印象にかなり開きがあって
なんだかフルコースの中で和洋中の料理を一度に出された感じ。
全体の水準は高いけど、食べあわせ的にはなかなか厳しいところもあります。
いろいろなジャンルを食べ慣れて鍛えた人でないと、少し胃にもたれるかも。
公式HPの解説で「美術を教える人、学ぶ人にとってまさに必見の内容」
と書かれていますが、そこまで美術に明るくない私のような者にとっては
実は結構ハードルが高いように思えました。

そんな中で、私にとって特に印象深かった作品をいくつかご紹介。

ルノワール「ルグラン嬢の肖像」
この展覧会ではメインとなる位置づけの作品を置かない配慮があるようで、
この絵も他の印象派作品と同じ並びの中に入ってました。
でもやっぱり今回の目玉はこの絵でしょう。
ルノワールお得意の過剰なまでの色彩や誇張された人体描写は抑えられ、
少女の自然な表情を描くことに力が注がれています。
ルノワールのうまさをストレートに堪能できる作品。

ルノワール「大きな浴女」
ルグラン嬢とはガラリと変わって、コテコテのルノワールタッチ。
裸婦の豊満な肉体が、画面からはみ出しそうな勢いで迫ってきます。
これはもはや人物画というよりも、女体版の「サント・ヴィクトワール山」
とでも言うべきでしょうか。パターン化してる点も似てますし(^^;。
個人的にここまで「濃い」のはちょっと苦手なのですが、この絵については
「肉体」というよりも「物体」としての量感に圧倒されました。

デュシャン「画家の父の肖像」
もはや芸術家という枠を飛び越えて(というか、ブチ壊して)しまった男、
マルセル・デュシャンの描く「画家たちの父」セザンヌの肖像。
そのわりにはごくまともな絵なのが、ある意味で驚きです。
色使いがまるっきりセザンヌなのはリスペクトか、それともジョークなのか。
デュシャンの考えてることはサッパリわかりません。
フィラデルフィアといえばアレンズバーグ・コレクションが看板のはずですが、
今回出されたデュシャンの作品はこれも含めて2点のみ、寂しいなぁ。

マグリット「六大元素」
黒を背景に6つに分割された歪んだ木枠が描かれ、それぞれの枠内には
「炎」「女性の裸体」「森」「窓」「青空」「球体」が描かれています。
思うにこれはマグリットの絵における「六大元素」ということでしょう。
絵としてはひねりすぎだと思うけど、画家自身の自己批評として見るなら
実におもしろい作品です。
先日こっそりと横浜で見てきた「シュルレアリスムと美術」展に出ていた
「固定観念」との比較も楽しめ、個人的には大満足でした。

タニング「誕生日」
これは以前にどこかのサイトで見て「すごい絵だなぁ」と思った記憶が
あるのですが、実物を見るまで今回来ていることに気づきませんでした。
会場の終わりのほうでいきなりコレを見た時は思わずたじろぎましたね。
現実と空想の境界で佇むような女性の姿から、様々な物語が読み取れそう。

マグリットだけは絵ハガキがなかったので、あとの4点を購入してきました。


他にはモネとかマネとかもよかったですが、本展を代表するという印象には
至りませんでした。あとクレーの魚とミロの犬はひたすらカワイかったです。

それにしても、東京都美術館の狭さと天井の低さには改めて閉口しました。
特に印象派のスペースは混むのが読めてるんだから、もう少しなんとかしろと。
平成22年からは長期改修に入るそうなので、少しでも見やすいレイアウトに
変わって欲しいものです。まあ結構先の話ですけど。
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「鳥獣戯画」に行ってきた!

2007年12月20日 | 美術鑑賞・展覧会
12月16日まで東京ミッドタウン内のサントリー美術館で開催されていた記念展
「鳥獣戯画がやってきた!-国宝「鳥獣人物戯画絵巻」の全貌」を見てきました。
(いや~、ミッドタウンって今回初めて入りましたよ。)

普通は「鳥獣戯画」と称されることが多いこの作品ですが、正式名称をちゃんと読むと
実は人間も描かれていることに気づきます。
でもまず誰もが思い浮かべるのは、甲巻でカエルとウサギが出てくるこの部分のはず。

…ここだけ見ると、とってものどかな田舎相撲の印象がありますね。

それでは、このひとコマ前のシーンを確認して見ましょう。

おーっと、カエルが思いっきり耳噛んでますね。ウサギの顔には悲壮感が漂ってます。
このエゲツない攻防の様子からは、戦う両者の必死さが伝わってきます。
こういった新しい発見ができるのも、実物を通しでみられればこそ。

さらに、普段はあまり目にすることのない乙巻がすばらしかったです。
前半は身近な動物がリアルに描かれているのですが、後半に至ると獅子やら獏やら
麒麟やら象やらといった動物の、絵師が空想で描いた姿がバンバン登場してきます。
中でも圧巻なのが、この龍の絵。

後ろ足の異様な長さや象みたいな牙など、異形ぶりが際立ってますね。
中国伝奇小説や東洋風ファンタジーの愛読者なら、一度は見て欲しい怪作です。

丙巻は前半が人物、後半が動物を主題とした風俗画。
前二巻の伸び伸びとした筆づかいに比べて絵がこじんまりした代わりに、
絵に繊細さが増した感じです。その中で個人的に好きなのは、この場面。

左にいる猫の顔がヘンにリアル。なのに耳のつき方が微妙なのが、また面白いところ。
なんだか「平安時代のドラえもん」という感じです。

最後の丁巻はかなり時代も下って、絵のスタイルも全く違います。

前の巻まではプロの絵師が描いたようにも見えますが、丁巻は絵心のある僧が
筆の勢いに任せて楽しみながら描いたようにも見えますね。

四巻まとめて見られる機会はまず無いということで、今回は貴重な体験ができました。
特に甲乙の二巻はすばらしい。甲巻はデフォルメされた動物が野山を駈け巡りながら
様々な遊びに興じる様子を、そして乙巻は実在から架空に至るまでの動物の数々を、
実に生き生きと描いています。国宝の肩書はダテじゃありません。

関連作品として絵巻物や動物を擬人化した作品の展示もありましたが、その中でも
ひときわ異彩を放っていたのが、河鍋暁斎の「鳥獣戯画」。
すさまじくリアルな暁斎の画力は原作のもつのどかさを払拭し、ユーモラスな中に
不気味さや怖さを漂わせる独自の世界を確立していました。
サントリー美術館所蔵の「雀の小藤太絵巻」「鼠草子絵巻」「藤袋草子絵巻」は、
動物を擬人化した物語絵巻。
それぞれ息子を亡くしたスズメ夫婦や婿入りを狙うネズミ、略奪婚を図るサルなどが
登場し、生々しい人間ドラマ(?)を繰り広げます。
ベタな話も動物が演じるとなんだかシュールな感じで、なかなか新鮮でした。
いっそ月9ドラマとかをこの路線でやってくれないかな~、と思ったりして(^^;。
本命の「鳥獣戯画絵巻」以外にも、いろいろな楽しみを見つけられた展覧会でした。
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今回の新日曜美術館にはがっかりです

2007年11月19日 | 美術鑑賞・展覧会
NHK教育「新日曜美術館」でフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を取り上げるので
期待して見たけれど、正直なところ内容にはガッカリしました。
世界中でフェルメールを見た人が3人もゲストに来てるのに、その感動について
話しぶりから全然伝わってこないんだよなぁ。
研究者でもない人から、別に豆知識やウンチクなんか聞かされたくないし。
そもそもフェルメール作品を相手に、なまじ気のきいたことを言おうとするから
ダメなんじゃないの?と感じてしまいました。
私としては各人のウンチクっぽい話は抜きにしてもらって、フェルメール体験の
素直な感動を聞かせて欲しかったです。

あとスタジオのゲストは新美でフェルメール見てなさそうですね。
あの鑑賞状況をはじめ、会場についてぜひコメントして欲しかったのに。
まあもし見ていても、悪くは言えないでしょうけどね。

権利関係で問題があるのかもしれないけど、あんなスタジオトークよりは
作品の映像をもっとたくさん使って、視聴者自身に判断させてくれたほうが
よほどためになったと思います。でなければ専門家に説明してもらうとか。
今回は会場で細部を見るのが難しいだけに、そのへんをフォローするような
番組づくりを期待してたんですけど、見事に裏切られたなぁ。
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徳川はやっぱりBIGだった

2007年10月29日 | 美術鑑賞・展覧会
東京国立博物館で開催中の『大徳川展』を見てきました。

しかしなんですかね、この入場券の色づかい。光っちゃってますよ(^^;。

『大徳川展』という権威むき出しの名称にはなんかイヤな感じも受けますが、
「徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家、さらに久能山・日光・紀州の
東照宮、また寛永寺や増上寺といった徳川家ゆかりの地に伝えられた宝物」が
一堂に会した事を表現するためには、他のタイトルはつけようがなかったとも
言えるでしょう。
なにしろうかつに書いたら、出品協力者がヘソをまげそうですし(^^;。

それはさておき、こういった所蔵品を一挙に展示することにより「日本史上でも
最大最長の統治期間を誇る江戸期の文化文物の粋を概観できる」という点で、
今回の企画展はかなり画期的かも。
国宝や重文といえども普段は国内のあちこちに分散して展示されているため、
どうしてもローカルな文物との印象が拭えません。
しかしこうして一つの会場に集められてみると、ひとつの時代と国家を象徴する
「大きな文化」の姿が、これらの品々を通じて浮かび上がってくるようです。
日本文化の企画展がヨーロッパや中国の王朝文化展と互角に張り合うためには、
やはり「質」だけでなく「量」も大事な要素なのだと実感しました。

入口でのアナウンスどおり、会場内は異常ともいえる混雑ぶり。普段は博物館に
縁のなさそうなご年配の集団を中心に、場内が埋め尽くされる勢いです。
壁沿いのケースに展示されている品々は二重三重の人垣で、じっくり見ることは
どうがんばっても不可能です。
ただし茶器などの一部は独立したケースに入って場内の中ほどに配されており、
少しだけ鑑賞しやすくなっていたのが救いでした。

展示内容は三章構成で、まずは武家の頭領としての徳川に迫る「将軍の威光」から。
ここでは鎧兜から鉄砲、刀、着物や日用品に至るまでの「徳川家御用達」が勢ぞろい。
特に甲冑と日本刀の展示は人気が高く、人が集まってなかなか動きません。
甲冑はいかにも日本的な鎧のほうに注目が集まってましたが、貴重なのはむしろ
南蛮胴具足のほう。榊原康政や渡辺守綱拝領の鎧もあり、KOEIファンの私には
ちょっと感動モノでした。

さて、次はいよいよ日本刀の展示コーナーへ。ここは刀剣ファンなら必見です。
なにしろここの場所だけで「真恒」「三日月宗近」「観世正宗」「遠江長光」
「福岡一文字助真」「寺沢貞宗」と6振の国宝が並んでいるのです。
鍛えられた地金、美しい刃紋、そして絶妙な反り加減、どれもすばらしい。
この中であえて1本を選ぶなら、やはり天下五剣のひとつ「三日月宗近」かな。
すらりとした姿は、他の豪壮な日本刀とは一線を画す優美さです。
別のコーナーでは日光東照宮から「助真」と「国宗」も出されており、常設展では
「大包平」や「小龍景光」も見られますので、日本刀ファンは時間をしっかりとって
見に行くべし。

他に秀吉と家康が碁を打ったという碁盤「葡萄舞」、一抱えほどもある伽羅の
香木なども、一風変わっていて面白かったです。
そしてこの章の最後に待っていた展示品は、お約束の「葵の印籠」(^^;。
光圀の所有した本物なのですが、どうしても芝居の小道具に見えてしまいますね。

第二章は「格式の美」。ここでまず見るべきは、なんといっても茶道具!
儚げなのに凛とした名茶杓「泪」、白天目や大高麗の茶碗にでっかい茶壷などが
目白押しです。
特に魅力的だったのは茶入の数々。煤けたような鈍色がワビサビな「新田」や
黄土色がかった茶色の地に黒の釉薬がかかった「初花」など、いずれ劣らぬ
逸品が揃っています。

中でも私が一押しなのは、今回が初のお披露目となる「唐物文琳茶入 銘 秋野」。


ケースの照明にもよると思いますが、輝く表面はボルドーレッドにも見えるほど
深い茶色、そこに半透明な白の釉薬が垂れかかる姿は、まさに官能的。
サイズも他の茶入より一回り小さくて、手の中にすっぽり納まる感じです。
一度でいいから触ってなでまわしてみたい!と思ってしまいました。
残念ながら絵ハガキの写真からでは実物の良さが全く伝わらないので、
できれば現物をご覧になっていただきたいと思います。

なおこの章では応挙の「百蝶図」や、源氏物語絵巻の「橋姫」も展示されており、
ある意味で最も「国博っぽい」展示物が多かった気もしました。

最後の第三章は婚礼道具を集めた「姫君のみやび」。
ここはもう蒔絵だらけ。長持からタライまで、なんでもかんでも蒔絵入りです。
葵の蒔絵もそこかしこに表れて、どっちを向いても水戸黄門状態。こうなると
もはやありがたいんだかうざいんだか、よくわかりません(失礼!)。
その中でひときわ異彩を放っていたのが、「千代姫婚礼調度 純金台子皆具」。
茶道具一式フルセットがほぼ純金製…でもシュミ悪くないか、これ(^^;。
茶入なんかわざわざ釉薬がかかったような表面処理まで加えてますが、ここには
もはやワビもサビも無い感じです。
逆に言えば、そのバカバカしさが面白いという気もしますけどね。

展示物の入れ替えにより内容は異なりますが、会期自体は12月2日まで。
ちなみに「秋野」は会期を通して見ることができます。

大徳川展の後はいつもどおり常設展へ。
さすがに疲れていたのでいつもより早足でまわってしまいましたが、その中で
目に留まったのが、この「葡萄図」です。


作者は立原杏所。水戸藩の人で、父は「大日本史」を編纂した立原翠軒。
この絵は主君の前で二日酔いのまま筆に任せて描いた物だそうですが、
むやみに勢いがあってカッコいい絵ですね。しかも重要文化財ですよ。
日本産ワインのラベルに使ったら絶対いけると思うんだけど、いかがでしょう?
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「牛乳を注ぐ女」、ついに来日!

2007年10月02日 | 美術鑑賞・展覧会
六本木に世界一のメイドさんがやってくる!これは絶対見逃せない!!
…いったいなんのこっちゃという感じですが、要はフェルメールの
「牛乳を注ぐ女」の英題が“The Milkmaid”だという話。
別に嘘なんか書いてませんよ?ホントに世界一ですから。

ということで、国立新美術館にて『アムステルダム国立美術館所蔵
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』
を見てきました。
かなりの混雑を覚悟していたのですが、あえて平日に行ったおかげか
今のところはメチャクチャというほどの混み方ではありませんでした。
まあ遠からず芋を洗うがごとき様子になるのは確実でしょうけど。
さて、以後は実際に鑑賞してきた感想などを書き連ねてみます。

まずはフェルメールまでの前フリとして同時代の風俗画が並びますが、
これらは画題の中に何らかの形でお説教じみた寓意を含むものが多く
美術館よりもむしろ酒場や家庭の食堂に掛けられることで「風刺」や
「教訓」の役目を果たすほうが、より似つかわしいように思いました。
日本だと「仲良きことは美しきかな」と書いた色紙を飾るような感覚かも。
私には絵としてよりも当時の風俗資料としての印象が強かったですね。
そんな時代の中、個人的な美的感覚を優先した絵を描いたフェルメールは
やはり特異な人物だったということになるのでしょう。

次はいよいよ「牛乳を注ぐ女」です。混雑がいくぶん控えめといっても
そのほとんどはフェルメール「だけ」を目当てに来ているわけですから
この絵の前に限っては来場者で常に混みあってます。
それでも人の波というのはあるもので、タイミングを見はからいながら
うまく絵の正面まで進むことができました。

そしてこれが、世界一のメイドさんの姿。


うーん、この絵の美しさについて一体どうやって書けばいいのやら。
言葉でも写真でも、その魅力の一端すら伝えられないような気がします。
あえて言うなら、まるで絵の中から光が差しているような感じでしょうか。
平凡な日常を描いているにも関わらず、まるで優れた宗教画を見たような
大きな畏怖と崇敬の念に打ちのめされました。
絵の前がごった返していて四方八方から人が押してこなければ、その場で
呆然と固まっていたかも。

フェルメールを代表する色である「青」も恐ろしいほどの深みと輝きを湛え、
使われた部分が少ないにもかかわらず強烈な印象を与えます。
卓上のパンの肉を思わせるような生々しさ、赤い壷から注がれるミルクの
濃厚な白など、静物とも生物とも感じられる品々も強く心に残りました。
こういった要素からこの絵に宗教的な解釈を見出す声もあるようですが、
これらはむしろ絵画における聖俗混交を意図した演出にも思えます。
故に風俗画でありながら、宗教画的な崇高さを感じるのかも知れません。
まあ解説なんて無粋なだけなので、とにかく実物を見て圧倒されるべし。

フェルメールに打ちのめされた後はさすがにどの絵も色褪せて見えるのが
なんだか気の毒でもありますが、そんな中にあって目を惹きつける作品が
ヤーコプ・マリスの「窓辺の少女」とニコラス・ファン・デル・ヴァーイの
「アムステルダムの孤児院の少女」の2点です。

マリスは先日見てきた武部本一郎氏の作を思わせるタッチが魅力的。


ファン・デル・ヴァーイは印象派を思わせる色あいと光の使い方が好みです。


「牛乳を注ぐ女」もそうですが、今回の展示で特に良いと感じられた作品は
どれも「無心で何かに打ち込む人物」を描いたものばかり。
マリスの描く少女も、どこか心ここにあらずといった風情です。
私の大好きなフランドランの「若い娘の肖像」(ルーブル所蔵)もそうですが、
人が最も美しい姿を見せるのは、やはり無私でいる時なのかもしれません。

フェルメールらの時代を偲ぶよすがとして、古楽器も展示されていました。
携帯サイズのバイオリンである「キット」、異様に竿の長い「キタローネ」、
見た目が楽しい「ハーディ・ガーディ」などは一見の価値あり。
(写真だけなら所蔵元の上野学園のWebページでも見られます。)
古楽器の展示場所の片隅には、「牛乳を注ぐ女」で描かれたキッチンを
そのまま立体化したセットもありますので、お見逃しのないように。

おみやげ売り場では右を向いても左を向いても「牛乳を注ぐ女」だらけ。
まあ目玉がこの1作ですからしょうがないんですけど。
かくいう私もポスターとか絵ハガキとか買ってしまいましたが、中でも
一番気に入ってるのが、写真のクリアファイルです。


このファイル、絵が立体的に見えるようにちょっとした工夫があるのです。
まあ大した仕掛けじゃないんですが、そこがなんとなく面白かったもので。
「アムステルダムの孤児院の少女」は絵ハガキがありましたが、残念ながら
「窓辺の少女」はシールとしおりセットくらいしかありません。
これはしおりのほうがお勧め。フェルメール、マリス、デル・ヴァーイに加え
ビスホップの「日の当たる一隅」も入って、お得な4枚セットになってます。

フェルメール以外はマイナーどころの多い展覧会ですが、「牛乳を注ぐ女」は
何をおいても絶対に見ておくべき。国内で見られるのはこれが最初で最後かも。
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この夏、デジャー・ソリスに会いに行こう!

2007年08月12日 | 美術鑑賞・展覧会
東京の弥生美術館で、ただいま「武部本一郎展」が開催中です。
武部氏といえば、ある年代以上のSFファンにとっては今も「日本一のSF画家」。
そして氏の描いた「火星のプリンセス」デジャー・ソリスは、SF史上に燦然と輝く
不滅の傑作です。
というわけで生ソリスを見るべく、猛暑の中を根津くんだりまで行ってまいりました。

今回は武部氏の没後初めての回顧展となるそうで、氏がSF画家として名を成す前の
紙芝居や児童書の挿絵に始まり、くだんのデジャー・ソリスが表紙を飾ったバローズの
『火星のプリンセス』を含む数々のSFアート、そして遺作となった絵本の挿画までを
一堂に集めた、実に見ごたえのある内容となっています。
展示は建物の1階と2階を使って行われており、1階では武部氏の手がけた紙芝居や
児童書の表紙絵、そして現存数が少ないとされる油絵を展示しています。

しかし武部氏がポプラ社のルパンとか少年探偵団のシリーズを描いていたとは初耳です。
偉人の伝記や『ガラスのうさぎ』などの名作も手がけているので、作家名は知らなくても
武部氏の絵には接していたことがあるという人も、意外と多いかもしれません。
一緒に展示されていた油絵では、「ニーベルンゲンの歌」を題材にドラゴン退治を描いた
「ジーグフリート」が、とにかくすばらしい。
ドラゴンの亡骸の前で血染めの指をしゃぶる美形のジーグフリートは、どこか耽美的で
これが児童画の展覧会に出されたというのがちょっと不思議なくらいです。
ちなみに現在の所有者は中島梓氏。なるほど、所有者のご趣味がよくわかります(笑)。

2階に上がると、そこは懐かしの名作SF・ファンタジーの表紙を飾った傑作が目白押し。
壁際に無造作な感じで飾られた『火星のプリンセス』の表紙画は、絵の前に立つと照明が
自分の体で遮られてしまいます。ただでさえ薄暗い館内なのに、これじゃ絵が見えないよ!
しょうがないので右から見たり左から見たり離れてみたりと、小さな原画の前をウロウロ。
幸いここは男鹿展ほど人がいないので、文句を言われることもありません。
生デジャー・ソリスは長い年月を経ても変わらぬ美しさで、絵の状態も良好です。
印刷では出せない色の美しさも堪能できましたが、いかんせん館内が暗いのには参りました。
この絵だけでも、もっと良く見える展示方法を考えて欲しかった…。

館内には火星シリーズのほかにも「月シリーズ」「金星シリーズ」「ターザン」「ペルシダー」
などのバローズ作品ほか、早川書房版コナンや「ウィッチ・ワールド」、「反地球シリーズ」、
「レムリアン・サーガ」などのイラストなども飾られており、武部氏の仕事はわが国における
ヒロイック・ファンタジーの歴史そのものなのだと、つくづく思い知らされました。
他には半村良氏の『産霊山秘録』の挿絵など、「SFマガジン」に掲載されたイラストの数々や
幻の久保書店刊「Q-Tブックス」各表紙の原画まで展示され、SFファンなら感涙すること必至。
おみやげには絵ハガキ5枚に加え、思わずポスターまで買ってしまいました。
ポスターは紙が薄くてペナペナなため、家に着いたら端がくしゃくしゃでしたが…。

今回展示された絵のほとんどは個人蔵ということなので、これだけの作品を一挙に見られるのは
これが最後になるかもしれません。
SF・ファンタジーに興味の無い方にも楽しめると思いますので、この機会をお見逃し無く。
美術館の公式HPはこちら。入館料も800円と格安です。
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