ユダヤ教徒になった石角莞爾さんの著作
「日本人の知らないユダヤ人」をたたき台に
ユダヤ人について紹介しています。
先回は土葬でしたが、今日は割礼(注・01)です。
ユダヤ教徒になるためには避けて通れない「割礼」を体験された記録です。
日本人としてはめずらしい体験ですが、
この項目を読んで私はユダヤ教徒にはなりたくないとつくづく思いました。
割礼問題をめぐって、
2000年前、パウロがユダヤ人の割礼問題を執拗に取り上げ、
拒否して、キリスト教を世界宗教へと導いた理由が分かりました。
また、石角さんが書かれたユダヤ教の一連の書物は、
日本ではめずらしく数冊は読みましたが、
いつもなぜ石角さんのように国際的に活躍する弁護士が、
なぜキリスト教徒にならなかったです。
おそらくパウロが語った、
心に割礼を受けるということが容認できなかったからだと思います。
それは体の中に肉の割礼ではなく、十字架を刻印することだからです。
さて、石角さんはラビからなぜ割礼を受けるのかの理由として、
1・性欲のコントロール
2・女性の子宮を守るため
3・体に刻み込まれた割礼の痕跡でユダヤ人(教)となった身の証となる
確かに1と2は合理的な面もありますが、
3についてはユダヤ人民族の誇り、選民意識となっていきます。
私は石角さんの書かれた体験集といえる
「日本人の知らないユダヤ人」を通して
かえってパウロが語った福音の深さ、広さ、
その圧倒的な恵みを知ったので、この本は、ある意味では感謝なことです。
割礼(注・01)
古来ユダヤ教では男性器の包皮は不浄なものとされてきた。割礼の実践という清めにより、唯一神との契約関係に入ることができるとされた。唯一神との契約関係に入ることは、正規のイスラエル共同体の成員となることを意味する。イスラム教にも類似の考えが見られる。割礼の時、下半身は裸の状態(全裸の場合もある)になり,ペニスの付け根あたりに麻酔をする。(この時、刺激によって勃起する場合もあるが、子供の場合大人と違って包皮が余るため問題はない。)そして,血流を止めたあと一気に切除する。専門機関にて施術されることが多いが、地域によっては、屋外の人の目がある場所で行われる。『創世記』17:9-14には、アブラハムと神の永遠の契約として、男子が生まれてから8日目に割礼を行うべきことが説かれている(ヘブライ語のBritは契約を意味するが、割礼の意味でもある)。割礼を受けた者だけが、過越の儀式に加わることを許された(出エジプト記12章43~49節)。ユダヤ教では、この伝統を引き継ぐ。また創世記34章には、ヒビ人ハモルの息子シケムに娘ディナを陵辱されたヤコブの子らが、ディナに求婚してきたシケムに対して計略をしかけ、割礼を受けた者でなければ娘を嫁にやれないと答え、それに応じてシケムの町の人々が揃って割礼を受けた3日後に痛みに苦しんでいるところをヤコブの子シメオンとレビが襲って町中の男性を皆殺しにした記事がある。このことから、少なくともこれが書かれた当時は割礼後最低3日は日常生活に支障が出るほどの強い痛みが伴うのが当たり前だったということがうかがわれる。(ウィキから)