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安田藤嗣の証・十字架の言に生きる 20 安田家に翻弄されて 01 校内弁論大会優勝から紆余曲折の歩み

2020-04-20 04:00:00 | ゴスペル・エッセイ
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
(一コリ 1:18)



救われた喜びに満たされ、3年生後半が最も充実した高校生活でした。

その総括は、韓国・堤岩里教会謝罪を扱った「民族の責任とつぐないの徴」と題した

校内弁論大会で優勝しましたが、このことで先の述べた2つの進むべき道を断念し、

韓国のプルム学園で養鶏業(高校3年の時に養鶏部の部長であり、

近藤全国愛農会会長からの推薦があったため)を教えてみないかという誘いと

更に韓国で発足する愛農会の韓国版である「精農会」の仕事を手伝う道も用意されていました。

それは韓国・精農会への橋渡しをしていた

福島の村上さんという方の農家で実習し、備えることになったのです。

それは私が単独で判断でしたことです。

そのため私自身がスイスやアメリカの留学を

諦めたとい私の父は、自分の養鶏業を継いでくれるものだと勝手に判断してしまい、

私が福島の農家実習期間中に愛農養鶏の規模拡大を

何と国と県の補助金(総経費の半額)を受けしまったのです。

あと半分の資金は、農協からの借り入れ、

増設した養鶏業をスタートさせてしまっていたのです。

しかも敷地は同じ分家の安田建具店が使用していない水田を借りていました。

このようなことを福島にいるときに知って驚きました。

すでに補助金を受けてしまい、戻ることができないということで、

私は韓国へ行くことも断り、愛農高校を卒業し、やむを得ず、

規模拡大してしまった我が家の養鶏業を手伝う羽目になったのです。

そして家に戻って1年もしないうちにトリインフルエンザで

増設した数千羽のうち半数が、一晩のうちに死んでしまうという事件が発生しました。

もちろん近くの我が家だけではなく、養鶏農家も被害を受けていましたが、

この被害のゆえに私はキリスト教独立学園高校に入学した妹の学費を払うことができず、

やむを得ず、北勢町役場に勤務して、養鶏業も手伝うという兼業を開始したのです。

当時の下里町長は愛農高校時代から手紙のやりとりをしていましたので、

若手が少ない役場のエースとして私に期待をしておられたようです。

そして在職中に知り合った障害者を支える市民運動のグループを支援することになり、

そこで様々な重度から軽度までの障害者たちとの交わりが始まりました。

またこれも在職中に全国的に始まった子供会運動を手伝うことになり、

その事務局も引き受けることになりました。

そして子供会は北勢町全域に広がっていきましたが、

私は重度障害者の支援に重点を置き、いつか専門施設を建設したいと思うようになっていきました。
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