Be Organic

女性の美と幸福の源は オーガニックです

石けんスキンケアで「化けの皮」がはがれた

2005年03月31日 | コスメ
石けんシャンプーの経験から、私の目はいつも使っているコスメに向きました。
それまで、マスカラで目がかゆくなったことがあるくらいで、特段化粧品でトラブルになったことはありません。
それでも気になったのは、スキンケアにもメイクにも、シャンプーやリンスと同じような成分が入っていたからです。

そこで、シャンプーと同じ太陽油脂から出ている洗顔石けん、化粧水、クリーム、オイルで手入れをし、メイクはしばらくしないことにしました。
化粧水は浸透が悪いような気がするし、クリームは固くて伸びないし、”使いにくいなー”というのが正直なところでした。
すると3日目くらいから、すごいことになったのです。
顔全体が粉を吹いたようになり、肌はザラザラ。弾力もなくなりました。
まさに、「化けの皮がはがれた」のです。

外出するときは、オイルをぬって急場をしのぎました。けれどもつのは1、2時間。
友人たちは私の顔を見て、「一体どうしたの?!」と心配します。
”いつまでこんななんだろう”と心細くなりましたが、この頃は失業中だったため、もうとことんまでやってやろうという気持ちでした。

そうするとやはり、1ヶ月過ぎるくらいから変わってくるんですね。
肌のざらつきがなくなって、化粧水もクリームも伸びるようになってきました。
やがて粉吹きもおさまり、3ヶ月で少しづつ弾力が出てきたんです。
それは「肌が目覚める」というより、「むっくり起き上がる」感じ。
ノックダウンされたボクサーがなんとか立ち上がり、ファイティングポーズをとる。そんな感覚でした。

半年もすると、洗いっぱなしで2、3日手入れをサボっても全く問題のない肌になりました。
肌が自らの力でうるおうようになったからです。

市場に出回っているシャンプーやリンス、コスメには重大な問題がある-。
私は自分の髪で、肌でそれを確信しました。

「オーガニック」との出会い

2005年03月30日 | コスメ
私が「オーガニック」に関心を持ったきっかけは、シャンプーと化粧品です。
「オーガニック」や「環境」は、「食」から入り、それを追求する人がほとんどなので、私はこの世界では”異端”と言えます。

私はもともと、コスメライターになりたかったんです。
大学生、OLの頃はコスメフリークでした。
雑誌のコスメ特集は欠かさずチェック。新製品や新色が出ればまず試し、デパートのコスメフェアのサンプリングも必ず行きました。クリスマスなどに出るコフレもたくさん買いました。
海外旅行に行ったときは、現地で日本未発売のアイテムを買うことが何よりの楽しみでした。

96年の夏、いつものように本屋で雑誌の美容情報を漁っていたら、「ヘアケア狂騒曲」という見出しが目に付いたので、何の気なしにその雑誌を買って読んだのです。
その内容は、「あなたの使っているシャンプー、リンスは髪を傷め、体に害があり、環境を汚染する毒物。健やかな髪になるのは石けんシャンプーだけ」というものでした。

にわかには信じがたいことでしたが、”本当かどうか試してみよう”という気持ちになり、石けんシャンプーを探して、髪を洗ってみました。
とにかくギシギシ、ごわごわ、バリバリで、指も通りません。泡もすぐ消えてしまうし、洗いにくいったらありゃしない。ただ、そんな髪が食酢のリンスで一瞬にしてつるりとした感触になる。それはとても不思議でした。
同時にムースやヘアクリームも止め、洗髪後は椿油だけ使うようにしました。

洗いにくさは1週間ほどで慣れました。
1ヶ月過ぎた頃から、洗うときのギシギシ感やごわごわ感がなくなりました。
3ヶ月を過ぎると、以前は洗髪後2日で出たかゆみが3日経っても出なくなり、フケや髪の脂っぽさが消えていました。

その頃、旅行先で石けんシャンプーを持ち合わせていなかったため、1回だけホテルのアメニティにあった普通のシャンプーを使いました。
すると洗った翌日の夜には、もう頭がかゆくなり始めたのです。
”これはまずい”と思った私は、すぐ石けんシャンプーに戻しました。
それでも髪が完全に元のコンディションを取り戻すまで、なんと半年近くかかってしまったのです。

このことをきっかけに、私の中で大きな変化が始まりました。

見出しに引かれて”何の気なしに”買った雑誌は、じつは「週刊金曜日」でした。
あちこち探して、東急ハンズでやっと見つけた石けんシャンプーは、太陽油脂の「パックスナチュロン」。地元横浜の会社ということもあって、以来ずっと愛用しています。

イースターの思い出

2005年03月28日 | 季節
27日はイースター。元町商店街の洋菓子屋さんにはイースターにちなんだ小鳥と卵のディスプレーがありました。

キリスト教は中世の「魔女狩り」で、ヨーロッパに古代から伝わる習俗を徹底的に否定しましたが、一方でキリスト教以前の原始信仰の行事を取り込んでいます。
イースターもそのひとつ。「春分直後の最初の満月の後の日曜日」という設定の仕方は、非常に古代的な考え方だと思います。

子供の頃、米軍で働いていた伯母に誘われ、米軍の教会で行われたイースターの行事に参加したことがあります。
イースターに先立つ「聖金曜日」、つまりキリストが十字架の上で死んだ日は、夕方に礼拝があって、礼拝終了後は帰宅するまで無言でいるのが決まりなのだそうです。
イースター当日は、男性はスーツか軍の制服、女性もドレスアップし、子供たちもよそゆきの服で礼拝に参加。牧師さんもいつもより豪華な式服で壇に立ちます。
イースター礼拝は新調の服を着て行くか、なにかひとつ新品のものを身につけて行くと言います。
それを知らずに思いっきり普段着で行ってしまい、ちょっと肩身の狭い思いをしました。

礼拝終了後はランチパーティ。ポタージュスープやコンソメスープ、サラダ、ローストチキンにローストビーフ、豆のソース煮にグレナディンのゼリー、フロストのかかったケーキとクランベリージュース。
当時、日本の食卓もかなり西洋化が進んでいましたが、それでもアメリカの食べ物はぜいたくで、とても豪華に見えたものでした。
おいしいか、まずいかと言うより、未知のものを食べられるという”ワクワク感”の方が大きかったですね。

「オーガニック」は女性、フリーター、ニートがリードする

2005年03月24日 | オーガニックライフ
私は「オーガニック」の担い手として、まず女性、そしてフリーター、ニートと言われる層に期待しています。
それは、これらのすべてが現代の既成のシステムから外れた存在だからです。

女性は、幼い頃から周囲やメディアに「向上心」をかきたてられて育っています。資格取得、留学、起業からお稽古事、エステ、ダイエット、おしゃれに至るまで「自分みがき」に余念がなく、世の中はそれを「女性の元気」と受け取っています。

女性は今のままの社会では、キャリアアップには限界があることにもう気づいています。加えて、結婚して子供を持つことが必ずしも「幸福」とは思っていません。
勉強もおしゃれも「このままじゃいけない」という不安から、必死に逃げるために手を出しているのです。
そこへメディアやブランドなどが、次々と情報や商品を投入して女性たちからお金を取ってゆきます。その分、女性たちはさらに働き続けなければなりません。
現実には、女性は既成のシステムから落ちないようにすることで、心身ともに疲れきっているのです。

フリーターもニートも、ほとんどは「このままじゃいけない」と思っています。
そこで世の中は、やはり「向上心」や「自分らしさ」を前面に出して、彼ら、彼女らを働かせようとします。
でも仕事って、「向上心」や「自分らしさ」を満足させるためにあるわけじゃありません。
自分と仕事に過剰な期待を持ってしまう、だから結局上手くいかないんです。

私はまず女性であり、OLもニートもフリーターも経験しています。
その間ず-っと「自分はこのままじゃいけない」と悩み、もがき続けていました。
そんな私を解放してくれたのが、「オーガニック」だったのです。

地震お見舞い申し上げます

2005年03月22日 | 世の中のこと
「福岡で震度6弱」と聞いたときはびっくりしました。
歴史的にも大地震はほとんどないし、弱い地震もあまりないところという印象でしたから、なおさらです。

残念ながら1人が亡くなりましたが、都市規模のわりに被害が大きくなく、その点は幸いでした。しかし、玄界島は甚大な被害が出ています。
島を離れざるを得ず、冷たい体育館の床に寝なければならない人たちのことを考えると、なんとも言えない気持ちになります。

東京、横浜地区は「いつ地震がきてもおかしくない」と言われ続けています。
10年、20年遅れることは、地球の長い歴史からすればたいしたことではないのでしょう。
でも、ここのところ首都圏であまり地震がないような気がして、なんだか気味が悪いと感じます。
「避難袋を用意しておいた方がいいな」と思う一方、「死ぬときゃ死ぬんだ」という思い。そのくせ、「建物の下敷きになんかなったら、やっぱり必死に助けを求めるのかな」とも考えます。
私はまだ震度5までしか経験していません。そのせいか「大地震」というのを十分に理解することができていない、そんな気がします。
「来てからでは遅い」。それは確かなのですが・・・。

球春到来

2005年03月17日 | スポーツ
プロ野球は、今がオープン戦たけなわ。
今週日曜から、ベイスターズは本拠横浜スタジアムでの試合が始まっています。
16日は新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが横浜スタジアムに初お目見えしました。

私は春のデーゲームが大好きです。暖かな陽射しの中、おにぎりと水筒を持って、ピクニック気分で球場へ向かいます。

ニュースなどで報じられている通り、横浜スタジアムは今年から内野フェンスが低くなりました。
「ファウルボールが直接飛んでくるので、グローブ持参で観戦を」と言われています。
実際試合を見ていると、ファウルボールはスタンドの中段、上段に飛んでゆくことが多いですね。だから中段、上段の席に座る場合は、グローブを持参したほうが良いかも知れません。

今回は前から3列目で観戦したのですが、前の方の席ではファウルボールより、1回表の守備につくとき選手が投げてくれるサインボールや、選手が守備からベンチへ戻るときにサービスでくれるボールの方が怖いと思いました。

ベイスターズの佐伯は気のいい選手なので、試合前の守備練習のときにスタンドのお客さんとキャッチボールをしてくれます。これはフェンスが低いからこそできること。
彼とのキャッチボールを楽しみたいなら、グローブを持って前の席へ!

江戸のスローライフ

2005年03月15日 | オーガニックライフ
18世紀、江戸は世界一の大都会でした。
その人口は約110万人で、武士と町人が半分づつです。
非常に興味深いのは、町人のうち半分以上、およそ30万人がいわゆる”フリーター”だということです。

これは別に不景気で仕事がないわけではありません。
とにかく、江戸人は働くのが嫌いだったようです。
とりあえずその日が食べられれば良かったのです。食べる分だけ働いて、後は長屋でごろごろしていました。

ごちそうを食べたい、おしゃれをしたい、店や家を持ちたい。それならその分働けばいいことくらい彼らも解っています。
でも、働く時間を増やしてまでそうしたいとは思わないのです。
働かずに、変なふん装をして町を練り歩き、通行人が投げてくれる小銭を食費の足しにしている人も少なくなかったようです。

こんな生活が可能なのは、まず江戸が超ローコスト社会だったこと。
単身者なら1ヶ月のうち7日、家族持ちでも2週間働けば、十分食べていけました。
家賃を払い、毎日銭湯に行って、週1回床屋に行って、お酒も飲めたのです。
それに、江戸人には物欲や所有欲といったものもありませんでした。
家財道具なんて風呂敷包みひとつ程度。着物も3枚くらいしか持っていないのが普通だったようです。
また、”何かを成そう”とか”何者かであろう”という気持ちが全くありません。
現代人の多くが”自己実現”を求めているのとは大違いです。

私は、都会の理想的な姿が江戸にあると思っています。
現代の抱える問題へのヒントが、江戸人の生き方にあるのではないでしょうか?

貧乏人だからオーガニックライフ

2005年03月12日 | オーガニックライフ
女性誌のLOHAS特集について、以前マスコミ系の専門誌に「LOHASとは小金持ちの道楽」という評が載ったことがあります。

私もOLの友人から、「あなたはお金持ちだから」と揶揄されたことがあるのですが、私はじつは年収100万少々の貧乏人です。友人は少なく見積もっても確実に年収300万以上です。

でも、お金の使い方とか、考え方が違うのでしょうね。
農薬、化学肥料のおかげで安いけれど栄養価も低い野菜を買って、サプリメントなんかで栄養を補うより、多少値段が高くても、栄養価も高いオーガニック野菜を買った方がいいでしょう?
何千円もかけて得体の知れない化学成分だらけのブランド化粧品を買うより、同じ値段か、もっと安いオーガニックコスメの方が肌にも体にも良いことを、私は体感しています。
高いお金を払ってスポーツクラブのルームランナーで走るより、街を歩いた方が楽しいし安上がりです。
それに将来変な病気になって、莫大な治療費をかけるリスクを減らしたいですもん。

例えば、農薬や化学肥料は買わなければいけないので、お金がかかります。
オーガニック農法なら、肥料は自分で作るし、虫は手で取ったり、自然農薬を作ったり、生態系の中にいる天敵などが駆除します。お金はかかりません。
「オーガニック」は本来、お金がかからないシステムのはずです。
それが「高い」ものになってしまうのは、今の世の中の仕組みや価値観が「オーガニック」ではないからなのでしょうか?

スローライフ、LOHASとオーガニック

2005年03月05日 | オーガニックライフ
最近、「スローライフ」と「LOHAS」という言葉をよく耳にします。

とりわけ「スローライフ」は、すっかり定着しています。
これはイタリアで起こった、地方の食品を都会の人々に知ってもらう運動の中で、キャッチフレーズとして使われた「スローフード」から、日本で派生した言葉です。
何事もスピードと効率が優先される世の中にあって、”少しゆっくりして、自分やまわりを見回して考えてみようよ”というところでしょうか?

「LOHAS」はアメリカの社会学者ポール・レイ氏と心理学者シェリー・アンダーソン氏が提唱しました。
”Lifestyles Of Health And Sustainability”直訳すると、「健康で持続可能な生活様式」の頭文字をとったものです。
自宅で育てた野菜を食べたり、ヨガをしたり、健康管理にアロマテラピーや漢方を取り入れたり、休みの日には自然にふれたり、リサイクルに協力すること。そんなふうに捉えられているような印象があります。

とりわけ日本では、「オーガニック」は”食”に限定され、「スロ-ライフ」「LOHAS」の中の一部分に閉じ込められているように見えて仕方ありません。

「オーガニック」は、「スローライフ」「LOHAS」に含まれるものではありません。
むしろ、「オーガニック」の中に「スロ-ライフ」「LOHAS」が含まれる。
そう言ったほうが適切だと、私は考えています。

オーガニック後進国 日本

2005年03月03日 | オーガニックライフ
今や企業もマスコミも、当たり前のように「21世紀は環境の時代」と言います。
誰もが「地球環境のことは考えなきゃいけないよなぁ」とは思っています。

しかし日本では、正直なところ「環境」や「エコロジー」には、ある種のうさん臭さと近寄り難さがつきまといます。
左翼的、反体制的、ヒッピー臭い、宗教っぽい、オカルト・・・そういう印象ありませんか?

私が「環境」「エコロジー」を自分のテーマにすると、何人かの友人が離れてゆきました。
親しくしてくれる友人たちも、「妙なものにハマっている」と真剣に心配してくれます。
「環境」「エコロジー」に対する日本人の本当の認識って、こういうものなのですね。

日本で「オ-ガニック」が普及しない理由はいろいろあると思いますが、利権の問題や業界団体の強い抵抗などと同時に、日本における「環境」や「エコロジー」が、未だに学生運動や消費者運動、市民運動の影を色濃く引きずっていることも大きく影響していると私は考えています。

じつは、”organic”を「有機」と言ったのは、これらの運動家たちなのです。
このことからも、日本で本当に「環境」に関心を持ってもらうには、「有機」という言葉を使わない方が良いのではないか。そう私は思うのです。