私が初めて乗ったブルートレインが「銀河」でした。
小学校を卒業した3月、姫路の親戚の家へ遊びに行くために、弟と2人で広いA寝台の下段を分け合ったのでした。
当時の「銀河」は、特急格下げの20系車両を、個性的な旧型機関車EF58が牽引していました。横浜発は23時13分くらいだったと思います。
あこがれのブルートレインがホームに入ってきてまずびっくりしたのは、ドアが手動だったこと!自動ドアが当たり前だった私にとって、特急で使われていた車両が手動ドアというのは、ちょっとショック。”特急車両で手動かぁ?”みたいな感覚でした。当時わずかながら20系の特急も残っていましたし・・・。
まあるい最後尾のヘッドマークは、列車の名前ではなく「急行」の文字。それが少し寂しく感じました。
大船、小田原、熱海、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋・・・。急行らしくこまめに停まる「銀河」は、深夜の東海道本線を静々と進んでゆくようでした。関が原の朝もやの中を、始発の新幹線が東京へ走って行く車窓の風景は、今でも忘れられません。大阪到着は8時ちょうど。ラッシュの中となりのホームでは、福知山線、山陰本線を経由して博多へ向かうという、今では考えられないスケールの大きなディーゼル特急「まつかぜ」が、出発しようとしていました。
以前は、全国に主要都市間を結ぶ長距離特急と、それを補完する急行が走るという運行パターンがありました。
しかしいつの頃からか特急に格上げされる急行が相次ぎ、特急の数が増えました。
JRの本社の人は「特急が乗りやすくなったでしょ?」と言いましたが、一方で従来急行のみが停車していた駅に特急が停まるようになっていました。地方では、支線を走る急行が、次々に廃止されてゆきました。
残った特急は、急行のようなものばかり。そのくせ特急料金は従来通り取る。これは実質的に「値上げ」なんじゃないの・・・?
そんな疑問が頭をもたげる現代にあって、「銀河」は昔の東海道急行の面影を色濃く残す列車でもありました。
「銀河」のような存在が、再び必要とされる時代が来ることはあるのでしょうか。気づいたとき、取り戻すことはできるのでしょうか。
”古き佳き時代”や”郷愁”といった言葉だけでは割り切れない、何か「大切なもの」乗せたまま、急行「銀河」は歴史の星の彼方へ走り去ってゆこうとしています。
小学校を卒業した3月、姫路の親戚の家へ遊びに行くために、弟と2人で広いA寝台の下段を分け合ったのでした。
当時の「銀河」は、特急格下げの20系車両を、個性的な旧型機関車EF58が牽引していました。横浜発は23時13分くらいだったと思います。
あこがれのブルートレインがホームに入ってきてまずびっくりしたのは、ドアが手動だったこと!自動ドアが当たり前だった私にとって、特急で使われていた車両が手動ドアというのは、ちょっとショック。”特急車両で手動かぁ?”みたいな感覚でした。当時わずかながら20系の特急も残っていましたし・・・。
まあるい最後尾のヘッドマークは、列車の名前ではなく「急行」の文字。それが少し寂しく感じました。
大船、小田原、熱海、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋・・・。急行らしくこまめに停まる「銀河」は、深夜の東海道本線を静々と進んでゆくようでした。関が原の朝もやの中を、始発の新幹線が東京へ走って行く車窓の風景は、今でも忘れられません。大阪到着は8時ちょうど。ラッシュの中となりのホームでは、福知山線、山陰本線を経由して博多へ向かうという、今では考えられないスケールの大きなディーゼル特急「まつかぜ」が、出発しようとしていました。
以前は、全国に主要都市間を結ぶ長距離特急と、それを補完する急行が走るという運行パターンがありました。
しかしいつの頃からか特急に格上げされる急行が相次ぎ、特急の数が増えました。
JRの本社の人は「特急が乗りやすくなったでしょ?」と言いましたが、一方で従来急行のみが停車していた駅に特急が停まるようになっていました。地方では、支線を走る急行が、次々に廃止されてゆきました。
残った特急は、急行のようなものばかり。そのくせ特急料金は従来通り取る。これは実質的に「値上げ」なんじゃないの・・・?
そんな疑問が頭をもたげる現代にあって、「銀河」は昔の東海道急行の面影を色濃く残す列車でもありました。
「銀河」のような存在が、再び必要とされる時代が来ることはあるのでしょうか。気づいたとき、取り戻すことはできるのでしょうか。
”古き佳き時代”や”郷愁”といった言葉だけでは割り切れない、何か「大切なもの」乗せたまま、急行「銀河」は歴史の星の彼方へ走り去ってゆこうとしています。