一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「今欲しいものは?」

2005年07月01日 15時22分23秒 | 日記
今に限らず、欲しいものは常に「自由」だった気がします。

自分の欲しいものは全て「自由」の一言の中に含まれてしまいます。
しかし、「真の自由」はどこにあり、いかなるものなのでしょうか?

今は、広大な自由の世界を鍵穴から覗いているような状態です。
自由にあこがれるということは、すでに「自由」をどこかで知っているからかもしれませんね。
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4 コメント

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またまた難しいことを・・・ (吟遊詩人)
2005-07-04 20:28:36
自由ですか・・・



自分のどこかは、それがどんなものなのか、知っているのかも知れない・・・っていうのは、ピンとこないです。



自由が欲しいっていうのは、理解できるんですけど
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やはり (便造)
2005-07-05 14:29:48
うまく書ききれなかったかなぁ。

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はじめまして (あきこ)
2005-07-06 16:49:35
はじめまして。こんにちは。あきこと申します。



時々こちらへ立ち寄らせていただいています。



「すでに「自由」をどこかで知っているからかも」という言葉は、私にはピンと来たひとことでした。



それが無意識の中か右脳の中か、はたまた魂の底なのかは定かでないとしても、”知らないのに分かっている何か”が自分の中にはある感覚。

とでも言うのでしょうか。



蛇足ですが、私にとっての「自由」とは

「何かをしなくちゃいけない」と全然思わない時間にあるような気がします。



では、また。

どうぞお元気で。
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ようこそいらっしゃいました。 (便造)
2005-07-07 01:33:13
あきこさんこんばんは。



時々お立ち寄りとのこと、本当にありがとうございます。



私は今まで、文章をほとんど書かずに生活をしてきたので、私の書くものは分かりにくいかもしれません。その舌足らずな表現を、あきこさんに掬って頂けたような気がしてうれしくなりました



「”知らないのに分かっている何か”が自分の中にはある感覚」、本当におっしゃるとおりです。その感覚が、あるときは強くなり、あるときは微かになる。



そして、その自由の鍵は、私もやはり、あきこさんがおっしゃるように、『「何かをしなくちゃいけない」と全然思わない時間』にあるような気がしています。



話は変わりますが、さきほどあきこさんのサイト、「湧水舎」拝見いたしました。

素晴らしい詩をいっぱい書かれるのですね。

「天涯」は、あきこさんの原点なのでしょうか?

本当に沁み入るような詩ですね。

「天涯」の中に「自由」を感じました。



ぜひまたお立ち寄りください。

そして気が向いたときにでも、またご感想を頂ければと思っております。



これからもよろしくお願いいたします。

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