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ボズ・バレル

2023-07-12 21:27:16 | bass

ボズ・バレル Raymond "Boz" Burrell

 【パート】
   ベース、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1946年8月1日~2006年9月21日(60歳没)

 【出身】
   イングランド リンカンシャー州ホルビーチ

 【経歴】
   ティー・タイム・フォー/Tea Time Four(1963~1965)
   ボズ・ピープル/Boz People(1965)
   ザ・サイドワインダーズ/The Sidewinders(1965~1966)
   フィール・フォー・ソウル/Feel For Soul(1966~1967)
   パノラマ/Panorama(1968)
   ミラーズ/Mirrors(1970)
   センティピード/Centipede(1970, 1971)
   キング・クリムゾン/King Crimson(1970~1972)
   ディック&ザ・ファイアメン(1971~1976)
   スネイプ/Snape(1972)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1973~1982)
   ヒンクリーズ・ヒーローズ/Hinkley's Heros(1976)
   ロジャー・チャップマン&ザ・ショートリスト/Roger Chapman & The Shortlist(1981~1983)
   チャック・ファーリー/Chuck Farley(1983)
   ナイトフライ/Nightfly(1984)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1986~1988)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1998~1999)



 1946年、イングランドのリンカンシャーにあるホルビーチという町で生まれる。
 1963年、学友と「ティー・タイム・フォー」というローカル・バンドを結成し、アコースティック・ギターとして参加する。このバンドはおもにジャズ、ブルース、ソウルなどの黒人音楽を演奏していた。
 1965年春、マネージャーのジャック・バリーの勧めで仲間4人とともにロンドンに拠点を移し、バンド名を「ボズ・ピープル」と改めて、マーキー・クラブやテレビに出演するようになる。ボズ・ピープルは6月にはオーディションによりイアン・マクレガン(keyboard のちスモール・フェイセズ)を加え5人編成となり、EMIのコロンビア・レーベルと契約を交わした。この年後半にはヴォーカルのマイク・プリオールが脱退したため、バレルがヴォーカルを兼ねることになる。しかし商業的な成功には至らず、11月にはやむなく解散した。
 この年、ボズはロジャー・ダルトリーの後任ヴォーカリストとして「ザ・フー」に加入する話もあったということだが、これは結局実現しなかった。


 ボズ・ピープル解散後のバレルは「ザ・サイドワインダーズ」や「フィール・フォー・ソウル」などさまざまなローカル・バンドをバックに起用して活動したほか、1966年に「ボズ」の名でソロとしてデビュー、68年にかけてコロムビアから6枚のソロ・シングルを発表した。
 1968年にリリースしたシングル「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、ボブ・ディランの曲のカヴァーであるが、このレコードではベースがチャス・ホッジスのほか、第1期ディープ・パープルのメンバーであるジョン・ロード(organ)、リッチー・ブラックモア(guitar)、イアン・ペイス(drums)が演奏を担当している。


 その後に参加した「ミラーズ」というバンドがロンドン・マーキー・クラブでのギグを最後として1970年10月に解散すると、キース・ティペットによる60人編成のジャズ・オーケストラ「センティピード」に参加して、アルバム『セプトーバー・エナジー』の制作に関わった。この『セプトーバー・エナジー』のプロデューサーを務めたのが、キング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップである。フリップに紹介されたバレルは、キング・クリムゾンのヴォーカリストのオーディションを受け、合格する。
 当時クリムゾンのメンバーだったメル・コリンズ(sax)は、「ボズは、1960年代には「ボズ・ピープル」や「ザ・サイドワインダーズ」での活動によってミュージシャンの間ではよく知られた存在だった。オーディションに来た時点でその実力は群を抜いていたので、即座に"決まり"だと思った」と語っている。
 この頃のキング・クリムゾンはアルバム『リザード』を発表(1970年5月)した後で、ゴードン・ハスケル(bass, vocal)とアンディ・マカロック(drums)が脱退したために新しいメンバーを探していたところだった。


 ヴォーカルにバレル、ドラムスにイアン・ウォーレスの参加が決まったクリムゾンだったが、ベーシストの適任者はなかなか見つからず、ようやく採用したリック・ケンプ(スティーライ・スパン)からもリハーサルの直前に加入を断られてしまう。そんな時、スタジオでたまたまベース・ギターを弾いて遊んでいたバレルを見たフリップは、もともとギターを弾けるバレルにベーシストを兼任させることを思いついた。バレルはフリップから集中的にベース・ギターの指導を受け、わずか2ヵ月という短期間で複雑なクリムゾンのレパートリーを全てマスターしたのである。
 こうしてバレルはヴォーカリスト兼ベーシストとなり、1971年4月に、フランクフルトでフリップ、コリンズ、ウォーレスと共にキング・クリムゾンのステージに立った。これはクリムゾンにとっては実に16ヵ月ぶりのライヴであった。
 またクリムゾン以外にも、クリムゾンやバッド・カンパニーに在籍中の1971年から1976年にかけては「ディック&ザ・ファイアメン」というジャム・セッション系グループで不定期に活動しているが、1976年にはディック&ザ・ファイアメンが発展したやはりジャム・セッション系グループ「ヒンクリーズ・ヒーローズ」にも不定期に参加している。
 

 さてフリップは、バレルがベーシストに決定してからもベーシストを探し続けている。
 ジョン・ウェットンにも加入を打診したが、この時は「今はその時期ではない」として断られている。一方コリンズとウォーレスは、バレルが技術的に向上している事を理由に、バンドの編成を現状のまま維持するようフリップに要望した
 バレルはアルバム『アイランズ』でベースを弾き、一定の成果を上げたが、次第にフリップとそれ以外のメンバーの間で対立が生じるようになる。バレル、コリンズ、ウォーレスの3人はブルース指向であり、フリップとは方向性が異なっていたからである。
 1972年の年明けのリハーサルでは、フリップとバレルら3人との間に生じた亀裂は深刻なものとなっていた。こうした状況からフリップはバンドの解散を決めたが、このときすでにマネジメント側によって北米ツアーのスケジュールが決定していた。このためメンバーはしぶしぶツアーの契約履行に同意し、2月からキング・クリムゾンのアメリカ・ツアーはスタートした。そしてバンドはツアーが終了した4月に解散した。


 キング・クリムゾンでベース・ギターをマスターしたバレルは、これ以降おもにベーシストとして活動してゆくことになる。
 バレルは、キング・クリムゾンの解散後はコリンズ、ウォーレスとともにアメリカに残り、アレクシス・コーナーのバンド「スネイプ」に参加した。
 スネイプではアルバム『アクシデンタリー・ボーン・イン・ニューオーリンズ』と2枚組ライブ・アルバム『ライヴ・オン・ツアー・イン・ジャーマニー』に参加している。


 その後、セッション・ミュージシャンとして活動していたが、1973年にポール・ロジャース(vocal 元フリー)、サイモン・カーク(drums 元フリー)、ミック・ラルフス(guitar 元モット・ザ・フープル)が結成した「バッド・カンパニー」のオーディションを受け、合格する
 バッド・カンパニーはレッド・ツェッペリンが設立したレーベル「スワン・ソング」と契約。この「スーパー・グループ」の出現はロック界の注目を一身に集めた。
 バッド・カンパニーは、1974年にアルバム『バッド・カンパニー』でデビュー。このアルバムは全世界で1200万枚以上を売り上げ、アルバム・チャートで全米1位、全英3位となる大ヒットを記録し、一躍有数の人気バンドにのし上がった。
 バレルは『バッド・カンパニー』から1982年に発表された『ラフ・ダイアモンド』までの、6枚のアルバムの制作に参加している。
 バンドは順調にキャリアを重ねていったが、『ラフ・ダイアモンド』の発表後、メンバー間の軋轢が高じて解散する。 


 その後のバレルの音楽活動は、スタジオ経営のかたわらセッション・ベーシストとして演奏する生活を送る。
 1982年、ジョン・ロードのソロ・アルバム『時の過ぎゆくままに』に収録されている「ハリウッド・ロックンロール」の録音に参加。
 1984年にはスペンサー・ジェイムス(vocal, guitar)、ミッキー・ムーディ(guitar)、ミッキー・シモンズ(keyboard)、ザック・スターキー(drums)らと「ナイトフライ」を結成したが、短命に終わっている。

 1986年、ボーカリストにブライアン・ハウ(元テッド・ニュージェント・バンド)を迎えて再結成したバッド・カンパニーに参加したが、同年秋にアルバム『フェイム・アンド・フォーチュン』リリースした後に脱退する。
 1996年、アルヴィン・リー、ルビー・ターナーらとベスト・オブ・ブリティッシュ・ブルース・ツアーに参加。
 1998年にオリジナル・メンバーによって再結成されたバッド・カンパニーに参加、久々に元気な姿を見せた。1999年には4曲の新曲を含むベスト・アルバム『バッド・カンパニー・アンソロジー』のリリースに伴うツアーが行われた。

 しかし、「本格的にジャズに取り組みたい」という理由により、2002年のツアーには参加しなかった。
 20世紀の終わり頃からは、1960年代からの旧友であるスコットランドのブルース・シンガー、ボーカリストのタム・ホワイトと組み、「シュー・ストリング・バンド」や「ケルティック・グルーヴ・コネクション」で活動した。


 2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去。60歳だった。
 その日、ボズはタム・ホワイトらとともにとあるパーティで演奏することになっており、その準備をしていたところ、ギターを持って椅子に座った途端に倒れたとのことである。


          


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ソロ・シングル>
  1966年 Isn't That So
  1966年 Meeting Time
  1966年 Pinocchio
  1966年 The Baby Song
  1968年 I Shall Be Released
  1968年 Light my Fire

 <センティピード>
  1971年 セプトーバー・エナジー/Septober Energy

 <キング・クリムゾン>
  1971年 アイランズ/Islands UK30位、UK76位
 ☆1972年 アースバウンド/Earthbound
 ☆2002年 レディース・オブ・ザ・ロード/Ladies of the Road ※録音1971~1972年
 ★2017年 Sailor's Tales(1970-1972)

 <アレクシス・コーナー&スネイプ>
  1973年 アクシデンタリー・ボーン・イン・ニューオーリンズ/Accidentally Born in New Orleans
 ☆1973年 ライヴ・オン・ツアー・イン・ジャーマニー/Live On Tour in Germany

 <バッド・カンパニー>
  1974年 バッド・カンパニー/Bad Company UK3位、US1位
  1975年 ストレート・シューター/Straight Shooter UK3位、US3位
  1976年 ラン・ウィズ・ザ・パック/Run With the Pack UK4位、US5位
  1977年 バーニン・スカイ/Burnin' Sky UK17位、US15位
  1979年 ディソレーション・エンジェル/Desolation Angels UK10位、US3位
  1982年 ラフ・ダイアモンド/Rough Diamonds UK15位、US26位
 ★1985年 ベスト・オブ・バッド・カンパニー/10 from 6 US137位
  1986年 フェイム・アンド・フォーチュン/Fame and Fortune US106位
 ★1999年 バッド・カンパニー・アンソロジー/The Original Bad Company Anthology US189位
 ☆2006年 ライヴ・イン・アルバカーキ1976/Live Albuquerque Nm Usa ※1976年録音

 <ロジャー・チャップマン&ザ・ショートリスト>
  1982年 He Was... She Was... You Was... We Was...
  1982年 Riff Burglar (The Legendary Funny Cider Sessions Vol.1)

 <タム・ホワイト>
  1991年 Keep it under your hat(Tam White & The Band)
  1999年 The Celtic Groove Connection(Tam White/Boz Burrell)

 <ゲスト参加>
 *Ellis
  1972年 Riding on the Crest of A Slump
  1973年 Why Not?

 *アルヴィン・リー&マイロン・ルフェーヴル
  1973年 On the Road to Freedom

 *チリ・チャールズ
  1973年 Busy Corner

 *エディ・ハリス
  1973年 E. H. in the U. K.

 *エスター・フィリップス
  1973年 Black-Eyed Blues

 *ピート・シンフィールド
  1973年 スティル/Still

 *チャップマンーホイットニー
  1974年 Streetwalkers

 *アレクシス・コーナー
  1974年 Alexis Korner

 *アメイジング・ブロンデル
  1974年 Amazing Blondel

 *ダスター・ベネット
  1975年 Fingertips

 *アルヴィン・リー
  1975年 パンプ・アイアン!

 *ピート・タウンゼント&ロニー・レーン
  1977年 Rough Mix

 *ボクサー
  1979年 Bloodletting

 *ジョン・ロード
  1982年 時の過ぎゆくままに/Before I Forget

 *ロジャー・チャップマン
  1983年 Mango Crazy

 *ピーター・グリーン
  1986年 Lastest Game

 *クリス・ファーロウ
  1991年 Farlowe

 *スティーヴ・マリオッツ・スクラバーズ
  1992年 Steve Marriott's Scrubbers ※1974年録音

 *ジョーン・アルマトレーディング
  1995年 What's Inside

 *ルビー・ターナー
  1998年 Call Me By Name


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