私は「がんばれ」という言葉がきらいです。
当事者意識のない、安全なところから見下ろすような物言いだと感じるからです。
「がんばれ」という言葉に初めて不快感を感じたのは、浪人中でした。すべり止めのはずの大学にことごとく落ち、もう後がないときに言われてムッとしたのです。”ベストを尽くしてこの結果。誰がいちばんショックを受けているか分からないのか”と。
母親から「お前のがんばりが足りないからだ」と言われたときは、本当にむかつきました。
それを、阪神大震災のときにもう一度感じたのです。
被災者が自分で「がんばろう」と言うのや、ブルーウェーブがスローガンを「がんばろう神戸」とするのは構いません。彼らは当事者ですから。
けれど、暖かい自分の部屋で、衣食足りている私たちが「がんばって下さい」と言うのは、違うだろうと思ったのです。
スポーツ観戦していても、ひいきのチームや選手に「がんばれ」というのはとてもいやでした。がんばっていないプロはいないからです。
何か他に良い言葉はないものか、けっこう悩みました。
昨日「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、卓球の福原愛ちゃんが「がんばれって言われるの、すごくいやですね。がんばっているのに」と言い、それに松岡修造氏が共感しているのを見て、「ああ、やっぱりそうなんだ」と思いました。
ふたりとも、「そのままでいい」と言われるのがいちばん良いって言っていましたね。
でも、コントロールが定まらず苦しんでいるひいきチームの投手に、「そのままでいいよ」とは言いづらいですよね?本当にそのままだったら、だいたい打たれるか四死球のどちらかですし、第一本人が「そのままでいい」と思っているわけがないでしょう?
私は「がんばれ」という言葉を、できるだけ使いたくありません。
応援する、励ますということは、本当に難しいことです。
当事者意識のない、安全なところから見下ろすような物言いだと感じるからです。
「がんばれ」という言葉に初めて不快感を感じたのは、浪人中でした。すべり止めのはずの大学にことごとく落ち、もう後がないときに言われてムッとしたのです。”ベストを尽くしてこの結果。誰がいちばんショックを受けているか分からないのか”と。
母親から「お前のがんばりが足りないからだ」と言われたときは、本当にむかつきました。
それを、阪神大震災のときにもう一度感じたのです。
被災者が自分で「がんばろう」と言うのや、ブルーウェーブがスローガンを「がんばろう神戸」とするのは構いません。彼らは当事者ですから。
けれど、暖かい自分の部屋で、衣食足りている私たちが「がんばって下さい」と言うのは、違うだろうと思ったのです。
スポーツ観戦していても、ひいきのチームや選手に「がんばれ」というのはとてもいやでした。がんばっていないプロはいないからです。
何か他に良い言葉はないものか、けっこう悩みました。
昨日「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、卓球の福原愛ちゃんが「がんばれって言われるの、すごくいやですね。がんばっているのに」と言い、それに松岡修造氏が共感しているのを見て、「ああ、やっぱりそうなんだ」と思いました。
ふたりとも、「そのままでいい」と言われるのがいちばん良いって言っていましたね。
でも、コントロールが定まらず苦しんでいるひいきチームの投手に、「そのままでいいよ」とは言いづらいですよね?本当にそのままだったら、だいたい打たれるか四死球のどちらかですし、第一本人が「そのままでいい」と思っているわけがないでしょう?
私は「がんばれ」という言葉を、できるだけ使いたくありません。
応援する、励ますということは、本当に難しいことです。