一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「冬の善福寺川緑地(公園)」

2007年01月28日 18時47分49秒 | 平和な世界(緑地公園編)
さっぱりとして見通しが良くなり、清々しささえ感じられます。
冬枯れの公園に、これほどまで心惹かれるとは思いませんでした。

うす曇りの日などには、お気に入りのベンチから眺める風景も、冬の美しさを際立たせます。


しかし、晴れた日の昼下がりには、散歩しているだけで汗ばみ、確かな春の訪れを感じます。
そんなときなど、「今年もいい年になるといいなぁ」などと、ちょっと唐突な思いが湧き上がってきます
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2 コメント

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非風流人 (Mars)
2007-03-26 21:55:50
こんばんは、便造さん。

春は間近のようで、安易には近寄ってくれない、天邪鬼のようなものかもしれません。
それでも、確実に春の息吹は確実に感じられ、そんな移ろいを感じられる、日本人に生まれたことを感謝します。

また、梅の木であれ、桜の木であれ、都会の中で、ぽつんと生きる、木も素晴らしいものですね。
時に、人はそんな木を気にもとめませんが、彼(彼女?)らなりに生きている。

そんな木々に対し、どれだけ自分ががんばって生きているか。
情けなくも思う、今日この頃です。
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Re:非風流人 (便造)
2007-03-27 08:51:31
Marsさんこんにちは。
書き込みありがとうございます。

当たり前と言っちゃ当たり前のなのですが、本当に日本の自然は、日本人にはしっくり来ますね。

日本人の感性を育んできた自然や樹木が、宅地造成などで失われるのは寂しいものです。友人宅の近所にあった屋敷森も伐採され、整地化が進んでいます。大きなケヤキが切り倒されたときにはショックでした。

あんなに大きく育つまでにはどれほどのことに堪えてきたのだあろうと、考えます。
それが人間の手であっさり切り倒されてしまう。寂しさと共に複雑な気分でした。

人間も生きているというだけでも、やはり多くのことに耐えているのでしょうね。怠惰な日々を送っている自分ですが、もう少し褒めてやってもいいのかなと、考える今日この頃です。
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