徒然なるままに日暮

日記や買い物、旅行、ゴルフ、テニス、競馬予想、海外サッカーに関する話題を写真を交えつつ思いつくまま書いていきます。

あれから10年・・・

2005-01-17 02:02:11 | 日記・趣味
 もうあの阪神淡路大震災から10年ですか、早いような長いような。
 あまり心に深く傷を負っているわけではないですが、一応被災者ですので、ちょっと当時の記憶を掘り起こしてみることに。
ちょうどあの時、実家にいた私は見事に被災したわけですが、たまたま大学の試験前だったこともあり、2Fの自分の部屋で徹夜勉強中でした。
 ガタガタって小さい揺れが来て、「珍しく地震か」と思っていたら、ちょっと長いので、「関東で派手なのがあったか」とあくまで他人事と思っていたら、すさまじい地鳴りの音が「ここかよ!!」って思ったら「バリッバリッ」って家が軋みだして「ヤバッ」と思いつつもいすから動くことも出来なかったですね。ちなみに寝ていた場合、確実にオーディオに頭ぶつけてました。落ち着いたら家族全員の無事を確認して、とりあえずホッとしたものの何故か、その状況に陥ってもなお大学の試験を受けに行こうとしてましたが・・・。今考えるとどう考えてもおかしい・・・。その日は、小学校に避難して一夜を明かし、朝早くに動いている電車の駅まで歩いていきました。大学に期末試験受けに行くために、あの試験にかける義務感は何だったんだろう・・・。大学着いたら、周りの友達にもビックリされましたし、家からは、「水買ってこい」って頼まれたので、大学の生協で水を買って、通学1時間半かかるのに水ずっと抱えて帰ってきましたね。後日談として、もちろん特例による追試が認められたんですが・・・。まぁ、一応何とか、試験何とかなったからよかったけど。自分のことに一杯一杯で周りの手助けが出来なかったのが心残りです。基本的に自己中だと自己嫌悪に陥りましたね。
 私の周りの人間は、みんな無事だったのですが、まあ正直なところ高校から大阪に通っていたので、ちょっと地元と疎遠になっていましたから正確なところは、未だに不明です。とりあえず小学校の同窓会で確認した限りは、問題なさそうでしたが、小学校、中学校の校区には、かなりひどい被害を受けたところもあったので、母校の生徒は何人か亡くなってしまったそうです。
 築30年強の我が家は、リフォームのおかげで何とか建っていましたが、中はボロボロで壁がほとんどはがれ落ち、全壊になってしまいました。翌日は中学校で、あとは親戚の家を転々として、約一ヶ月ぐらいは過ごしてました。その後、家を借りて一年ほど高槻に住んでました。家族会議では、家の建て直しについて議論して、格安住宅を選択せず、建築家に設計を頼んでの注文住宅にしました。私は、はやく戻りたかったので格安でもいいかと思ったのですが、最終的には両親の判断が正しかったと思います。今では、かつて住んでいたときの記憶が薄れてきてますね。
 橋げたが落ちたり、完全に壊れた家を目の当たりにしましたが、あの光景は、一生忘れることがないでしょうね。自然の脅威には、無力だと感じた瞬間ですね。
 自分の中でボランティアとか社会貢献とかしていないと痛感してます。募金はやってますが、ちょっとでも何かの手助けになることを実行しないとホントはダメなんだよね。

コメント (3)
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