私がペンテコステ信仰に目覚めた1993年に大規模なクルセードが甲子園で開催されました。
いわゆる「全日本リバイバル甲子園ミッション」です。
このクルセードは日本の教会に一致をもたらしたのではなく、分裂をもたらしました。
この大会で責任者の有賀喜一氏は、
クルセードで大きな実機を持つ本田弘慈氏と大喧嘩をして、
関西聖書神学校校長を辞して、リバイバル聖書神学校へ移り、
その後、リバイバルミッションは全国各地で何度も開催されましたが、
中核を担った新城教会も関西聖書神学校の母体、
日本イエス・キリスト教団から脱出し、分裂です。
私の断食施設に幾人かの新城教会の方が断食に来られましたが、
次第に霊的な戦いにシフトしていき、他の教団教派から異端扱いをうけていますが、
この教会関係者はそうは思っていません。
そしてペンテコステ・カリスマ派では甲子園ミッション以後、
海外からカリスマ派の癒しの賜物をもった人たちが次から次へと招かれて、
毎年数回ほどの大聖会を開催していきました。
最大の規模はアメリカのべニ・ヒンでした。
彼の著作「聖霊様おはようございます」が爆発的に売れて、
大会は数年にわたりますが、次第にすり替えられていくのです。
しまいにはキャデラックで迎えに行く牧師の姿を見てかなりショックでした。
そしてアルゼンチンからはアナコンディア、また、南アフリカ共和国からなども来られ、
数えきれない多くの癒しの賜物をもつ方による大聖会が開催されました。
私も何度もこうした大聖会に参加しましたが、かなり違和感を感じることがありました。
その理由は
1・ベニー・ヒンの集会など大物?が来られると関係各位の牧師が
講壇の上にひな壇のように並ぶ異様な光景(まるで選挙演説会?)でした。
2・癒しの聖会の講師はすべて外国人で国内にもその賜物を持つ人がいたのに絶対、呼ばなかったのです。
それは人間の上下関係、力関係とみられるために避けたのです。これは典型的な日本教です。
3・癒しの祈りをしている講師に祈ってもらった後のアフターフォローが全くなく、放置されたままでした。
脳性小児まひ(cp)を抱えたご両親がベニーヒンに講壇で祈ってもらい、
帰りにとぼとぼと車椅子で帰る姿は脳裏に焼き付いて離れません。
つまり大会運営者はこのような方を見捨てたのです。
イエス・キリストの癒しとは雲泥の差で失望しました。
4・ベニーヒンがそうでしたが、祈ると倒れる現象がここから始まり、ついに最悪のことですが、
義理倒れまで出て来る有様で、あの時の現象はいったい何かです。
あの霊はどこからのものか分かりません。
5・その後、トロントビンヤードの聖会に至っては最悪で、
この聖会から帰る方々の多くが駅までニワトリのような
コケコッコーといいながら歩いていた異様な光景です。
その一人が私の断食祈祷院に来られました。
仙台の方でしたがそこからずっと自分は見張られている。
誰かが私を妬んで殺そうとしているというのです。
この方は一緒に聖地旅行に行った青年で、その時は普通の好青年でしたが、
一体、トロントビンヤードで何を受けたのでしょうか。
かくして日本の牧師や癒しの賜物をもった人には目もくれず、
世界中から高額な講師料を支払って、
相当、大規模な聖会を開催し、遂に主催者は分かったようです。
これでは、日本側の主催者は、
「疲れた」、つまり骨折り損のくたびれ儲けで、
(誰がですが、ある特定の教会の印刷会社と出版社)
日本にはリバイバルが起こるどころか、ただ分裂のみが残ったのです。
これまた日本教の支配下にある様相が噴出したものにすぎません。
このような日本教から脱出しない限り、日本のキリスト教は没落です。
「すみやかにモーセのような指導者を主よ、送ってください」と祈るのみです。
いわゆる「全日本リバイバル甲子園ミッション」です。
このクルセードは日本の教会に一致をもたらしたのではなく、分裂をもたらしました。
この大会で責任者の有賀喜一氏は、
クルセードで大きな実機を持つ本田弘慈氏と大喧嘩をして、
関西聖書神学校校長を辞して、リバイバル聖書神学校へ移り、
その後、リバイバルミッションは全国各地で何度も開催されましたが、
中核を担った新城教会も関西聖書神学校の母体、
日本イエス・キリスト教団から脱出し、分裂です。
私の断食施設に幾人かの新城教会の方が断食に来られましたが、
次第に霊的な戦いにシフトしていき、他の教団教派から異端扱いをうけていますが、
この教会関係者はそうは思っていません。
そしてペンテコステ・カリスマ派では甲子園ミッション以後、
海外からカリスマ派の癒しの賜物をもった人たちが次から次へと招かれて、
毎年数回ほどの大聖会を開催していきました。
最大の規模はアメリカのべニ・ヒンでした。
彼の著作「聖霊様おはようございます」が爆発的に売れて、
大会は数年にわたりますが、次第にすり替えられていくのです。
しまいにはキャデラックで迎えに行く牧師の姿を見てかなりショックでした。
そしてアルゼンチンからはアナコンディア、また、南アフリカ共和国からなども来られ、
数えきれない多くの癒しの賜物をもつ方による大聖会が開催されました。
私も何度もこうした大聖会に参加しましたが、かなり違和感を感じることがありました。
その理由は
1・ベニー・ヒンの集会など大物?が来られると関係各位の牧師が
講壇の上にひな壇のように並ぶ異様な光景(まるで選挙演説会?)でした。
2・癒しの聖会の講師はすべて外国人で国内にもその賜物を持つ人がいたのに絶対、呼ばなかったのです。
それは人間の上下関係、力関係とみられるために避けたのです。これは典型的な日本教です。
3・癒しの祈りをしている講師に祈ってもらった後のアフターフォローが全くなく、放置されたままでした。
脳性小児まひ(cp)を抱えたご両親がベニーヒンに講壇で祈ってもらい、
帰りにとぼとぼと車椅子で帰る姿は脳裏に焼き付いて離れません。
つまり大会運営者はこのような方を見捨てたのです。
イエス・キリストの癒しとは雲泥の差で失望しました。
4・ベニーヒンがそうでしたが、祈ると倒れる現象がここから始まり、ついに最悪のことですが、
義理倒れまで出て来る有様で、あの時の現象はいったい何かです。
あの霊はどこからのものか分かりません。
5・その後、トロントビンヤードの聖会に至っては最悪で、
この聖会から帰る方々の多くが駅までニワトリのような
コケコッコーといいながら歩いていた異様な光景です。
その一人が私の断食祈祷院に来られました。
仙台の方でしたがそこからずっと自分は見張られている。
誰かが私を妬んで殺そうとしているというのです。
この方は一緒に聖地旅行に行った青年で、その時は普通の好青年でしたが、
一体、トロントビンヤードで何を受けたのでしょうか。
かくして日本の牧師や癒しの賜物をもった人には目もくれず、
世界中から高額な講師料を支払って、
相当、大規模な聖会を開催し、遂に主催者は分かったようです。
これでは、日本側の主催者は、
「疲れた」、つまり骨折り損のくたびれ儲けで、
(誰がですが、ある特定の教会の印刷会社と出版社)
日本にはリバイバルが起こるどころか、ただ分裂のみが残ったのです。
これまた日本教の支配下にある様相が噴出したものにすぎません。
このような日本教から脱出しない限り、日本のキリスト教は没落です。
「すみやかにモーセのような指導者を主よ、送ってください」と祈るのみです。