大さん橋の入り口に住んでいたご長寿猫「カーさん」の、今日は一周忌です。
いまでも「カーさん」が住んでいたお店には寄らせていただいて、ベイスターズの話やら「象の鼻」地区の再開発ってどうよ?みたいな話やらしています。そうしていると「カーさん」がどこからか、ひょっこりと顔を出しそうな気が、まだします。
今日は、4年前に私が宣伝会議主催の「編集・ライター養成講座」で書いた作品で、「カーさん」を偲びたいと思います。
横浜市中区海岸通1丁目1番地は、猫の「カーさん」の棲み家だ。この住所で宛名を「猫のカーさん」と書いて手紙を出せば、必ず「カーさん」のもとに届く。「カーさん」は、全国からの手紙やプレゼントが絶えない人気者だ。
クイーンエリザベス2世号を初めとする、外国客船が接岸することで有名な大さん橋。その入り口に、小さな電気屋がある。外国船の船員向けに、主にオーディオ製品を売っている店だ。置いてある製品は全て海外向け仕様のため、日本国内で使うことはできない。
21年前、この店で餌をやっていた野良猫が、4匹の子猫を生んだ。しかしそのうち3匹までもが、交通事故で死んでしまう。たった1匹生き残った茶トラのメスが「カーさん」である。
「カーさん」宛の手紙やプレゼントは、この電気屋に届けられる。店内にはファンが描いた「カーさん」のイラストや、若かりしころの「カーさん」の写真、「カーさん」が生んだ子猫たちの写真もある。子猫たちはみな、横浜や東京の愛猫家にもらわれていったそうだ。
店を経営するご夫婦は別に家を持ち、店には通ってくる。「カーさん」は閉店後の店内でひとり夜を過ごすが、朝になると「カーさん」しか知らない秘密の出口から外に出て、店のわきにある飲料の自販機の上にいるそうだ。そして見知った人間が通ると、「ニャアニャア」と呼び止める。”はしごを出して、降ろしてほしい”といっていることを近所の人は承知しているので、近くに置いてあるはしごをかけて、地面に降ろしてやるのだ。何年か前、飛び降りてケガをして以来、ずっとそうしているという。
近所の変化にも「カーさん」は敏感で、新しい店がオープンしたりすると、なんと店内に上がりこんですみずみまで見回るという。当然びっくりされるので、電気屋の奥さんが急いで後を追いかけ、事情を説明しているそうだ。「今年の春、店の前で道路工事があったんですけど、夕方になって工事の人がいなくなると、必ず行って見回っていましたね。私もびっくりしました」と奥さんはいう。
「カーさん」の居場所は、店の前の白いイス。奥さんが「カーさん」のために置いたものだ。「いつごろから置いてましたかねぇ?ずいぶん汚れていますから、かなり前ですね。観光客の方が座っちゃうんで、”カーさん専用です”って貼り紙をしました」。いつも白いイスの上にいる「カーさん」は、やがて道ゆく人の目に止まるようになった。
観光できて「カーさん」をなでていった人が、10年ほどたって再び観光で訪れ、「やあカーさん、元気だったか」とよろこんだり、いつもリボンやネクタイ型の首輪をしている「カーさん」を見て、「さすが横浜だ。猫までネクタイをしている」と関心している地方からの観光客もいる。近くの横浜スタジアムで横浜ベイスターズの試合がある日には、球団のマスコット「ホッシー」の絵が入ったスカーフをするのだが、阪神ファンに「なんやお前、トラのくせにベイスターズ応援しとるんか」とからまれたりもする。
店に買い物にくる外国船の船員たちにも「カーさん」は可愛がられている。「好きな方はわかりますね。いかつい顔をしていても、カーさんを見るだけで表情がゆるんじゃう。『俺も家で猫を飼っているんだ』と、自分の猫の話をしてくれる方もいます」と奥さんはいう。
おとなしく、さわっても嫌な顔ひとつしない。人間でいえば100歳を超えるであろうおばあさんだが、なかなかの美貌である。「カーさん」の存在は、大さん橋を訪れる人々の口づてで、全国に知られていった。今や観光人力車も立ち寄ってゆくほどだ。土日ともなれば「カーさん」の写真を撮るために、列ができることもあるという。
今年になって雑誌「猫の手帳」に載ったことがきっかけで、「カーさん」にはテレビ東京系の「ポチたま」、フジテレビ系の「めざましテレビ」などから出演依頼が殺到した。しかし奥さんは、「カーさん」が老齢であることを理由に断っている。おおぜいのスタッフが来て、長時間カメラを向けられることが、「カーさん」にとって負担なのではと心配したからだ。
9月になって、海風を涼しく感じる日が増えてきた。今年の猛暑を「カーさん」が乗り切れるか心配した奥さんも、ほっと胸をなで下ろしている。
「カーさん」は今日も、あの白いイスの上にいる。猫お得意の瞑想をしているのか、それとも昔のことを回想しているのか、それはわからない。静かに目を閉じ、おだやかな表情で座っている。大さん橋は改修され、開港広場も整備されたが、「カーさん」のまわりには、21年前と変わらない時間が流れているような気がした。
いまでも「カーさん」が住んでいたお店には寄らせていただいて、ベイスターズの話やら「象の鼻」地区の再開発ってどうよ?みたいな話やらしています。そうしていると「カーさん」がどこからか、ひょっこりと顔を出しそうな気が、まだします。
今日は、4年前に私が宣伝会議主催の「編集・ライター養成講座」で書いた作品で、「カーさん」を偲びたいと思います。
横浜市中区海岸通1丁目1番地は、猫の「カーさん」の棲み家だ。この住所で宛名を「猫のカーさん」と書いて手紙を出せば、必ず「カーさん」のもとに届く。「カーさん」は、全国からの手紙やプレゼントが絶えない人気者だ。
クイーンエリザベス2世号を初めとする、外国客船が接岸することで有名な大さん橋。その入り口に、小さな電気屋がある。外国船の船員向けに、主にオーディオ製品を売っている店だ。置いてある製品は全て海外向け仕様のため、日本国内で使うことはできない。
21年前、この店で餌をやっていた野良猫が、4匹の子猫を生んだ。しかしそのうち3匹までもが、交通事故で死んでしまう。たった1匹生き残った茶トラのメスが「カーさん」である。
「カーさん」宛の手紙やプレゼントは、この電気屋に届けられる。店内にはファンが描いた「カーさん」のイラストや、若かりしころの「カーさん」の写真、「カーさん」が生んだ子猫たちの写真もある。子猫たちはみな、横浜や東京の愛猫家にもらわれていったそうだ。
店を経営するご夫婦は別に家を持ち、店には通ってくる。「カーさん」は閉店後の店内でひとり夜を過ごすが、朝になると「カーさん」しか知らない秘密の出口から外に出て、店のわきにある飲料の自販機の上にいるそうだ。そして見知った人間が通ると、「ニャアニャア」と呼び止める。”はしごを出して、降ろしてほしい”といっていることを近所の人は承知しているので、近くに置いてあるはしごをかけて、地面に降ろしてやるのだ。何年か前、飛び降りてケガをして以来、ずっとそうしているという。
近所の変化にも「カーさん」は敏感で、新しい店がオープンしたりすると、なんと店内に上がりこんですみずみまで見回るという。当然びっくりされるので、電気屋の奥さんが急いで後を追いかけ、事情を説明しているそうだ。「今年の春、店の前で道路工事があったんですけど、夕方になって工事の人がいなくなると、必ず行って見回っていましたね。私もびっくりしました」と奥さんはいう。
「カーさん」の居場所は、店の前の白いイス。奥さんが「カーさん」のために置いたものだ。「いつごろから置いてましたかねぇ?ずいぶん汚れていますから、かなり前ですね。観光客の方が座っちゃうんで、”カーさん専用です”って貼り紙をしました」。いつも白いイスの上にいる「カーさん」は、やがて道ゆく人の目に止まるようになった。
観光できて「カーさん」をなでていった人が、10年ほどたって再び観光で訪れ、「やあカーさん、元気だったか」とよろこんだり、いつもリボンやネクタイ型の首輪をしている「カーさん」を見て、「さすが横浜だ。猫までネクタイをしている」と関心している地方からの観光客もいる。近くの横浜スタジアムで横浜ベイスターズの試合がある日には、球団のマスコット「ホッシー」の絵が入ったスカーフをするのだが、阪神ファンに「なんやお前、トラのくせにベイスターズ応援しとるんか」とからまれたりもする。
店に買い物にくる外国船の船員たちにも「カーさん」は可愛がられている。「好きな方はわかりますね。いかつい顔をしていても、カーさんを見るだけで表情がゆるんじゃう。『俺も家で猫を飼っているんだ』と、自分の猫の話をしてくれる方もいます」と奥さんはいう。
おとなしく、さわっても嫌な顔ひとつしない。人間でいえば100歳を超えるであろうおばあさんだが、なかなかの美貌である。「カーさん」の存在は、大さん橋を訪れる人々の口づてで、全国に知られていった。今や観光人力車も立ち寄ってゆくほどだ。土日ともなれば「カーさん」の写真を撮るために、列ができることもあるという。
今年になって雑誌「猫の手帳」に載ったことがきっかけで、「カーさん」にはテレビ東京系の「ポチたま」、フジテレビ系の「めざましテレビ」などから出演依頼が殺到した。しかし奥さんは、「カーさん」が老齢であることを理由に断っている。おおぜいのスタッフが来て、長時間カメラを向けられることが、「カーさん」にとって負担なのではと心配したからだ。
9月になって、海風を涼しく感じる日が増えてきた。今年の猛暑を「カーさん」が乗り切れるか心配した奥さんも、ほっと胸をなで下ろしている。
「カーさん」は今日も、あの白いイスの上にいる。猫お得意の瞑想をしているのか、それとも昔のことを回想しているのか、それはわからない。静かに目を閉じ、おだやかな表情で座っている。大さん橋は改修され、開港広場も整備されたが、「カーさん」のまわりには、21年前と変わらない時間が流れているような気がした。