今に限らず、欲しいものは常に「自由」だった気がします。
自分の欲しいものは全て「自由」の一言の中に含まれてしまいます。
しかし、「真の自由」はどこにあり、いかなるものなのでしょうか?
今は、広大な自由の世界を鍵穴から覗いているような状態です。
自由にあこがれるということは、すでに「自由」をどこかで知っているからかもしれませんね。
自分の欲しいものは全て「自由」の一言の中に含まれてしまいます。
しかし、「真の自由」はどこにあり、いかなるものなのでしょうか?
今は、広大な自由の世界を鍵穴から覗いているような状態です。
自由にあこがれるということは、すでに「自由」をどこかで知っているからかもしれませんね。
自分のどこかは、それがどんなものなのか、知っているのかも知れない・・・っていうのは、ピンとこないです。
自由が欲しいっていうのは、理解できるんですけど
時々こちらへ立ち寄らせていただいています。
「すでに「自由」をどこかで知っているからかも」という言葉は、私にはピンと来たひとことでした。
それが無意識の中か右脳の中か、はたまた魂の底なのかは定かでないとしても、”知らないのに分かっている何か”が自分の中にはある感覚。
とでも言うのでしょうか。
蛇足ですが、私にとっての「自由」とは
「何かをしなくちゃいけない」と全然思わない時間にあるような気がします。
では、また。
どうぞお元気で。
時々お立ち寄りとのこと、本当にありがとうございます。
私は今まで、文章をほとんど書かずに生活をしてきたので、私の書くものは分かりにくいかもしれません。その舌足らずな表現を、あきこさんに掬って頂けたような気がしてうれしくなりました
「”知らないのに分かっている何か”が自分の中にはある感覚」、本当におっしゃるとおりです。その感覚が、あるときは強くなり、あるときは微かになる。
そして、その自由の鍵は、私もやはり、あきこさんがおっしゃるように、『「何かをしなくちゃいけない」と全然思わない時間』にあるような気がしています。
話は変わりますが、さきほどあきこさんのサイト、「湧水舎」拝見いたしました。
素晴らしい詩をいっぱい書かれるのですね。
「天涯」は、あきこさんの原点なのでしょうか?
本当に沁み入るような詩ですね。
「天涯」の中に「自由」を感じました。
ぜひまたお立ち寄りください。
そして気が向いたときにでも、またご感想を頂ければと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。