詩編
85:7 再びわたしたちに命を得させ/あなたの民があなたによって/
喜び祝うようにしてくださらないのですか。
85:8 主よ、慈しみをわたしたちに示し/わたしたちをお救いください。
85:9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/
彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
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リバイバルとは
「神のご臨在によって、浸透された個人、あるいは団体(教会共同体)で
ある」と言ったリバイバリストがおられます。
ただしそこで問題となるのは、
1・イエスの人格
2・イエスの栄光
3・イエスのみ名
ただそれだけだということに人は堪え得るか否かなのです。
なぜならリバイバルは、
自分の力、興奮、熱狂で作り上げるものではないからです。
あくまで天からの突入であり、
神がそこにおられることを強く意識すること以外の
なにものでもないということを承認できるかどうかにかかっています。
「85:7 再びわたしたちに命を得させ」とは
私たちをリバイブして下さるという意味ですが、
それに耐え得ないのです。
ついつい神の主権をないがしろにして神の前に進んでしまうのです。
その失敗のゆえにリバイバルを遠のけてしまいます。
私は今思うと本当に恥ずかしいことなのですが、1994年に
「リバイバル」誌という隔月誌を創刊しました。
そして1995年にリバイバル実現のための断食祈祷院を建設し、
1997年にビル・ブライト師が書かれた「カミング・リバイバル」を発行し、
その勢いで40日断食祈祷聖会を開催しましたが、
すべて神の主権をないがしろにしての行動でしたから、
破綻はすぐさま訪れました。
そして断食祈祷院は数年にして崩壊(注・01)してしまったのです。
下記のみ言葉の祝福を自ら、遠のけてしまったのです。
民数記
6:24 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
6:25 主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。
6:26 主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。
6:27 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、
わたしは彼らを祝福するであろう。
次に新たな出発をするときには、
二度とその失敗を繰り返すことなく(注・02)、民数記のような
三重の祝福に預かることができるように祈り備えていきます。
断食祈祷院は数年にして崩壊(注・01)
1995~2000年まで断食祈祷院「泉の森」は、スタッフ10名。賛美礼拝は私の知る限り、日本では、トップクラスでした。また、多くの癒し、救霊が起こりました。しかし、救われた信徒たちとスタッフの造反で「泉の森被害者の会」まで登場し、分裂し、崩壊しました。残されたのは私と当時の妻(智子)だけとなり、数年、再起の時を待たざるを得ませんでした。そして2005年から「カナ共同体・祈りの家マナ」と「愛知断食センター・AFC)」を再びオープンしました。私は2015年にそこを去りましたが、それまでの20年間にこの祈祷院で(洗礼を受け)救われた方は、約100名でした。
二度とその失敗を繰り返すことなく(注・02)
上記の注に書きましたように断食祈祷院を開始した年、2つの大きな出来事が日本に起こりました。阪神淡路大震災とオウムサリン事件です。それは日本のゆくえを暗示するもので、それを打ち破るためにリバイバルが必要だと開始したのですが、上記のような情けない状態になりました。そしてそれから30年、昨年、福井市に移住して新たな出発のために備えていましたが、またもや2024年の元旦に能登大地震、2日には羽田空港JALと海保の輸送機の衝突事故が起こりました。私は1日から聖書通読でエレミヤ記を読み始め、まさに2024年はエレミヤが書いたことが現実のものとなると思いました。地震、航空機事故など何か大きな出来事は、時の徴なのです。このような時代をよく判断して、新たな一歩を踏み出していこうと祈っています。