詩編
85:2 主よ、あなたは御自分の地をお望みになり/
ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。
85:3 御自分の民の罪を赦し/彼らの咎をすべて覆ってくださいました。
85:4 怒りをことごとく取り去り/激しい憤りを静められました。
85:5 わたしたちの救いの神よ/わたしたちのもとにお帰りください。
わたしたちのための苦悩を静めてください。
85:6 あなたはとこしえにわたしたちを怒り/その怒りを代々に及ぼされるのですか。
85:7 再びわたしたちに命を得させ/あなたの民があなたによって/
喜び祝うようにしてくださらないのですか。
85:8 主よ、慈しみをわたしたちに示し/わたしたちをお救いください。
イスラエルに今こそ国民的な大リバイバルを必要としているし、
その徴をこの詩編の記者は期待しています。
そのためには神の民にその備えができているかです。
神の民はなぜ、リバイバルが必要なでしょうか。
第一、神の怒りを抑制するために必要なのです。
上記詩編には
「85:5 わたしたちの救いの神よ/わたしたちのもとにお帰りください。
わたしたちのための苦悩を静めてください。」
とあります。詩編の記者は、神はリバイバルを祈り求めず、
のんきに暮らしている神の民に対して、怒っておられるといいます。
「85:6 あなたはとこしえにわたしたちを怒り/その怒りを代々に及ぼされるのですか。」
私たちは罪の性質として聖霊に満たされておらず、
その働きも休眠状態であるならば、邪悪が自分を支配し、
不義を重ねていきます。
預言者エレミヤは語りました。
エレミヤ記
17:9 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。
17:10 心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。
それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。
私たちは罪に支配され、悪の生活を継続するために、
神の求めておられる要求すら言い逃れする口実を考え、逃げています。
他の詩編では
66:18 わたしが心に悪事を見ているなら/主は聞いてくださらないでしょう。
何度祈っても聞かれず、何も実を結ばせることもなく、
生活が無味乾燥で不毛が続くばかりか、
いつも神の前に言い逃れして、
神の望まれる価値を自らが引き下げてしまっているのです。
上記の詩編85:3にあるように
「御自分の民の罪を赦し/彼らの咎をすべて覆ってくださいました。」
とあり、私たちをもう一度、リバイバルの道へと導かれるのです。