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bisqの普通な毎日

日記です。ときどき更新します。

幸せな瞬間を心から味わおう

2023年04月14日 | ノンジャンル

私を支えてくれた言葉や思い

20「幸せな瞬間を心から味わおう」

幸せというのは、漠然と“そういう時期”のこと言うと思っていた。

幸せな生活とか、幸せな人生とか、どこか長いスパンの期間を指しているイメージがあった。

しかし、幸せというのは、実際には“瞬間”である。

「うわ、今幸せ」とこみ上げるその一瞬に、幸せは凝縮されている。

ぼうっとしていないで、幸せを感じる瞬間に心の照準を当ててみよう。

それには、普段から幸せな瞬間を心から味わおうと待ち構えているのが良い。

その瞬間を心一杯味わえると、不思議なことに、それがどれだけ遠い過去のことになったとしても、幸せがよみがえるのだ。

長い間幸せを呼び起こせる状態でいるには、幸せなその瞬間を心から味わうことである。

それができれば、その幸せは、永遠に不滅だ。

 

(ワンマンライブまであと1日)


やってくる困難は天からの試練である

2023年04月13日 | ノンジャンル

私を支えてくれた言葉や思い

19「やってくる困難は天からの試練である」

来たー!

天からの試練だ・・・。

避けて通ってきた道。

自分の苦手なことくらい、よく知っている。

それでいて、ふってきた仕事。

それは、「避けては通れませんよ」と堂々と書いてあるかのようだ。

困難極まりない。

どうしたらいいのだろう。

でも、やりとげないと先に進めない。

方法はひとつ、乗り越えるしかないのだ。

不思議なもので、天はその人に足りないもの=必要なものを試練として課すように見える。

あと、もうひとつ。

天は、乗り越えられない課題は、試練として与えないようだ。

だから、私は乗り越える。

ここまで来たら、あきらめの境地だ。

天からの試練と理解すると、やってくる困難を前向きに受け止めることができる。

 

(ワンマンライブまであと2日)


何が食べたいか体の声を聞こう

2023年04月12日 | ノンジャンル

私を支えてくれた言葉や思い

18「何が食べたいか体の声を聞こう」

これは、10年くらい前に気づいたこと。

何が食べたいか、それは体の声を聞くといいということだ。

恐らく、それ以前の私は、体の声を聞く態勢になっていなかったと思う。

明らかに、体の声に心の耳を傾けることをしていなかった。

体の声も小さかったのだと思う。

それが、10年くらい前に、体調をすごく気にかけた時期があり、それ以降体の声が聞こえるようになった。

「野菜がたくさん食べたいな」

「お肉がたくさん食べたいな」

おおー、モノ言う体になったか!

そして、それを食べると、いつもにも増して美味しく感じる。

まさに、体が欲しがっていたのがわかる。

考えてみたら、体が「野菜が食べたい」と言うときは、確かに野菜不足の食生活だった。

「肉が食べたい」と言うときは、疲れるできごとが多くて、パワーを付けたい時期だった。

実際、食べたら、本当に体が整った感がある。

最近は、「ちょっと脂っこいな」というバリエーションも増えてきたようだ。

体の声も、成長とともに言葉を覚えたね。

 

(ワンマンライブまであと3日)


身近な人にありがとうと言おう

2023年04月11日 | ノンジャンル

私を支えてくれた言葉や思い

17「身近な人にありがとうと言おう」

誰かに何かをしてもらったら、ありがとうと言う。

その「誰か」が身近な人になるにつれて、うっかり省略モードになっていないだろうか。

いつもやってくれることだと、ついありがたみを忘れて、やってもらって当たり前の状況になってしまう。

やってくれることを忘れているわけではない。

確実にありがたい。

ある程度、適度に、お礼をしっかり言葉にして言いたいものだ。

身近な人って、理解し合えていると思ってしまう。

その延長で、お礼の気持ちも伝わっていると思ってしまう。

そんなわけはない。

お礼は、やっぱり言葉で言わないとね。

「ありがとう」。

言葉に心は宿る。

身近な人だからこそ、大切にしたい。

 

(ワンマンライブまであと4日)


生きている限り可能性が0%のことはない

2023年04月10日 | ノンジャンル

私を支えてくれた言葉や思い

16「生きている限り可能性が0%のことはない」

これは、私がかなり昔から思っていたこと。

意味は、読んでそのままだ。

たとえ辛い状況になったとしても、辛い中で願うといい。

その願いの方向へ向かう可能性が0%のことは、生きている限り、ない。

 

(ワンマンライブまであと5日)