愛煙家の多事総論

このブログは愛煙家こと私が、世の中の色々なニュースに対して、自分勝手な評論をする駄ブログでございます。

その衝撃はどれほどのものか

2008-02-11 22:38:32 | 国際情勢
韓国はソウルにある通称南大門。ソウルといえば南大門、というほどソウルのシンボル化しているものであり、世界的に見ても600年近く経っている木造門ということで文化的価値も高い。勿論、国宝だ。それも第一号。そんな韓国の南大門が、昨日焼失した。ものの見事に崩壊した。韓国人がどれだけショックを受けたかは、想像すら出来ない。

廃墟と化した南大門

ソウルの象徴南大門、火災で全焼

“国宝1号”崇礼門5時間で全焼・崩壊

南大門火災:「国宝第1号」崩壊、放火の可能性も(上)

南大門火災:「国宝第1号」崩壊、放火の可能性も(下)

南大門火災:国宝全焼、呆然とする市民たち

南大門火災:監視カメラに不審者の姿なし

<南大門火災>文化財庁、火災発生2時間後に図面を持って現場へ

規定に縛られ初期鎮火できず

「屋根を壊して放水しなければならなかったのに…」--。

国民の目の前で国宝第1号の崇礼門が全焼し無残な姿となった。

崇礼門の火災は時間がたてばたつほど火の手が強くなった。消防当局が消火を始めてから4時間後、崇礼門の屋根は炎に耐えることができず、あっけなく崩れ落ちた。火災が起きた初期の段階で消火に失敗したと指摘されている。消防当局と文化財庁が規定に縛られて火を消せなかったという非難が起きているのだ。


◇時間の経過とともに火が強まる=10日午後8時40分ごろに発生した火災は一時、鎮火したように見えた。2階の楼閣から煙が上ってはいたが、火は見えなかった。

消防署がはしご車と消防ホースを使い、持続的に水をまいたため木造の崇礼門の楼閣の1階と2階部分が水浸しになった。

火が鎮火したように見えた午後10時ごろ。崇礼門の1階の楼閣は2階へと通じる階段づたいに水が滝のように流れ出ていた。木の床の全体が足首の高さまで水で浸っていた。消防関係者は「木造文化財の場合、被害を最小限にとどめるために消化液の代わりに水で消火をする」と説明した。

しかし午後11時過ぎから炎がまた上がり始めた。これにより消防署員がはしご車で上り、譲寧大君(ヤンニョンデグン、朝鮮時代の王子で世宗大王の兄に当たる)が書き残した‘崇礼門’の扁額も取り外した。消防署員らは11時53分からはしご車を使い、屋根の瓦をはずし始めた。瓦を取り外した後、上から水をまき屋根の内部でくすぶっている炎を消火するためだった。

しかし消化活動は容易ではなく、炎はだんだん激しくなった。崇礼門の楼閣の内部の構造が木造の構造物が複雑に重なっていて水をまいても届かない部分が多かったからだ。消防関係者は「屋根の内部のあちこちに小さな火が残っており、数時間が経っても炎が完全に消えずに火が残っていた」と語った。

深夜12時を過ぎると崇礼門の楼閣全体が火炎に包まれた。楼閣と屋根のあちこちに火の手が回り、炎が猛威をふるった。屋根から煙が上っていた。11日、0時40分ごろには2階の楼閣の屋根が火の手に耐え切れず崩れ落ちた。

◇初期の対応が失敗=消防当局の懸命な消火活動にも関わらず、崇礼門が全焼すると火災の初期の段階の安易な判断により火災を悪化させたとの非難が集まっている。まず火災が発生した直後の対応が遅かったという指摘だ。

消防当局は火事が起きてから3時間あまりが経った11時50分になってようやく屋根の解体作業に入った。消防防災庁関係者は「国宝級文化財の場合、文化財庁との協議の下で消火作業に当たることになっている」とし「文化財庁と協議をした後、瓦をはずした」と話した。

ほかの消防関係者は「木造建築物は屋根を取り壊して水をまかなければ火災を効果的に鎮火できないのだが、タイミングを逃した」と話した。

これに対して9時30分ごろ現場に到着した文化財庁の関係者は「文化財という理由をもとに屋根を壊すなといった覚えはない」と反発した。だが大田(テジョン)にある文化財庁本部の関係者が崇礼門の図面を手に現場へ到着したのは火事が起きてから2時間あまり経った午後11時以後であることが分かっている。屋根を解体するかどうかを決定するための消防協議を消防庁と終えたのはこれよりもさらに50分あまりが過ぎてからのことだ。

キム・サング文化財庁建築課長は「梁と屋根全体を取り除けばなんとか原形を保存できる」としながら一足遅れで屋根の解体を決定した背景を説明した。

消防当局と文化財庁の規定協議で炎を消し止めることができなかったのだ。



国宝第1号の崇礼門が放火とみられる火事で全焼

【ソウル11日聯合】旧正月連休最終日となる10日夜、国宝第1号に指定されている崇礼門(南大門)が、放火によるものとみられる火災で全焼・崩壊した。消防当局は5時間以上にわたる消火作業にもかかわらず崩壊を防ぐことができず、また放火の容疑者に対する警察の捜査も難航している。
 ソウル市中区南大門路4街に位置する崇礼門から火災が発生したのは10日午後8時50分ごろ。火災現場を目撃したタクシー運転手は、「近所で客を待っていたところ、50代とみられる男がショッピングバッグを手に横の階段から崇礼門に上っていった。真っ赤な炎が広がったため通報した」と話した。

 消防当局は通報を受け、ポンプ車やはしご車など消防車32台と消防隊員128人を現場に向かわせ消火作業に着手した。楼閣2階の屋根から発生した火により木材が焼け、周辺が白い煙ですっかり覆われたが、消防隊員らは「国宝第1号」という文化財の棄損を懸念し、他のビルのように積極的な消火作業を行えなかった。

 崇礼門の崩壊は、名実ともに韓国を代表する文化財である「国宝第1号」を失ったという点で、財産被害額だけでは計れない有形・無形の膨大な被害を残した。

 延べ面積177平方メートル・2階建て建築物の崇礼門は、都の城門として1398年に建てられた後、壬辰倭乱(文禄の役)や丙子胡乱など数回の戦乱にもかかわらず600年以上にわたり威厳を誇ってきた。都城8門のうち最も重要な正門で、ソウルに残っている最古の木造建築という点でも価値が高い。

 また、「崇礼門」と欠かれた看板も消火作業により角が一部棄損したものと伝えられた。この看板は冠岳山の火気を抑えるために譲寧大君が書いたと伝えられており、世宗の三男で朝鮮の名筆だった安平大君の作品との説もある。





なんとも痛ましい事件だ。
韓国国民には同情申し上げる。

日本で言うなら・・・そう、姫路城や法隆寺が一晩で全焼するようなもんだからな。もしそんなことになったら、多分俺だって泣く。
文化という、古来から受け継がれそして未来へと手渡していく有形無形の財。それが消失するということは、過去を亡くし、未来を消失させるようなもんだもんな・・・。
自分も何度か南大門を見たことがあるが、素晴らしい文化財だった。

そんな文化財が焼失・・・。

言っちゃあ何だが、文化財が少ない韓国にとっては、重要観光資源の焼失というのは非常な痛手だろう。また、復元も難しいとの話。

ただ、ぶっちゃけ初期消火に失敗したのはどう考えても人災。

だって



         ↓





初期初動の失敗とかそういたレベルじゃないほどの失敗振り。
水の代わりに油を掛けたんじゃないかと思えるほどだ。


何にしても、韓国国民全員がショックを受けたことには変わりはないだろうが。
同情するなぁ・・・。





と、思う反面、

「え~加減にせーよ、朝鮮人ども」

と思うところもある。
というのは、何でも放火犯?と思われる人間が火事が起こる前に南大門に入るところを2~3人見かけたそうだが、そいつは「日の丸マークのバッグ」を持っていたとかいう証言がちらほら。

日本人を犯人に仕立て上げたいのかどうか分からんが、そんなマークの入ったバグを持った日本人なんてまずいねーよ。

まあ、もし日本人が犯人だったら、問答無用で韓国に突き出して

「煮るなり焼くなりどうなとしてくださいな」

と言い、かつ再建費用も負担しなけりゃならないだろうが。


つか、韓国から逃げ出してきた韓国人の友人の

「この時期のソウルは寒いからなぁ。寝袋みたいなものを持っていたっていうから、案外ホームレスが寒さをよけて南大門に入って、暖を取るのに失敗して火が付いたんじゃないか」

との説のほうが信憑性がある。



んで、「犯人は日本人説」のほかにもう一つ「えー加減にせーよ」と思ったのがこれ。

■国宝1号の崇礼門、放火で焼失

今回の崇礼門焼失をめぐっては、▲管理システム不備、▲初動対処の不十分、▲文化財
庁と消防防災庁との間の緊密な協議の不足、など多様な原因が指摘されている。しかし
火災など緊急事態のためのマニュアルの不在が根本原因だと指摘されている。

文化遺産研究所の黄ピョンウ所長はKBSの取材に対し「崇礼門は1年、予算100億ウォンで
復元可能だが、崩れた国民の自尊心と傷ついた胸はどうにもならない」という言葉を残した。

また、今回の崇礼門全焼で全国民が衝撃に陥る中、2月11日が日本の建国記念日である



何でもかんでも日本に結びつけんじゃねーよ!。気持ち悪いからこっち見んな!

つーか、萌え始めたのは2月10じゃねーか!!!
マジでいい加減にしろ。



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