ルカによる福音書
◆レビを弟子にする
5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が
収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。
そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、
イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、
徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、
健康な人ではなく病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
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パリサイ人や律法学者たちと同じ視線で自分だったら
どのような態度、思いなのかを想像してみましょう。
彼らは最も軽蔑する
・徴税人
・罪人
たちです。
今日でいえば自分の価値基準に絶対に合わない人たちです。
当然
・えっ、あの人たちとは合わない
・あんな人など一緒になるのは嫌だ
と自分の許容に合わない人をはねてしまう自分の姿をみませんか。
例えば、幼い頃から親に「貧しくても良いから、正直に暮らすのよ、
それが人間のまっとうな道ですよ」と厳しく言われてきたとします。
すると物凄くずる賢くて裕福でぜいたくな暮らしをしている人をみると
「許せない」と反発しませんか。
また、世の中の規則をきちんと守っていきる人、
たとえば制限速度を守って運転に心がけている人は、
自由に生きる人とか速度を守らないクルマをみると何と
・頭にくるわね
・なんと自由でだらしないの
・いいかげんに守って運転して
と腹を立てるとか不愉快になるでしょう。
つまり自分の尺度に合わない人とは嫌悪し、
避けて、遠ざけようとするのです。
その時、イエスの言葉に耳を傾けましょう。
マタイによる福音書
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とは
どういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
そうです。イエスはまず共感とあわれみをもって
相手に接する生き方をしましょうと語っておられるのです。
もちろん差別の対象となっている方への対応だけではなく、
このような態度をとってしまうわたしたちをも
イエスはゆるして
イエスの愛があふれた食卓に私たちを招いてださいます。