過去記事で、断片的に述べてきたことを読者さんが簡潔にまとめてくださったので、アップしておきます。かなり学術的なアプローチの記事で読みづらいかもしれませんが、日本国民にはぜひとも心得ておいて欲しい知識です。
なお読者さんご案内のブログは、転載ということではなくその記事を読まれての所感と要約です。
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◆ 2019-05-27 01:53:23
なんということでしょう😅 系図が書けたところで、このコネクションを正田美智子さん人内時の新聞報道なども押さえて詳述するブログ(2018年8月書かれた記事)を土曜日の早朝見つけてしまいました。ともあれ描けた系図はそのブログと同じでした。
昭和の皇太子妃出現から生前退位まで続く不思議な血脈
① ー田中最高裁長官、竹山パーティー、小泉参与ー
h ttps://blog.goo.ne.jp/sisakusitu/e/637aac793a9618f64e9fbe3833d00ff1
松本烝治家を介在とした、田中耕太郎、小泉信三、竹山謙三郎の親戚関係系図であります。
拙コメントの系図と合致。コメ欄にはツリー図は描けないので直線で表現したので分かりにくいのですが、こちらのブログのツリー図はバッチリ👌です。 ↓ 昭和の皇太子妃出現から生前退位まで続く不思議な血脈
h ttps://blog.goo.ne.jp/sisakusitu/e/78d956e35a8b03acca1fd275e215dffa
戦前から戦後そして今現在、国の中心が意外と狭い血族で動かされてきている。ということが、このブログ記事の主旨です。皇室問題ブログでは全くないことを先ずお伝えします。
そしてこのブログは【無断転載禁止】で文章や図をコピペできません。 ザックリ新たに得られた事だけレポートします。 (BB様が何度も記事に書かれ、しらべ♪様、拙コメントでも指摘を重ねて来た部分は割愛し、但し理解上補足が必要な場合( )付で加筆しました。)
◉互いにカトリック信者だった正田貞一郎・きぬ夫妻と田中耕太郎夫妻は大変親しく、共にフロジャック神父の筆頭支援者で、このニ家族で神父の臨終を看取ったほどだった。 「フロジャク神父の生涯 五十嵐茂雄著」より
◉上記よりブログ主様としては、美智子さん推しの主導者は祖父の時代から懇意だった田中耕太郎とフロジャック神父と推察すると。
◉(BB様も以前から指摘されているように、)田中耕太郎最高裁判所所長が砂川事件判決についてGHQと内通し、米国側からの指示を実行していたことが米国公文書の機密解除で明らかになり。沖縄に心寄せる天皇皇后…特に皇后にとって非常にまずいことになった。
◉竹山謙三郎の叔父一木喜徳郎は、宮内大臣も務め、戦前の昭和天皇の側近だった(Wikiによれば二・二六事件の時には、暗殺された斎藤実に代わり1日だけ内大臣代理を務め、宮中においては昭和天皇の相談役となり事件終息に尽力した。)。一木は昭和天皇の信任が篤かった。
◉竹山謙三郎の兄は竹山道雄、姉は船田享二(法学者、国会議員、作新学院院長)夫人。 (船田享二のWiki を見たらこの夫人の文子氏は消費者団体の主婦連副会長とのこと。) 船田享二の兄は船田中で、その孫が船田元。
◉竹山パーティーは昭和26年(27年の主権独立前のGHQ占領下)に創設され、第一回から美智子さんは会員。以前から母親(富美子さん)は竹山(たぶん夫妻双方と)と知り合いだったが、美智子さんは母親に連れられて初めて夫妻に会った。美智子さんは(昭和9年10月生まれなので)当時16か17歳。竹山夫妻は美智子さん個人のよき心の柱だった…と毎日新聞は昭和33年当時報道。
◉竹山パーティーについては御成婚当時のメディアの記事に多く書かれているとのこと。竹山謙三郎氏もインタビュー受けるなどメディア露出している。音楽会、ハイキング、ダンパなどを開き、この時の写真をメディアにも多く引用された。
◉小泉信三は毎日新聞に、美智子さんの親戚(叔父の正田順四郎氏のこと。父である祖父貞一郎氏と共に小泉信三と交流があった。)が慶応の学生だったので、正田家や美智子さんのことを以前から知っていたと語っている。
◉※美智子さんの不思議※・・と以下小さな字で本文を書いてあるが。 このブログ主様もそう思われたかと。 よっぽどお膳立てした自分達の方が天皇と関係があり大臣も務め、彼等の娘もいたのだが。世間を見回せばざらにいる自分達より格落ちの家の娘さんをどうして推したのか?
それには何か別の必要とされる条件があったのでは?それに条件合致する娘を探す為に竹山パーティーがあったのか??? 竹山謙三郎は婚約(内定?)発表後、売り込んだり仕組まれたということは絶対ないと釈明(週刊新潮 昭和33年 12/15)している。
・・・・・・ここまで
正田美智子嬢の入内が、いかにその周辺のある「思想」を共にする狭いしかし濃密な人間関係で細心に仕組まれていったかが解かる流れだと思われます。
文中、《それに合致する娘》というのは、要するにGHQ去った後もなお、機能し続けていた皇室弱体化左傾化の流れを推し進めることの出来る娘、ということでしょうか。
正田美智子嬢の入内を国会より先に、アメリカのメディアが掴んでいたということが傍証になるかもしれません。
美智子嬢より格上の令嬢が複数いたにもかかわらず、わざわざ格下の存在に的を絞ったというのもなまなましい話ではあります。
正田美智子嬢の入内の胡乱さを国会で突いたのが、当時の平井義一議員他でこれは国会議事録が残っていて、過去記事で取り上げました。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html
(第5号 昭和34年2月6日)
かつて国会で厳しく追求された上皇と美智子さま入内
皇室が絶対不可侵となってしまった現在では考えられないことですが、敗戦からさほど時間が経っていない当時では、皇室への鋭い斬り込みも可能だったのでしょう。驚くほど正確に、現在の皇室のありようが危惧されています。
小泉信三の聖公会については過去記事でも述べましたが、
聖公会=ローマ・カトリックとプロテスタントに大別される西方キリスト教会の中で、両者の持つ要素を兼ね備え、その中間に位置する教派である。
日本聖公会に関しては、ざっくり言えばアンチ皇室です。
その声明文は以下です。
《「大嘗祭」を公的な行事と位置付けることにより、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧(きぐ)いたします。かつて、天皇を中心とした国家神道のもとで、植民地支配と侵略戦争をした反省の上に作られた憲法を守ることは、わたしたちの責任だといえます》
istianpress.jp/japan-anglican-church-justice-and-peace-commission/
《皇室の私的宗教行事である「大嘗祭」を公的な行事と位置づけ、国が関与して国費を支出することについて、わたしたちは日本国憲法第20条の信教の自由の保障にも、政教分離の原則にも明らかに反するものだと考えます》
上皇后陛下の背景に、こうしたアンチ皇室のカトリック/プロテスタント宗派が存在することを、私たち国民は知っておくべきです。
田中耕太郎について、便宜的にWikiから箇条書き的に拾っておきます。
■無教会主義キリスト教の内村鑑三の門下生となっている
■レッドパージ訴訟では最高裁大法廷の裁判長としてレッドパージを「GHQの指示による超憲法的な措置で解雇や免職は有効」と判決した。1952年の警察予備隊違憲訴訟では最高裁大法廷の裁判長として付随的違憲審査制を採ることを判決した
■上告裁判所を設置する最高裁機構改革法案に意欲を見せていたが、最高裁機構改革法案は廃案となった[14]。
■1961年から1970年にかけて、国際司法裁判所(ICJ)判事を務めた。5つの事件と1つの勧告的意見に関わり、2つの個別的意見と2つの反対意見を残した。特に、1966年の「南西アフリカ事件」(第二段階)判決に付けた長文の反対意見は、有名であり、非常に権威のあるものとして、今日でもしばしば引用される。ジャーナリストの末浪靖司は、砂川事件差し戻しについて、判決翌年の1960年にアメリカ側にICJ判事選挙立候補を伝え、支持を取り付けている事から、アメリカの論功行賞狙いだったのだろうと見ている
■聖公会からカトリックに改宗していた妻・峰子の影響を受けて、無教会主義キリスト教からカトリックに改宗している。
1957年8月19日の、皇太子明仁親王と正田美智子との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。
かなりアカデミックなアプローチでの、上皇后陛下への疑義提示ですが個人攻撃ではなく、GHQ以来の皇室弱体化施策の延長線に現在の左傾皇室があることを直視せねばなりません。
なお、美智子さまが洗礼を受けていらっしゃらないということを、ブログ主は全く信じていません。少なくとも一族郎党が洗礼を受けている中、美智子様お一人が洗礼を受けていないという可能性は著しく低いと言わざるを得ません。
フランクフルト学派⇒O.S.S⇒ハーバード大学⇒小和田恒氏⇒雅子さま 壊国の系譜 《要・保存。転載ご自由に》 2019-05-04 03:10:04
上記の過去記事と抱合せで、日本国民にゆっくりと広げていくべき事柄ですが、国民が共通知識として認識するには、しばらくの時代の推移を必要とするでしょう。しかしいずれ、歴史それ自体が真実を語り始めます。
その時に「本来の形での」皇室はもうないのかもしれません。
後記 コメ欄に以下のご指摘を受けたので追記しておきます。詳細はコメ欄でチェックなさってください。
>「聖公会=ローマ・カトリック」とあります。恐れながら、バチカン(聖座)は聖公会を同一視していません。
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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え